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わかれのはなし  作者: くじら
4/6

4.立浪草


記憶障害の沙枝(さえ)

幸雄(ゆきお)のお話。


タイトルは

お花の名前です。


花言葉は「忘却」




彼女はある病に

かかっている。








「あ…

またやっちゃった…。」



買い物から帰って来た

沙枝は冷蔵庫の中を見て呟いた。


そこにはすでに

昨日買った牛乳が

二本あるが、彼女が手に持っている袋にも

牛乳が二本。



「しばらく牛乳には

困らないな…。」


「うん…ごめんね…。」



彼女は記憶の時間が

極端に短い。昨日買った牛乳のことも覚えて

いられないほどだ。


医者が言うには、沙枝は

脳が少しずつ失われる

病気らしい。


脳が失われることに

よって、最初に

欠落するのは記憶。


現に沙枝の記憶は

少しずつ崩壊、消滅が

進んでいる。



「でも、幸雄のことは

ちゃんと分かるよ!!

大丈夫、ちゃんと

分かるから…。」



沙枝はそう言いながら、

存在を確かめるように

俺の頬に触れた。


彼女は俺のことを

忘れたことが無い。


ただの一度も無かった。




------…………





「どなたですか…?」




心配だからと様子を

見に来てくれたのは、

沙枝と仲のいい親友だ。



「沙枝ちゃん…。」


「ごめんなさい…、

悪気は無いんです…。

思い出せないだけで…」



ついに沙枝は自分の

親友の記憶を失った。


絶望する彼女に対して、

彼女の親友は優しい

言葉をかけてくれる。

しかし、その夜まで、

彼女の悲しみが

晴れることはなかった。



「沙枝……。」


「幸雄…っ…!」



沙枝は俺の姿を見るなり

夢中で抱きついてきた。


「幸雄…っ…私…」


「大丈夫だ…。

沙枝は悪くないから…」



またひとつ記憶が

失われたことに気づき、

沙枝は悲しみに暮れて

涙を流す。


たくさんたくさん泣く。


しかし、ひとしきり

泣いたところで、



「…なんで………。」


「ん…?」


「なんで私…

泣いてるの…?」



自分が泣いてる理由すら忘れてしまった。


事実、彼女の記憶は

減退が一気に進み、

記憶を維持できる時間も

かなり短くなっている。



「ねえ幸雄…?」


「………。」


「幸雄…大好き。

大好きだよ…幸雄…。」


「…っ………。」



親友のことを忘れ、

泣く理由さえ忘れた

彼女だが、



俺のことは

絶対に忘れなかった。





------……




「あの…

どちら様でしょうか…?」




沙枝は鏡に向かって

ひたすらに問い続ける。


「誰ですか…?」



とうとう鏡に映る

自分自身さえも、

彼女はわからなくなって

しまった。


彼女の記憶の崩壊はこの数ヶ月で著しく進行。

欠落した記憶、損失した

脳が戻ることは

もう二度と無い。




「幸雄…幸雄…大好き」


「沙枝………」


「幸雄…私の大切な

幸雄…だぁいすき…。」



彼女にとっての俺は

唯一の確かな現実。


彼女のあやふやな

記憶の中に存在する、

たったひとつの事実。





「愛してる…幸雄…。」




自分自身をも

忘れた沙枝だったが、


俺のことは

忘れなかった。





----------




「沙枝。」


「……………。」


「沙枝…?」




沙枝はついに

返事をしなくなった。


ひたすら虚空を見つめ、

意識は霞がかかった

ように不確か。



「沙枝……。」


「ん…?」



ほら、来たぞ?

お前の唯一の現実…。


また名前を呼んで

すり寄ってくるんだろ?


「…………。」



ところが、沙枝は俺を

見つめたまま

固まっている。




「沙枝…お前……」




彼女の色のない瞳、

感情を失った眼差し、


俺は全てを悟り、

凍りついた。





「あの…

どちら様でしょうか…」






俺は知る。


忘却も別れなのだと。





---了




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