第三幕~神様の…~
【第三幕前~柄忌荒罪~】
あぁ、うん、そうだな。今日は捷因の話でもしようか。
柄忌捷因、柄忌の鍛冶師。
今日も今日とて鉄を打つ。
ガツンガツンと人を殺す器具を作る。
人を殺すために鉄を打つ。
作れば作るほど人が死ぬ。
使えば使うほど人が死ぬ。
殺す器具を作ったものと、その器具を使って殺したものと、果たして罪が重いのはどちらかな?
はてさて、捷因の罪はいかほどか?
だけどみんな覚えておこう。
その殺人器具を作るものこそが、その鉄を打つ両の腕こそが、誰よりも何よりもどんなことよりも人を多く殺すことができるということを。
だから彼は禍なのさ――
【幕前・了】
天災を止める術はない。
「大体一秒につき2.3人以上が生まれるって聞いたことあるな」
彼女は下腹部からの鈍い痛みを受けて覚醒した。
「で、1.7人が死ぬと──死亡率を上げるって難しいなぁ」
朦朧とする意識の中に入ってきたのは誰かの独り言だった。
「もっと強力な武器が落ちてないかな」
子供がゲームでもやっているのだろう、もう何もしたくない、彼女はそんな風に思おうとして、しかしそこで全てを思い出した。
子供はもう殺されていた。
夫の財布と携帯を届けに来たという少年に包丁で刺し殺されて。
(………私も……刺されたんだ)
下腹部の痛みは刺されたためだった。
(うぅ……)
思い出すと同時に激しい後悔が彼女を襲った。
なんの警戒もなく、彼女は玄関を開けた。
もちろん、チェーンや鍵を掛けていなかったわけではない。そこまで無用心ではなかった。
だが、インターホンに備えられた監視カメラからの映像にはごく普通の親切そうな学生しか写っていなかったのだ。
ポストの中に入れておきますから、とそのまま去ろうとする好青年にお礼の一言でも、と──いや、少なからず財布の中身の安否も気になりはしたからだが──玄関を開けてしまったのが全ての始まりだった。
(なんでよ…)
悔しさに涙が零れた。
彼女は瞬く間に腹を刺され、悲鳴を上げるより先に家の中に押し込まれた。
不思議なことに、通りには通行人の影はなかった。昼間だというのに。
男が玄関の鍵を掛けていると、子供が異常を感じてか、奥の方からかけてきた。
彼女の静止の声は届かなかった。男はやってきた子供を見るなり目に何かを突き立てていた。
ドライバーか何かの工具だったと思う。
子供は悲鳴を上げる間もなく痙攣して人形のように倒れた。
それから、半狂乱になった彼女は男に襲い掛かろうとして、頭を何度も殴打されて気を失ったのだ。
(ひどい…ひど過ぎる)
朝、夫を送り出して子供と少し遊び、洗濯と掃除をすませてお昼をとった。
そろそろ子供と昼寝をしようと思っていたところだった。
昨日と変わらない今日だと思っていた。
その一日は瞬く間に一変してしまった。
まさか強盗に入られるなど思いもしなかった。
「221、大体二ヶ月くらいだから、一日辺り三人ちょっと。ダメだ全然追いついてない」
男はテーブルに着いてぶつぶつと呟いていた。時折、咀嚼音もするので何かを食べているようだった。
彼女は床に血ダマリを作ったまま俯せに寝かされていた。
おそらくもう死んだと思われているのだろう。
「でもペースを上げようにもなぁ。ひとまず、ここの家のお姉さんが近所に住んでるみたいだから、まずそこに行くか」
「!?…………」
頭を殴られたための幻聴ではない。
男はたしかに姉夫婦の家に行くと言った。
(なん………で?)
ただの強盗ではなかったのか。
男の言動が理解できずに彼女の思考は一瞬停止しかけた。
しかし、それも一瞬のこと、
『えー、先日から続く連続殺人についてのニュースです。』
唐突に別の声が彼女の耳に飛び込んできた。
男がテレビをつけたからだ。
『はい。こちら現場の●●です。新しい被害者です。○○区で殺されていたのは───』
お昼のワイドショーが流れているらしい。
キャスターは重い口調で殺された被害者の名前を羅列していった。
今、日本全土を恐怖に陥れている殺人鬼の話しのようだった。
(……………っ!?)
ようやく、彼女はその殺人鬼に襲われたのではないかという考えに至った。
『――これ全部同一人物がやったって言うのが警察の見解なんでしょ?』
『そうですね。現場に残された指紋や毛髪からそう言われています』
『しかもまだ未成年だとか』
『えぇ、そう言われてますね』
『なんでも、小さい時に虐待を受けて、イジメもひどかったらしいじゃないですか』
『そうですね。彼の両親、同じクラスの生徒、担任教師、これが最初の被害者ですからね。積もり積もった恨みからでしょうね』
『でもそこからは不思議なんですが、まったく無関係な人が殺されてますよね。彼の親族は除いたとして』
『ですね。そこらへんをお聞きするために犯罪者の精神を研究しておられる△△さんをお呼びしています。△△先生お願いします』
『はい、その前にまず、私の掴んだ確かな情報なんですが。彼の部屋には映画やアニメ漫画なんかにある人が殺されたシーンを集めたビデオやスナッフが無数に出てきたらしいんですよ』
「さすがにそれはないなぁ」
黙ってテレビを見ていた男が急に声をあげた。
怒気を孕んでいるわけでもなく、ただ淡々と、
「おかしいよなぁ。全然僕のことじゃない話してるみたいだよ」
親は自分を愛してくれたし、友達もそこそこ居た。
映画はよく見るが人が死ぬところなど集めていなかったし、漫画やアニメなんかは全然興味なかった方なんだけど、などとテレビに向かって話していた。
「そもそも、好きで人殺ししてるわけじゃなし――」
男の発言などどうでもよかった。
彼女はただただ不運というものに打ちのめされていた。
テレビのワイドショーだろうがなんだろうが、起こるわけのない非日常が突然やって来ていたのだと心底その不運を呪った。
もうまともに思考ができないほど彼女は瀕死だったのだ。
だが、
『どうも人を食べようとした後もあるらしいんですよ』
それはただ、場を盛り上げようとコメンテーターが口にした言葉だったのだが。
(えっ?)
