第一幕~66億分の…~
【第一幕前~柄忌荒罪~】
やぁ、こんにちは。
私の名前は柄忌荒罪。
大仰な名前だが、何もできない無能者だ。
有能者をただ見上げるだけの見上げた眼だ。
私は囁くことしかできない。
有益にならないことを、無益でどうしようもないことを。
だからこんな役をやっている。
私は無能な解説者だ。
私は回せない狂言回しだ。
私は舞台袖に佇むだけの黒子だ。
【第一幕前・了】
憎悪とは何か。
苦汁とは何か。
絶望とは何か。
蠅が一匹飛んでいた。
彼に何かがあったわけではない。
特別裕福な家庭に生まれた訳でも、特別貧困な家庭に生まれた訳でもない。
親は彼を愛しもしたし、時には煩わしく感じることもあった。
溺愛はされない。
虐待もされない。
ごく普通に愛された。
その親にも何も問題はなかった。
ひょっとしたら浮気の一度くらいはあったのかもしれないが、それでも温かな家庭が壊れることはなかった。
互いに不満はあり、しかし、それでも愛もあった。
友達も普通にいた。
よく遊んだ。
よく喧嘩した。
よく仲直りした。
学校には普通に行っていたし落ちこぼれる事なく普通に勉学を学んだ。
別に怠けたわけではなく、一生懸命やった結果が普通なのだから大きな不満もなかった。
親はとくに問題もなく彼は大人になっていくのだろうと思っていた。
友達は彼とただ仲良くしているだけだった。
教師は彼を普通に大勢いる中の一生徒だと思っていた。
彼の周りはそんなものだった。
普通の幸福と普通の不満と少しの不幸があるだけだった。
だから彼の周りの人達は何がなんだかわからなかっただろう。
彼に殺されたその時まで。
常々、彼は不思議だった。
人間は頭がいい。
人間は強い。
人間はすごい。
なのに、有能と敬われる人がいて、無能と蔑まれる人がいる。
優秀と持て囃される人がいて、愚図と罵られる人がいる。
何故かわからない。
会話ができて、読み書きができて、学習できて、知恵があって………
それなのに優劣をつけるのは何故か。
人は食物連鎖の中に現れた奇跡のような存在なのに。
しゃべること、物を持つこと、歩くこと、走ること、考えること、悩むこと、生きて生活するだけで人はすごいのだ。
なのに何故、優劣は生まれるのだろう。
彼は考えた。
彼は考えた。
彼は考えた。
そんなある日、彼は唄を聴いた。
親と一緒に見ていたテレビで人気アイドルが歌っていた唄。
アイドル達は、人は一人一人違う花を持っていると歌っていた。
その瞬間、唐突に、彼は気づいた。
一人一人が違う美しい花を持っている。
その通りだと彼は思った。
そして、常々考えていた答えがそこにあった。
簡単だった。
花が多すぎるのだ。
どんなに美しい花でも多すぎては優劣を付けたがる。
人は凄すぎて、だから増えすぎて、すごいのに平等でなくなったのだ。
なんだ、と彼は思った。
答えはすごく簡単だったのだ。
平等に見るには、間引きが必要だ。
だから、彼は全人類66億人を半分にしようと思った。
半分くらいにすれば誰だってきっとわかるはずだから。
人はすごくて素晴らしいのだということに。
最初は目の前の両親から。
6600000000-2がその日行われた。
【幕間~柄忌深林にて~】
ガチガチと鉄が叩かれる。
ジュウジュウと鉄が燃やされる。
柄忌捷因は変わらずに鉄を打つ。休みなく、淀みなく、変わりなく、この部屋で鉄を打つ。
そんな熱気溢れる室内でウジュウジュと百足が這っていた。
「捷因仕事だよ」
百足が何千と這い纏わりながら人の像を象っている。声はそこから聞こえていた。
「標的は殺人鬼だ。報道では53人と呼ばれているけれど、私の見立てではもう113人になるだろう」
ボタボタと地面に百足が堕ちては這い登り、さまざまな人らしいポーズを続ける。
「穏便に暗殺してほしいらしい」
「壊破にでもやらせろ。荒罪」
金打ちに混じって返ってきた声は存外投げやりだった。蟲の塊に振り向くこともせずに一心不乱に男は鉄を鍛えている。
それに対しての返答でもあるまいが、百足が一匹金切り声を上げた。別の百足にハラワタを食い破られて。
「壊破は壊れたんだ。いや、壊したんだ」
「ならば犠守でいいだろう」
「いやいや、今回は君だ」
声に重みもない。凄みもない。強制力などその声には微塵もない。
それでも、
「君がやるんだ。禍の捷因」
荒罪の決定は絶対だった。
無能無価値無意味無邪気、何も無い柄忌荒罪には誰も逆らえない。
【幕間・了】
ある日、彼はテレビを見た。
巷で話題の殺人鬼の話だった。
不思議だった。
自分の名を口にしたキャスターは不思議なことを言っていた。
虐待、イジメ、成績、劣等感、およそ彼には知り得ない彼の過去を口にしていた。
憎悪などない。
苦汁などない。
絶望だけはある。
蠅はぽとりと地に堕ちた。