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第八話 ロビンの瞳


 クライヴの背中にしがみついて森の奥へ進むにつれ、ロビンはクライヴへの警戒心をすっかりなくしていた。

 最初はマレットを誘拐されたことを多少根に持っていたものの、ウサギは元気にしているか、という意外な問いかけでクライヴが口火を切ったことで、ロビンの抑えていた好奇心や疑問の数々に火がついてしまった。

 マレットのことをきっかけに、ロビンはクライヴに様々な質問をぶつけた。

 普段の森の中のことや、食べ物のこと、目の傷のことも聞いたけれど、やはりロビンの期待通り、戦闘時の負傷だと答えていた。

 そして最も意外な答えが、あの三匹のオオカミは仲間? とロビンが問いかけた時だった。

「私の息子たちだ」

 盛り上がった根を軽やかに避けて進みながら、クライヴがあっさりと答えた。

 その答えに息を呑み、ロビンは身を乗り出してクライヴを覗き込む。

「クライヴ、お父さんなんだ!」

「あぁ、みな養子だがな」

 クライヴは頷き、「拾い子だ」と付け加えた。

 その言葉に、ロビンははっと表情を曇らせる。

「捨てられていたの……?」

「母親が死んだのだ。森の入り口に居た」

 クライヴが答えると、ロビンはさらに表情を曇らせ、クライヴの背に顔をうずめた。

 そんなロビンに気付き、クライヴがふと歩みを遅らせる。

「僕もさ……拾われっ子なんだよ。森の近くで、メイファに拾ってもらったんだ」

 ロビンはクライヴの背に向かって、小さくつぶやいた。

 すると、クライヴは長い耳をぴくりと返し、背中でうずくまるロビンを振り返る。

「お前は不幸か」

 クライヴの唸るような問いかけに、ロビンはゆっくりと顔を上げた。

 潰れたクライヴの片目が目に入る。まるで刃物か何かで切りつけられたような、一生残るであろう深い傷跡だった。

「小僧、お前は捨てられたのかもしれない。あの子らと同じように、親が死んだのかもしれない。それでも、小僧、お前は生きているだろう。良い師匠と巡り合い、そして今日まで生きて来られた」

 それが不幸か? と問いかけてくるクライヴに、ロビンはぎゅっと唇を結んだ。

 そしてすぐに、不幸じゃない、と首を横に振る。

 僕には本当の親が居ないけれど、メイファが居るし、ミス・ロビンだって、マレットや子ウサギたちだって居る。

 修行は厳しかったけれど、毎日あたたかな料理が食べられて、お喋りをして笑い合える、かけがえのない人たちがいた。

 何気ない毎日だったけれど、いざ旅立つ時になって、そのありがたみがひしひしと伝わってくる。

「そうだね。僕って、結構幸せだ」

 ロビンは少し照れくさそうに笑い、再びクライヴの背中に顔を寄せた。


  *


 森の中を進んでいくと、はるか木の上で辺りに目を光らせているミス・ロビンを見つけた。

 ロビンが手を振ると、ミス・ロビンはロビンの乗っているものに悲鳴をあげて隠れてしまったが、クライヴがこうもりはまずいと発言したため、らんらんと目を光らせつつも、二人のもとへ戻ってきた。

 それからもオオカミの駆け足で森を進んだが、一向に出口の見える気配はなく、行き過ぎるのは苔むした木の幹ばかり。同じ景色に退屈していたロビンには、すでに旅立ちから何日も経ったように思えた。

