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第四話 銀毛のクライヴ


「このまままっすぐ?」

「えぇ」

 ロビンはミス・ロビンと共に、母親ウサギのマレットのにおいを追った。

 必死に駆けながらも、嫌な予感ばかりがロビンの脳裏をよぎる。

 もし手遅れだったら? もしマレットがオオカミに食べられちゃっていたら?

 ロビンはそんな不吉な予感を振り払い、がむしゃらに泥の道を駆け抜けた。

 丁寧に木を払った空き地とは違い、太陽が当たらず、足元はぬかるみ、泥が跳ねる。すでに三度は転びそうになった。

「食べられちゃってたらどうしよう」

 ロビンの一歩先を行きながら、ミス・ロビンが遠慮なくつぶやく。

 デリカシーのかけらもないミス・ロビンに、ロビンは腐った木の枝を避けながら言い返した。

「そんなわけないよ。だって僕が育てたんだよ、マレットは」

「だから怖いのよ」

 どういう意味さ、と問いただす間もなく、向こうの木の影で何かが動く気配がした。

 泥に滑りながら慌てて急ブレーキをかけ、ミス・ロビンを引っつかんでその場に屈み込む。

 ミス・ロビンがロビンの手の中でキーキー声をあげたので、ロビンはミス・ロビンをローブでぐるぐる巻きにしてポケットの中に押し込めた。

 見間違いじゃなかった。泥に汚れた銀毛が、背を丸めてゆっくりと森の奥へ入っていく。間違いない、オオカミだ。

「どうしよう」

 ロビンは悠々と尻尾を振って行くオオカミを見つめながら、ぽつりと呟いた。ミス・ロビンがポケットの中で暴れている。

 どうしようったって、行くしかない。だって今にもマレットが食べられちゃうかもしれないのに!

 ロビンは息を殺して立ち上がり、音をたてないようオオカミを追って泥の道を進んだ。

 壁のように行く手をふさぐ、ひときわ大きな幹の影にオオカミが入っていく。ロビンはポケットの中のミス・ロビンをさらに押し込め、変身させたナイフを握り直した。

 後ろからちょっと脅かせばいい。生き物を殺すのは苦手だから、かえせってちょっと脅せばいい。

 ミス・ロビンがポケットの中で暴れている。ロビンはまた押し込もうとしたが、今度は間に会わず、ミス・ロビンが顔を突き出してしまった。

「ロビン!」

 ミス・ロビンのあげたキーキー声に、ロビンはあっと息を呑む。

 慌ててポケットを押さえ、ミス・ロビンを締めあげた。

「もう、大人しくしててよ!」

「違うわ、後ろよ!」

 その言葉に、ロビンは素早く振り返った。とっさのことに足元を泥にとられ、体がガクンと沈む。

 次の瞬間、銀色の大きな体がロビンの目の前を飛び越えていった。

「うわああ!」

 ロビンは思わず声をあげ、慌てて立ち上がった。そのすきにミス・ロビンがポケットから飛び出て、ロビンの頭の周りをぐるぐる飛び回り始める。

「だから後ろに行ったって言ったのに!」

「聞こえなかったよ!」

 大きな銀毛のオオカミが、しなやかに着地してロビンのほうを振り返った。

 サファイアのような青い瞳がぎらりと光り、片方の目は大きな切り傷でつぶれている。

 そして汚れた大きな口には、ぐったりとした母ウサギのマレットがぶらさがっていた。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう! ミス・ロビンが喚きながら、ロビンの頭の上を飛び回る。

