003 服屋の女流歌人
エンゼル・シルバー&ゴールドはその姿を見る限りウサギである。
ただそんな容姿の造形とは裏腹に、言動は痛々しくも語尾に『にゃ』とつけるそれは猫の様であり、本来発情期の時のみ『グーグー』とのみ鳴く兎とは思えない程にエンゼルは饒舌な喋りをしていた。
一見するとエンゼルはぬいぐるみであり、正直なところとてもじゃないが生物には身ぜず、造形物の域を超えられていない。
だって皮膚が『布』だし。
だって『わた』はいってそうだし。
口は動くし目立ってしっかりとは言い難くもボタンでは無い所を見れば視覚することが叶っているのだろうが……縫い目あるし。
兎だけに兎にも角にも、そんな正体不明な生物|(?)を前に、俺がどういった反応をすればいいのか、なんてのは一目瞭然だったが、俺は敢えてそのセオリーをぶち壊す。
「良いことって、寝床の確保とか出来るか?」
「あーハイハイ、ワタシに任せにゃ。ついでに衣服もつけてやるからさっさとしにゃ」
マジでか。
俺は一度ゴブリンの棍棒と鉄の剣を地面に置き、柔らかなエンゼルの体を抱き上げ、普通の人形を抱くようにではなく、生き物を、子供を抱っこするようにして持ち上げてほぼ皆無の重量にエンゼルが見た目通り人形であることを確認する。
これで容姿から推測される重量との違い、つまりは自己の知識内に存在する人形との違いは、喋るか否か、動くか否かのたった二つだけになった。
この程度の違いなら何の問題も無い。
何故かは分からないが、過去にエンゼル以上に摩訶不思議な……そう、言うなれば某組織によって殺戮兵器として開発された全長十メートルは下ら無かろうぬいぐるみの隊群と激戦を繰り広げられた気がするからだ。
……ただ、俺の年齢は十九歳である筈なのに、戦いを繰り広げたのは数十年前な気がするのだ。
見た目的に何十年も生きているとは到底思えないのだが……。
「ちょっと……こんな抱き方されたら前を見るのに首が疲れっちまうにゃ」
片手で事足りたことを幸いと感じつつ、棍棒と剣を片手で持った俺にエンゼルは言った。
……というか俺の手でかいな。この二つを片手でって結構凄いぞ。
それはさて置き。
「……じゃあどうしろと?」
肩車でもするか?
ただそれだと、エンゼルの足は短い為にエンゼルが自身の力で俺の頭にでもしがみ付かなきゃいけなくなるだろうな……なんて阿呆なことを考えていた俺にエンゼルは平然と言う。
「腕を組む様にしてその中にワタシを入れにゃ。あんまし力入れんにゃよ? 内蔵飛び出る」
あるの? 内蔵あるの?
まあ衣食住の内の衣住を提供してくれるというのだからそれ位の要望はお茶の子さいさいに呑む訳だが、いい歳した男がウサギの人形抱き締めて歩くビジュアルを想像すると軽い嘔吐感が俺に迫る。
幸い、実行するのが俺であるからその様子を自らが目にすることはないだろうが、周りの目はどうなるか、なんてのはあまり想像したくないが想像に難くない。
等と、どうでも良いジレンマを感じつつ、俺はふと重大な事実を思い出す。
「あ、だがどうにも俺の服は血塗れなんだが」
「そんなの見りゃ分かるにゃ。もう乾いてるし問題無し、モーマンタイって奴よ」
最後、語尾に『にゃ』を忘れている事にはツッコミを入れまい。
ウサギにはウサギの事情が……そう、自己に強いたキャラ設定があるのだ。
ウサギが猫っぽくするだなんて無理が祟って然るべき。たまに忘れるくらい良いじゃないか。
「何生暖かい目でこっちみてんのにゃ」
「いや別に。……あ、俺今片手に剣と棍棒持ってんだけど」
「鞄中にでも突っ込んどけ」
そんな無茶な。
そう思いながらも無理だという事実を見せつける為、腰に着けた大き目の鞄に棍棒と、後抜身の剣を鞄が斬れることなど微塵も考えずに突っ込み、ほら無理だ、と言おうとした。
しかし棍棒が鞄に入りきらないことも剣が鞄の底を貫く事も無く鞄に収まり、それは明らかに物理法則なんて軽く無視していることに俺は唖然とする。
「……どういう構造になっているんだ? コレ」
「自分の持ち物にゃろ?」
「まあ、な。…………ほら、これで良いのか?」
エンゼルの要望通りに抱き方を変え、エンゼルの苦情が無くなったところで今度はエンゼルによる目的地へのナビが始まり、俺は言われるがままに進む。
そして歩き出してすぐ、エンゼルはこう言った。
「アンタ、堕ち人だにゃ?」
その言葉に俺は、狸顔の男が言った言葉を思い出す。
『ようこそゴミ溜めの街へ! 堕ち人君!』