 あちこちが痛いと訴えていたロビンが背中の揺れに慣れ、いつの間にかウトウトし始めた頃、ようやく木々の隙間に光が見え始めた。

 黒く茂った枝の間から、青空がまばらに覗き、時々少数の鳥の群れが枝の額縁の中を通り過ぎていく。

「そろそろ出るぞ」

 クライヴの呼びかけに、半分眠っていたロビンははっと体を起こした。

 頭に乗っかっていたミス・ロビンに「よだれを拭って」と叩かれ、ロビンは口元を拭いつつ、ぼやける目を擦ってクライヴの前方を見つめる。

「本当?」

「あぁ」

 クライヴが唸るように返事をし、ラストスパートをかけた。

 ぐんと加速した足に合わせ、ロビンを乗せた背中も大きく揺れる。心なしか細くなった木の幹たちがぶれながら後方へと送られ、風がしがみついたロビンの頬を切っていく。

 目の前を遮る最後の大木を避けると、とたんに目の前が明るくなった。

 待望の太陽との再会に、ロビンは歓声をあげ、クライヴの耳を押しつぶして身を乗り出した。

 抜けるような青空が、ロビンの色の違う両の目に映る。ミス・ロビンは元気を取り戻した相棒にほっと息をつき、ロビンのフードに滑り下りた。

「ありがとう、クライヴ」

 森を完全に抜けた後、ロビンはクライヴに礼を言い、クライヴの背中から飛び降りた。

 強張った手足を伸ばし、太陽を見上げる。その位置から、旅立ちから思ったより時間は経っていないことがわかった。

「ロビン」

 おかげで助かった、と礼を言おうと振り返ると、クライヴが初めてロビンの名を口にした。

 ゆっくりと歩み寄ってくるクライヴに、ロビンは身を屈める。

 すると、クライヴはロビンの色の違う両の目をわざわざ片方ずつ見つめ、鼻を鳴らしてつぶやいた。

「お前のその目は、これから多大なる困難を引き起こすだろう」

「目?」

 突然の忠告に、ロビンは首を傾げた。色の違う目を丸くするロビンに、クライヴは「知らんのか」と片目を細める。

「私は、お前のように人でないものの声を聞くことのできる人間の存在を、耳にしたことがある」

 その発言に、ロビンは目を見開いた。

 そして弾かれたようにクライヴに飛びつき、毛むくじゃらの顔を無理やり持ち上げる。

「本当!?」

「あぁ、私はお前に嘘をつけん。いや、感情を持つすべての生物がそうであろう。放せ」

 クライヴは顔を潰され牙をむきながら、唸るように答えた。

 ロビンは一瞬嬉しそうに目を輝かせたが、すぐに顔を顰め、クライヴを放す。

「感情を持つすべての生物って……?」

「オオカミも、こうもりも、ウサギも、もちろん人間も例外ではない。ロビン、お前のその瞳は、生物の心のうちを読むのだ」

 ただし、黒いほうだけだろう、と付け加えるクライヴを疑わしげに見つめながら、ロビンは右目にそっと手を当ててみた。

 クライヴがまだ何か言っている。しかし、今度はオオカミの微かな唸り声にしか聞こえない。

 まさか、そんな。そう思う反面、確かに思い当たるふしがいくつかあった。眠っている時など、目を閉じていた時は、起こそうとするミス・ロビンの声を聞いたことがない。いつも引っかかれて目が覚めるのだ。

 ロビンが手を離す。すると、クライヴの言葉が戻ってきた。

「私が知っているものは、読眼と呼ばれる、嘘、ごまかしのきかぬ目だ」

「ど……読眼?」

「そう、生物の心そのものを見つめ、言語の違う生物の言葉も読み取る。多くは熟練の魔法使いが、召還物と契約した時にのみ手に入れられるものだと聞いた。だがお前のようにその眼を生まれ持った者や、人以外の生物と会話のできる人間は、そういないだろう」

 クライヴの説明を聞きながら、ロビンは混乱しかけた頭の中で、様々なことを思い返していた。

 そうだ、もし、僕の目がクライヴの言う、“読眼”だとしたら、不思議に思っていた色々なことの説明がつく。

 メイファがミス・ロビンと会話できなかったわけも、こうしてオオカミと僕が会話できているわけも、ミス・ロビンの発言が、いつも遠慮を知らず直球なわけも。

「でも……僕、これが普通だと思ってた」

 ロビンは呆然と呟き、また右目を隠し、開いてを繰り返す。

 そんなロビンを見上げ、クライヴが頷いた。

「それで良いのだ。お前はお前だ。お前のその目を、私はおかしいとは思わん。むしろ、その漆黒の瞳に感謝しよう。一人の魔法使いの友人に出会わせてくれた」

 クライヴがそう言って、ふっと口元を緩めた。

 そんなクライヴに、ロビンはきょとんとしたが、すぐに嬉しそうに頷いた。

 マレットとミス・ロビン以外の、外の世界でできた初めての友達だ。

「僕さ、今のままじゃ力が足りなくて何もできないけど、世界中を回ったらさ、きっとここに帰ってくるよ。そうしたら、この森がいい森になるように、すっごい魔法をかけてあげる」