その発言が彼女の壊死しかけた脳を再度活発に働かせた。
確かに男は何かを食べている。ムシャムシャと音は確かにする。
肉のようなものを頬張っているのではないのか。
(えっ?)
浮かんだのは息子の笑顔だった。
殺人鬼は、息子を食べているのだと彼女は確信し、
「あ゛!!あ゛ぁぁあ゛!!!」
瞬間わけもわからず声を上げていた。立ち上がる力などなかったから、ただ声を上げて泣くしかできなかった。
あんまりだった。殺されて食われるなど、あんまりにもほどがあった。
何か悪いことをしたとでも言うのか。
「わっ!?」
死んでいると思っていた人間から声がしたせいだろう、殺人鬼は驚いて椅子から転げ落ちていたが、彼女にはそんなことはわからなかったしもうどうでもよかった。
殺人鬼のおぞましさや、無力への怒り、理不尽への憤り、言葉などでは言い表せない感情のうねりを喚くことで吐露していた。
「あぁ、ごめん。まだ生きてたんだ」
立ち上がった男は何故か謝っていた。
「苦しかったでしょ?本当にごめん。すぐに楽にしてあげるから」
慌てて手近にあった何かを掴んだようだったが、涙で視界をぐしゃぐしゃにしてただ彼女は泣きながら喚くことしかしていなかった。
だが、それもすぐに出来無くなった。
「すぐ楽にしてあげるからね!」
男は慌てながらも的確に、彼女の頭にフライパンでとどめの一撃を振り下ろしたから。
【幕間~柄忌捷因~】
ブンブンと蠅が飛び交う。
その数は異常だった。数千は居るだろう蠅の群れが、路地裏の一角で集まりうねっている。
その密度は濃く、その奥にあるものを見せないようにするかのような雲霞。
そんな異常。
不思議と誰にも発見されずにその現象は続いていて――
「犠守か……」
鈍い閃き。
唐突に蠅の群れに差し込まれた刃が振るわれた瞬間、爆発するように蠅が散り散りに舞う。
多くはボトリと落ちて死に、わずかばかりの蠅が中空を飛び退った。
「……賢しい真似を」
反吐を吐くように呟いたのは刃の持ち主――柄忌捷因。
蠅の舞っていた奥に目を向ける。
そこには、拳銃や剥き出しの現金紙幣、そういったものが無造作に置かれていた。
まるで誰かに拾ってもらうのを待つかのように。
「……」
追跡から一カ月と少し、殺人鬼はいまだにその姿を捉えさせては居ないが、
「……何を考えている荒罪」
捷因はポツリと呟いた。
【幕間~了~】
もし、あの世というものがあり、神というものがいるのだとしたら、彼女は神に問いただすべきだろう。
なぜ殺人鬼に加護を与えるのかと。
彼女がもし、あのまま身動き一つとらなければ、助からないまでも姉夫婦に事態を知らせることができたかもしれないからだ。
しかし、最後の最後で取り乱してしまった。
もう絶望で動くこともできなかったはずなのに、更なる絶望が無理やりに行動させたのだ。
ただ、その絶望は見当違いのものだった。
殺人鬼が食べていたものはその家にあった冷凍食品であり、そもそもその少年に食人主義などなかったのだから。
それは殺人鬼がさらに殺人を犯せるようにと何かが殺人鬼を護っているような偶然。
加護と言われても誰も疑うことのないような。
そしてその加護は──
返り血を浴びて凹んだフライパン見つめならが男はため息をついた。
「はぁ、悪いことしたなぁ。痛かっただろうに。僕は本当に人殺しの才能がない」
才能があれば苦しませずに間引けるのに、そんなことをぼやきながら、フライパンを丁寧にテーブルの上に戻す。
「……いくらくらいかな?」
さきほど失敬した冷凍食品と凹んでしまったフライパンを交互に見比べながら、彼は財布を取り出した。
「とりあえずこれでいいか」
財布の中から一万円を取り出してフライパンの横に置いた。
「これで十分かな?」
彼にとって人のものを勝手に使うことには抵抗があった。
だからいつも代金を払っている。
「多すぎるけど今細かいのないし、これでいいよね?」
誰に対するでもない問いを口にした時、チャイムがなった。
「誰だろ?」
警察かもしれないと言う考えはあったが、特に怯えはなかった。
「おばさん結構叫んでたから隣の人かな?それともセールスか警察の人かな?」
誰であれ、なんであれ、彼にとって人とは間引きの対象でしかない。
半分になるまで───
天災は過ぎ去るだけだ。