堕ち人。あの狸顔の男が使った単語をエンゼルも使う。
その名から察せられるのはあまり良い意味の言葉として使われている訳では無いこと位。
「その堕ち人っていうのは何だ?」
「箱庭エデンに戻れなくなった天界人の事。お前、洗礼にあったにゃろう?」
洗礼……あのゴブリンを倒した事か。
「その箱庭エデンと天界人というのは?」
「箱庭エデンはアレ。天界人はアレに住む者共」
「アレ?」
エンゼルの指無き腕が指す先にあったのは、空に浮かぶ大陸だった。
月以上に手の届かぬ地という錯覚さえ覚えさせられるようなそれはとても巨大で、それがある下の地へは絶対に太陽の恵みが行き届かぬであろうことは容易に想像できたが、そんな地が生まれてしまっていても尚、存在し続けていて欲しいとさえ思わずにはいられない。
先程綺麗だと感じた雪の存在が霞む。
遠目に見ても自然が豊かで美しい。その下にあるこの地とはそれこそ天と地ほどの差があった。
あれが……箱庭エデン? 俺が元々居た場所……?
「あの場所へ行くにはどうしたら良いんだ?」
「行けねっつってんだろこのバカ。一体何の話を聞いてた」
「…………」
「あ、ちょ、おま。出る。内蔵でる。内蔵出るよ? 可愛い容姿からは思いもよらぬ程グロテスクに口から内蔵吐き出すよ?」
無意識の内とは言え、自分が戻れなくなったことを間接的に聞いていたにも関わらず行く方法を尋ねた。
それは確かに阿呆の極みともいえる行為だった。それは認めよう。
だがしかし、俺は無言でエンゼルの腹に回している腕に力を込めた。
中身わたの癖に、どうやったらグロテスクになるんだか。
……いや、本当に内蔵が入ってるのか? 消化器官とか?
想像したくないな……。
サイボーグの方がまだ好印象だぞ。
「……あぁすまん、思わず」
形だけでも謝罪しよう。
以後も関係を続けたいならコレ、大切。
「このやろう…………過去にとある男が飛行船を使って箱庭エデンへ進出しようとしたけど駄目だったらしいにゃ」
「何故?」
見た限り高度が足りないってことは無さそうだがな。
「知らぬ間に通り過ぎていた、とそいつは言ったそうにゃ」
「そんなことが……」
「正に楽園。手に届かぬ故のネーミングよ」
成程ね……夢見る人々の目標地点、ただ悔しくも辿り着いた者はおらず、か。
楽園を求めて進む人は少なく無く存在する、だからこその箱庭エデンか。
ただエンゼルの口振りだと人は楽園へ辿り着けないと言っているようなものだ。
そうでないと、信じたいものだが。
「何故あいつ等は天界人を嫌う?」
そして、堕ち人へ変える?
「嫉妬ってのが天界人の見方。仕返しってのが私達の見方」
よくわからないが、天界人にはそうされる理由があると、そういうことか。
…………全く分からん。記憶が無いだけに天界人が悪人であるかも分からないが、訳も分らず洗礼を受けた身としてはこの地の人間が悪者に見える。
「天界人に何かされたのか?」
「……アンタはやった側だろう? こっちに居るってことは罪人かにゃ?」
「罪人!? 天界人は勇者を罪人扱いなのか!?」
そんな馬鹿な。じゃあ魔王が善人の扱いを受けているんだろうか。
いや、勇者も魔王もそうホイホイいる訳ではないだろうけど。
というか罪人? まさか天界人とかいう連中は罪人をこっちの世界へ送りこんでいるのか? だとすれば天界人は仕返しされて然るべきだぞ……。
「知らんにゃ。お前の居た世界でしょうが」
「いや記憶無いんだよ。喪失しちゃってんだよ」
逆にそんなことだけ知ってたらビックリするわ。
いや、天界人が勇者を罪人扱いするのが普通なら常識として知っててもおかしくなさそうだが……別にそんなこともないようだし。
……法律に勇者のみを戒めるものなんて有る訳無いか。
「ハァ!?」
「ついさっきまで名前も知らないと言うファインプレーを見せていた。ステータスカードとやらで名前、年齢、ついでに職業を知った」
「勇者って職業にゃのか?」
「突っ込むとこそこ?」
いや、それは俺も疑問だが……ジョブと言い換えればなんかそんな気がしないでも無いだろう。
「いやアンタが記憶失ってるとか正直どうでも良い」
「酷くね?」
どうにかして貰おうだなんて微塵も考えていないし、過剰反応されても面倒なだけだが、どうでも良いは酷く感じる。
……俺、面倒臭っ。
「アンタが常識知らずで無一文で住むとこなくてワタシを恥ずかしげも無く抱きしめる痛いホームレスだっていうのが分かれば問題にゃい」
「酷くね?」
今すぐにでも肩書き一つ無くしてやろうか?