 ミス・ロビンにわからないということは、とうぜんロビンにもまったく策がない。

 ロビンは自分が完全にパニック状態になる前に、作り出したナイフを握りしめ、なけなしの勇気を振り絞った。

「マ、マ、マレットをかえせぇ!」

 ナイフを突き出し、遠巻きに叫んだ。

 しかし、獰猛なオオカミを前に声はかすれ、とてもオオカミがしっぽを巻いて逃げるほどの迫力はない。

 オオカミはじっと動かずにロビンを観察していたが、やがて青い目を細めると、そっとマレットを地面に置いた。

 そして耳の近くまで裂けた口角を持ち上げ、ニヤリと笑う。

「そのちっぽけなナイフで、どうしようというのだ」

 腹の底をゆさぶるような低い声で、オオカミはロビンに問いかけてきた。

 ロビンは首を傾げ、汗ばむ手を拭ってもう一度ナイフを握り直す。

「どうしようったって、どう……どうしようもないけど」

 ロビンの間抜けな返答に、オオカミはむずむずと口を震わせ、そして大声で笑い始めた。

 魔の森に響き渡る恐ろしい咆哮、大きな口にずらりと並んだ鋭い牙に、ロビンは震えあがる。

 しかしすぐに逃げ腰になった足を踏ん張り、可笑しそうに笑うオオカミを睨みつけた。

「小僧。お前、私の言葉がわかるのか」

「わかるよ。だって僕、人間だもん」

 ロビンはきっぱりと答えながら、少しでもマレットの近くに行こうと距離を詰める。

「人間は人間以外の言葉はわからないだろう。脳みその出来が違うからな」

「そんなことないさ。僕はわかるよ。メイファは魔女だからわからないけど」

「魔女だから? 魔女だって人間だ。人間は私たちの言葉を知らないはずだ」

「じゃあメイファは特別なんだ」

「違う、森の外にも私たちの言葉がわかる人間は居やしない。特別なのは小僧、お前だ」

 わけのわからないオオカミとのやりとりに、ロビンはいらつきながら、小さく首を横に振る。

「僕は特別なんかじゃないよ。ただの魔法使い見習いだもの」

「そうか、魔法使いか。そのちっぽけなただの魔法使いが、オオカミからウサギなんぞを取り返そうというのか」

 オオカミはそう言って、わざと咆哮をあげてみせた。

 ロビンはビクッと震え、思わず一歩後ずさりする。

「そ、そうさ。マレットを、か、かえして」

 ロビンは声を震わせながらも、ナイフを突き出して精一杯の抵抗を見せつけた。

 しかしオオカミは怯えるロビンをからかうように、残った片目をにやりと細める。

「なぜ?」

「な……なぜ? なぜって……」

「私は今腹が減っている。こいつを食って何が悪い?」

 オオカミは泥の中に倒れるマレットを鼻先でつつき、ロビンに向かってきっぱりと言った。

 これでロビンの反論する余地はなくなった。いくら強がっていようと、ロビンは怯んで逃げていくだろう。オオカミはきっとそう思っている。

 しかし、その言葉でロビンはキッと眉をつり上げた。そしてちっぽけなナイフを投げ捨てると、つかつかとオオカミのほうへ歩み寄った。

「じゃ、じゃあ僕を食べればいいじゃん! 腕でも足でも、なんでも持ってけよ!」

 ロビンは色の違う両の目でオオカミを睨みつけ、大声で言い放った。

 オオカミは腕を突き出したロビンを厳しい目つきで見つめ、牙の間から言葉を漏らす。

「ウサギ一匹の身代わりに、自らを差し出すというのか。そんなにウサギが大事か、小僧」

「あぁ、大事だよ。だって小さな頃から僕が育ててきたんだもん。それにマレットには子供が四匹も居るんだ。連れて帰るって約束した」

 ロビンの硬く握ったこぶしが、小刻みに震えている。身一つで、真っ向からぶつかってきたロビンを見つめたまま、オオカミは一歩たりとも動こうとしない。

 ロビンもまた、オオカミの残ったサファイアの片目を、負けじと睨み続ける。

 とても長く感じられた緊迫の時が過ぎ、やがてそれは、オオカミがふっと零した笑みで終わった。

「小僧、お前の名前は」

 心なしか棘の抜けた声で、オオカミがロビンに問いかける。

 ロビンはまだ緊張の束縛から開放されないまま、ごくりとつばを飲み込んだ。

「ロビン」

 短く答えると、オオカミはマレットをそっと咥え、ロビンのほうへ放り投げた。

