005 役所と暗黒液体
流れ的に、次の目的地は寝床となるであろう場所を予想していたのだけれど、そんな予想は見事なまでに大外れし、周囲の俺を見る目も嫌悪の対象たる堕ち人を見る目ではなく、ウサギの人形を抱き抱える痛い奴に代わり、服装の大事さを知りつつ全く知りたくも無い何か大切なものが壊れて行く様子を実体験で知って行くという半場拷問のような道のりの先にあったのは役所だった。
何故こんな所に。
そう思う俺だが衣類の提供は(レディースではあったが)確かにあった訳で、このままついていって大丈夫だろうと言うことでファイナルアンサー。
この世界……いや国か? どちらにせよこの場所でのルールに精通していない俺は事情を知るエンゼルに付いて行くのが最前なのだと思う。
そう考えていたのが約十分前の出来事な訳だが。
「ああ゛あ゛ああああ゛あああああああ゛ああああああああああ゛あああああ!?」
今現在、俺は絶叫していた。
カウンターの上に居るエンゼルの長い耳へ直行する位置取りでの叫びはエンゼルの長くも小さな耳では収まりきらずに役所内に響き渡り、普通に迷惑な行為であっただろうが叫んだ側の人間からしてみれば、かなり本気で拙いことだった。
どうしてこうなった。
そんなことを考えずにはいられない事態。
一先ずは十分前に戻って思い返してみようと思う。
まず、役所の窓口、カウンターの前で椅子に腰かけた時の事だった。
目の前にいる職員とエンゼルが恐らくは俺の事であろうことを俺の与り知らぬところで話す中、本来聞いていなければならなかったであろう俺は華麗に聞き流していた。
その理由を挙げるとすれば、単純に睡魔が襲って来たからとしか言いようがない。
何故かは分からないが、書類上どうのこうのという話が始まってすぐ、俺の体は拒否反応を起こす様にスリープモードへ突入せんと働き始めたのだ。
だがこんなところで寝てはならないと踏ん張った為に何とか眠る事は回避することが叶ったのだ。
しかし、結果としてそのせいで話の大半を聞き流し、恐らくされたであろう説明を何一つとして理解出来ていないという事態を生み出してしまったのだ。
この時点で俺が完全に悪い訳だが、本気で分らない次元で睡魔が襲い掛かって来たのだ。
つい数秒前まで眠く無かった筈なのに、椅子に座って職員とエンゼルが放し始めた途端にあら不思議、ラリホーでも掛けられたんじゃないかという程の人工的といっても遜色ない睡魔が襲い掛かって来たのである。
まあ過ぎてしまったことは仕方が無い。
どうにも今から俺を交えて何かやるようだし、手を動かしていれば眠らずに済むだろう。
「ではまず、貴方はこの国での滞在を所望しますか?」
「するのか?」
「しとけ。別に去る者は追わないにゃ」
「分かった」
「では此方に記入を」
職員の言葉と共に、用紙への記入を行う。
一応、念の為ということで用紙に書かれていることを速読し、問題が無いかどうかは確認している。
エンゼルは信用に値するのだろうが、この役所という所で形成されているシステムが信用に値するかどうかは別な訳で、念には念を入れるべきだろう。
……なら寝るなよって話だが。
まあ兎にも角にも、記載された内容に問題は無さそうだ。
これで白ペンやら炙り出しといった細工がされていたりしたら……なんてのは流石に無いと思いたいが。
「では次に、ダンジョンへの挑戦を希望しますか?」
「………………ダンジョン?」
「我が国にはダンジョンといういつの時代からか存在している迷宮が存在し、そこへ入るのには国の許可が必要となっております。挑戦される場合には免許が発行されることになっております」
「迷宮……つまりはアレか。命をチップに大冒険か」
「はい、一攫千金狙えます」
職員結構ノリいいのかも。
いや、そんなのはさて置きダンジョンか……どうやって金を稼ごうかと思っていたが、まさかそんな手があったとは。
正直な話、先程の様に睡魔に負けてしまうようでは事務業が向いているとは到底思えないし、こういう道があるのならこういう道へ進むのも手だろう。
「ただ、ダンジョン内には多くの魔物が蔓延る為、戦闘能力が必須となります。免許に関しても発行後、年間で更新料の支払いが必要なってきますので取り敢えず発行しよう、というお考えならおやめになった方が宜しいかと」
「そんな奴も居るのか」
「はい。そんな奴は遊び半分でダンジョンへ入り、一階層で魔物達よりリンチに合って死亡しました」
一階層で……か。
話の流れからダンジョンというものには何階層かに分かれていることが分かるが、ふざけ半分で入れば一番最初の所でも人生からご退場って訳か
。
成程、成程? そりゃあ恐ろしい所なんだろうなぁ……恐ろしい、恐ろしいね……ククッ。
それは……タノシミダ……タノシミダゾ……ダンジョン゛ン゛ン!
「千壌土様?」
「はっ!? ……俺はダンジョンに挑戦する」
よくわからないが、どす黒い感情に呑み込まれていた気がする。
有り得ない程に溢れ出る冒険心……だろうか? よくわからないが俺は本質的に死地へ向かうことを切望しているらしいな。
……俺の人物像が、脳筋になって行く。
こんな細身の体に傷一つ無い顔をしているのに……記憶を失う前の俺って一体……?