「ではそれまで、ウサギは我慢してやろう」

 ロビンは頷いて、クライヴに手を差し出した。

 ロビンの手のひらに、クライヴが頬をすり寄せる。奇妙な握手の後、クライヴが首をロビンの手のひらにすりつけた。

 硬い感触があり、ロビンはクライヴの側に屈み込む。長い毛並みの下、首に何か巻きついているようだ。

 クライヴは「取れ」とロビンを促した。

「昔使っていたものだ。お前にやろう」

 ロビンは言われるままに、クライヴの首に巻きついていたものを取り外した。

 どうやら眼帯のようだ。古く使い込んではいるが、紐はしっかりとしていて、まだ利用できる。目に当てる部分は分厚い皮で、何か模様が捺してあったようだが、こすれてほとんど読みとれなかった。

「この先、お前は様々な人間や動物と出会うだろう。その眼は便利でもあるが、時に酷な真実もお前に伝えよう。それを知るのは、まだ早い。普段右目は隠しておけ」

 片目の潰れたクライヴを横目で見ながら、ロビンは眼帯を裏返した。

「ふうん……でもなぁ」

「考えてもみろ。何も考えない時間など、お前たち人間にあるか? ないだろう。人という生き物は、いつでも忙しなく何かしら考えを巡らせているものだ。それらすべてを、お前は聞いてしまう。どうだ、人の多い村などに行ったら、どれほどのざわめきが聞こえるか」

 クライヴにそう言われ、ロビンは再び紋章の側に返した。

 たくさんの人が周りに居る状況――すぐに想像できるのは、マレットの子ウサギたちに囲まれた時のことだ。一匹一匹がまったく同時に別々のことを伝えようとするから、混乱して頭を抱えたことは何度もあった。

 クライヴの言うことが本当なら、それが何十人、何百人にも増えて、きっと怒ったメイファのガミガミ声なんかも加わって――そうしたら、きっと大変なことになるに違いない。

「わかった、してるよ」

 ロビンは苦笑いし、右目に眼帯を当てた。

 クライヴが頷く。何も聞こえなくなったので、ロビンはもう一度眼帯を離した。

「でも、そうしたらミス・ロビンとも会話できなくなっちゃうね」

「大丈夫よ、私とあなたは何年一緒に居ると思っているの?」

「あぁ、彼女は賢い。そのたびに何らかの方法を思いつくことだろう。どうしても必要ならば、必要な時にだけ、人の少ない場所で会話すればよかろう」

 思いがけずクライヴに賢いなどと言われ、ミス・ロビンが怯んだ。

 しかしすぐに嬉しそうに一回転し、照れ隠しに辺りを飛び回り始める。喜ぶミス・ロビンを横目に、クライヴはロビンの足へすり寄った。

「旅は辛いぞ。出会いもあり、別れもある。出会うものすべてが良いものとはいえないかもしれん。それでも、旅立つ覚悟はあるか?」

「うん……きっとある」

 クライヴの問いかけに、ロビンは曖昧な返事をし、それでもしっかりと頷いてみせた。

 そして長年共に生きた魔の森を包み込むように、大きく両手を広げてみせる。

「僕の旅は修行の続きだ。僕が一人前になった証を、いろんなところで残してくるつもりだよ。いろんなものを見て、いろんなことを学んで、絶対に立派になって帰ってくる」

「誓ったな。では数十年後、友人が大魔法使いになっていることを期待しよう」

 クライヴはそう言って牙を覗かせ、宝石のような青い瞳をふっと細めた。

 名残り惜しそうにロビンをくるりと一回りした後、軽く尻尾を振り、三匹の息子たちのもとへ帰っていく。

 大きな銀狼の背中を、ロビンは眼帯を握りしめ、いつまでも手を振って見送っていた。




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