主に、エンゼルを叩きつけるという形で。
「酷く無いわ。事実よ」
事実でも、オブラートに包んで話すことは大切だと思う。
じゃないと人間社会で生きることは難しいぞ?
そんなことを考えながらもエンゼルのナビに従って道を進み、暫く歩いた先でようやくホームレス達のような……悪い言い方になるが、小汚い者達とは違うこの地の人間が練り歩く街へと辿り着いた。
やはりというか、狸顔の男と出会った時点で分かっていたことではあったがこの地の人間と今の俺の恰好は明らかに違って、この地の人間の方が文化的というか、近時代的な格好をしている。
俺の身に着けている戦闘を前提に考えられた衣服ではない、ファッションとして着こなす服だ。
「やっぱりアンタの格好目立つにゃね。さっさと服屋行くにゃよ服屋」
「了解……衣類の提供って服屋で調達するのか?」
「それ以外に何があんの?」
「エンゼルさんの古着とか」
「着れんの? アンタそれ着れんの?」
いやまあ無理だけど。というか、エンゼル服着てないし。
世話になる身としてエンゼルはさん付けで呼ぶことにしたが、どうにも敬語が出てこない。
最近の若者らしい社会に出たことがない奴に有り勝ちなことではあるが、俺の場合それ以前な気がする。
何と無く、だが。
さて置き、エンゼルのナビの元エンゼルの知人がやっているという服屋へ足を進める訳だが、早い段階で周囲の目と行動の異変に気付く。
まず、俺を見る目はエンゼルを抱いているからとかそんな理由の次元では無く嫌悪するようなものだ。
それはワザと肩をぶつける等といった陰湿な行為が行われてもおかしく無いような。
ただ、それは無かった。
通行人は通行の妨げにならぬようにしているかのような動作で、俺の進む道を作るのだ。
これは恐らく、俺に作られた道では無い。
その証拠に何かが障害になっていなければ俺への嫌がらせをしてやるのにといった思惑がその視線で手に取るように分かる。
…………考えられる可能性は一つ。
「エンゼルさんって有名人?」
「さぁね。ワタシを知らない人間だっているにゃ」
つまり知っている奴の方が多いってことか。
その理由は容姿からか、それとも……別の訳があるのか。
そんなことを考えている内に到着したのは、外装からして気合いの入ったファンシーな建物の前だった。
外からガラスの奥に見える内装を見る限りここが服屋であることは間違いない。
ただ……。
「ここ、レディースショップじゃないか?」
売られている洋服は、明らかに男物じゃない。
ここにウサギの人形を抱えた男が来店したらどうなるか。
変態の誕生である。
「いいから入りにゃ。別に性別間違えた訳じゃにゃい」
「…………」
俺は入る事に少なからずの抵抗を覚えながらも、そのレディースショップの前でウサギの人形を抱えた男が立ち往生している状態よりはマシだと自分に言い聞かせ、店内へ入る。
「いらっしゃーい! 本日は……あ~! エンゼルさんじゃ~ん! 久し振り~元気してた?」
「まあ、ぼちぼちにゃ」
入店した俺とエンゼルを迎えたのは大変美しい女性だった。
服装こそ完全にキメてはいるが、その容姿は黒髪美人というに他ないものであり、何処か日本的とでもいうのだろうか。
……日本?
そんなのはさて置き、店内へ入ったところでエンゼルは俺の手から離れ、自分の足で地に立って、目の前の女性と談笑を繰り広げる。
「エンゼルさん、そちらは?」
取り敢えず、現在の俺はただでさえアウェーなこの状況下で一人放置されるのは避けたい訳で、特に興味がある訳でも無いが目の前にいる女性のことを尋ねる。
「あら? アナタとってもカッコ良いね! 私は小野小町。ここでお洋服を売ってまーす! 気軽に小町って呼んでね?」