 ロビンは慌てて泥だらけのマレットを受け取る。まだ温かい。気を失っているだけのようだ。

「私はクライヴ。今日はお前に免じてウサギを放してやる。だが次はないぞ。油断ばかりしていると、弱い者は食われるだけだ」

 オオカミはそう唸り、銀色の尻尾を大きく振った。そしてロビンたちに背を向け、魔の森の奥へと駆けていく。

 遠ざかっていく銀毛が闇に紛れると、ロビンはようやく呼吸を取り戻した。

「た……食べられるかと思ったぁ……」

 極度の緊張から逃れ、へなへなと泥の上に座り込む。そんなロビンのもとへ、ミス・ロビンが近寄ってきた。

「あぁ、びっくりした」

「びっくりも何も、今までどこにいたのさ、ミス・ロビン」

「木の上よ。だって食べられちゃったら嫌だもの」

 正直者のミス・ロビンに、ロビンは鼻の頭にしわを寄せ、やれやれと肩をすくめた。

「やだやだ、女って薄情だ」

 ロビンはそう言ってマレットの体をローブで包み、秘密基地へ向かって歩き出した。


  *


 マレットがようやく意識を取り戻したのは、泥沼のような道を歩いて抜け、ロビンが秘密基地へ着く頃だった。

 オオカミに襲われたというあまりの恐怖で気を失っていただけらしく、心配していた怪我はどこにもなかった。

 人間がしゃしゃり出てきたにせよ、捕まえた獲物を傷つけずに逃がすオオカミなんて、見たことも聞いたこともない。

 ロビンは銀毛のクライヴの思惑が理解できなく、マレットと子供たちの再会をぼんやりと見つめながら、頭の中ではあの銀色のオオカミのことばかり考えていた。

 やがて日が傾き、空が茜色に染まる頃には、マレットも四匹の子供たちもロビンに礼を言い、森の住み家へ帰っていった。

 ロビンはさんざんぐずっていたが、空腹に耐え切れなくなったミス・ロビンに急かされ、重い腰をあげて鬼の待つ家へと足を進めた。


  *


 重い足取りで森を抜けると、夕暮れのやわらかな空気と共に、おいしそうなシチューの匂いが空き地に漂っていた。

 ミス・ロビンは嬉しそうに鼻をヒクヒクさせ、ロビンを追い越して明かりのついた家へと向かう。

 謎の液体のち固体でがちがちに封鎖されていた扉も今は開けっ放しになっており、どうやらメイファは機嫌を直してくれたようだ。

 ロビンはほっと胸を撫で下ろし、ミス・ロビンを追って我が家へ帰っていった。

「おかえり、ロビン」

 扉を閉めると、機嫌の良さそうなメイファの声がキッチンから聞こえてきた。

 珍しく調子外れの鼻歌まで披露している。何がメイファの機嫌を良くしたのかはわからないが、とりあえず今夜は食料にありつけそう。

 前掛けで手を拭きながら、メイファが笑顔で迎えに出てくる。

 しかし帰ってきた弟子を見たとたん、メイファの笑顔が凍りついた。

「――ロビン!」

 雷が直撃したかという怒号に、ロビンは思わず飛び上がった。

 メイファはロビンに駆け寄り、ロビンのローブのすそを引っ張り上げる。

 ロビンは転びそうになりながら、鬼のような形相に戻った師匠を振り返った。

「もう、こんなに汚して! ブーツも酷いじゃない! 飛び足を使わなかったの!?」

「使ったよ、行くときはね。今日はちょっと大変だったんだ」

 ロビンはもごもご言いながらローブを脱ぎ、メイファの指示通り外に出てこびりついた泥を叩き落とした。

 メイファは服の中まで泥だらけのロビンを力いっぱい叩いて汚れを落とし、パチンと指を鳴らして、脱いだブーツとロビンをいっぺんにひっくり返して泥を振るう。

 そんな夕暮れの大騒動を、ミス・ロビンは安全な家の中の梁にぶら下がり、愉快そうに眺めていた。

 ロビンはむっと顔をしかめたが、喧嘩をする気にもなれず、ただ目の前に広がる夕闇と黒い森を見つめ、盛大なため息を漏らした。

「ねえ、メイファ……オオカミって、結構優しかったりするのかなぁ」

 突然意味不明なことを言い出すロビンに、メイファとミス・ロビンは顔を見合わせ、何なのかしら、と首を傾げた。




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