「畏まりました。では免許を発行させて頂きます」
職員はパソコン画面を見ながらにキーボードを叩き、何かしらのデータを入力しているようである。
此方側からは画面を覗き見ることも叶わない為に正確なところはよくわからないが、話の流れ的に俺の免許に関する事だろう。
「免許の発行には一日掛かりますので、明日此方まで取りに来てください」
「分かった」
「では次に、住居はどちらになられますか?」
「住……居?」
廃ビルに寝泊まりする予定です!
…………言えねぇ……というかそんなこと自信満々に言える奴なんて居るのか……?
しかも、多分だがそういうことじゃないよな、住所のこと言ってるんだよな。
一応あの場所も(公共の場所とは言い難いから)私有地だろうし、こういう場所で言うべきじゃないよな。
もろ退去命じられちまうよ。
ど真ん中ストライクだよ。
「●●地区の●●■■23-242にゃ」
「え?」
なんて?
「●●の……畏まりました」
何が? 俺の知らない所で話が進んでいくよ? 多分俺の事だよね? 俺の事で合ってるんだよね?
カオスだ……全然分からない。
そんな俺を置いてけぼりにして話は進み、何時の間にか住居の話は終わっていた。
……コレで大丈夫なのか?
「では最後に、インテリジェンスカードを提示して下さい」
「intelligence…………? 何を言っているんだ?」
「ほら、あれよ。何だっけ……ほらーあの……そう! 天界人が言う所のステータスカード。アレを出せばいいのにゃ」
場所によって物の名前が違う。
それは普通にあることだが、あの狸顔の男がステータスカードと呼んでいただけに呼び方は同じと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
恐らくは身分証明に使うのだろう。
全く持って便利だが、俺の場合便利ということの他にもステータスカード……こっちではインテリジェンスカードだったか? これの必要性がある。
第一に、これが記憶を失う前からの私物であるということだ。
これは今後、何かしらの理由で俺を俺と知らせるのに役立つ可能性が高い。
第二に、これから情報を引き出せる可能性があるということだ。
どうにもインテリジェンスカードというものは解析不能の物体で出来ているようであり、これを解析することが叶えば俺の事も分かる可能性がある。
この辺はやって見なければ分からないが、やってみれば分かるかもしれないと言う結構大きな可能性が眠っている。
まあ兎にも角にも、今はカードを提示するのが先か。
俺は鞄を弄りカードを取り出して職員に渡す。
職員は、受け取ったカードを手に取って何かを確認した後、何故かコップを取り出しその中にカードを入れる。
「貴方は千壌土久遠様で間違いありませんね?」
「先程アンタもそう呼んでいただろう?」
何を今更。
そういえば名乗っては居なかったが……エンゼルの口から聞いたんだろうな。
話さえ聞いていればその辺のことも分かったんだろうが……睡魔め。
「では、行きます」
何処へだ?
そんなことを考えていた俺だが、次の瞬間にはそんなことを考えている場合では無くなる。
職員は何やら厳重に保管してある小瓶から一滴、ステータスカードに垂らした。
するとなんてことでしょう! 驚くべきことにカードの形状をしていたそれがみるみる内に黒い液体へ早変わり! うわービックリー…………。…………!?
「ああ゛あ゛ああああ゛あああああああ゛ああああああああああ゛あああああ!?」
俺は絶叫した。
そして冒頭へと戻る。
「何しとくれとんじゃおんどりゃぁぁ!」
最早完全に液体と化したそれは、コップに収まって水面をユラユラ揺らしている。
「ちょ、落ち着きにゃ。大丈夫だからさ」
「落ち着けってちょ、お前これ……唯一の記憶の手がかりやぞ!?」
取り敢えず、考えていた事全て無にされちまったな。
冗談抜きでコレはないだろう。というか、固体だったカードを一瞬にして液体にまで変えるってかけた液体一体何だったんだよ。フルオロアンチモン酸とか?
「それでは次に、このコップに入った液体を飲み干して下さい」
「そしてこの無茶振りである」
しかも、俺の魂の叫びは完全スルー。ガン無視である。
いや、正確に言えば職員の顔には嫌な汗が出てきているが、なんとか顔に出すまいと頑張っている。
その心は『やべぇよまさかここまでの反応されるとか思っても見なかった。やっぱ説明端折ったのが拙かったよな、これはしっかり説明するべきところだった。……しかもこの人の場合は結構重い理由もありそうだし……抗議されたらヤバい、終わる』とか考えている。
説明不足で文句つけられたらそりゃヤバいか。
…………何とか回避しようとしてるけど、これは流石に少し酷い目に会った方が良いと思うな。
俺がギロリという擬音と共に職員のを睨みつけると、職員は全力で顔を逸らす。
現在、というかさっきから、俺の過度なリアクションのせいで俺達は悪目立ちしている訳で。
今この場で説明の不備やらなんやらの苦情をぶつけたらこの職員はどうなるだろうなんてことは想像に難くない。
「まあ落ち着きにゃ。やっちまったもんはしょうがなし、他の方法を探せばいいわ」
「他に方法が無かったら?」
「…………ま、まあ取り敢えず飲め」
「えっ」
何やら不穏な空気である。
どうにも説明不足の理由はエンゼルにもありそうな反応であり、説得に失敗したから力技に移行した、という感じ。
差し出されるコップに収まった黒い液体。
本当に真っ黒で、正直な話コレが食用であるとは到底思えない黒さである。
「良いから飲むのにゃ」
「えっ、ちょ、止め、あっ────────!」
その後、俺が元インテリジェンスカードだった液体を飲んだかどうかは定かではない。
ただ一つだけ。
輪ゴムのような味だった……とだけ言って置こう。