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三島の評価

「―千珱院先生は」

「誰よそれ、って私か。ごめん、千珱院って呼ばれると咄嗟に反応できないのよね。学生時代から使ってたペンネームだからそのままにしちゃってるけど、どうして仰々しい名前付けたのか今じゃ疑問だわ、中二病ってやつかしらね。ま、ともかく私のことはミレイって呼んでもらえるかしら」

「はあ。―ええと海嶺先生は、どちらかというと理屈っぽくて、合理化主義のようですね」

「まあ、そうね。そうかもしれない」

海嶺は頷いた。

「『リバ日』は基本的に“リアルな恋愛描写”で評価されています。それには僕も賛成です。でも」

「でも?」

大きく息を吸って、その続きを口にする。

「出来すぎている、と思います」

「・・・何よ、それ。文句なしってことでしょ?」

「いいえ。出来すぎているというのは物語として、という意味です。常に物語としてより映える形に登場人物が動いている。それはつまり、“パターン通り”でしかないということです」

他の作家がリアルに描いた恋愛をただその通りになぞるだけ。海嶺の場合はそれが多彩であるため定石通りであることにほとんどの者は気付かない。それだけの話だ。

「恋愛がどういうものかを理屈で理解して、物語に合うように合理化していく。先生がしているのはそれだけの作業です。自分で考えて書いた恋愛じゃない」

「・・・つまり、何が言いたいの?」

言っていいものかしばし迷って、でもそれを言わなくては何も変わらないと思い直す。

「―海嶺先生は・・・恋愛経験が、無いんじゃないですか?」

もしかしたら、失礼なことを言ってしまったのかもしれない。けれど、今感じたことをありのままに。

海嶺はふっと息を吐いた。

「・・・よく、分かったわね。そう、私は・・・誰かを好きになったことも、誰かから好かれたこともない」

当たっていたことに安堵して溜息をつく。違っていたらとんだ失礼になっていたところだ。・・・いや、もしかしたら当たっているからこそ失礼なのかもしれないが。

「おかしいって思うでしょ?」

「え?」

「経験値ゼロの女が、恋愛作家名乗ってるなんて」

そう言って海嶺は少し笑った。

「でもね、思い浮かぶ話はそれしかないの。私にはそれしか書けない。恋愛の苦い部分を自分で知っているわけじゃないからいくらでも悲惨な妄想が出来るし、あるいは現実にはありえないくらい甘くも出来る。あるいは、そう・・・自分にないからこそ、憧れるのかもしれない」

恋愛を知らないから外のもので埋めようと知識だけ得て、その中で妄想する。海嶺はそういうやり方で今まで物語を書いてきたのだろう。

多分、それを分かっていた編集も居たのだ。だからいくらやっても選考員相手では賞を獲れなかった。けれど読者に直接訴えかければ、気にしないどころかむしろ共感したり憧れたりする者は大勢居る。

本屋大賞を選ぶのは書店員だ。だから反映されるのは読者の好みであって、編集の好みではない。

当初自費出版で売れたのもきっと、評価する側が読者だったからなのだろう。

「別に、それを悪いこととは思いません。ただ、『リバ日』の欠点を敢えて挙げるとすればそれしかないでしょう」

逆に言えばそれ以外は完璧だ、三島の目が確かならば。

「今回の続編では、その辺を踏まえてやっていきましょう。まあ、恋愛経験なんてこの年でぱっと出来るものじゃありませんが」

「こら、女性に年齢のこと言わない。・・・ねえ、三島くんはいくつだっけ?」

「僕ですか?26ですけど」

その瞬間海嶺はボソッと何かを呟いたが、三島にはそれがはっきりと聞こえてしまった。

「えっ、五歳差ってことは先生32歳なんですか?」

「・・・そこは聞こえてない振りをしなさいよ、建前でも」

海嶺はそう言って三島を睨みつける。

「あ、すみません・・・」

「っていうか逆に21かもしれないとか思わないわけ?」

「・・・・・・」

「ああいいわよもう。別に頑張って嘘つかなくていいから」

いや、見た目云々の話ではなく、まあそれも多少は手伝っているのだが、もともと入社当時から新人賞の常連である海嶺の名を聞いていたので、無意識のうちに年上の印象を持っていたのである。

・・・というのはいささか言い訳じみているだろうか。

「っていうか、そういうことじゃなくて、さ。5歳差なら充分アリよねって話」

「・・・は?」

三島はその言葉の意味を掴めずに呆けた。

「だから、うん。三島くんならアリかなって」

「・・・は?」

「・・・何度も言わせないでよ、もう!好きになっちゃったって言ってるの!!」

海嶺はそう言い放つとそっぽを向いた。

「・・・・・・えええ!?」

ようやく彼女の言わんとすることを理解し絶叫する。

「なっ、何言い出すんですかいきなり!?」

「別に良いじゃない。三島くんは私のこと嫌い?」

「いや、嫌い云々以前に今日お会いしたばかりじゃないですか・・・」

「一目惚れしたの!悪い?」

ああだからあの時あんなに呆けていたのか、などと考えている場合ではない。

「でもそんな・・・」

「渋るわね・・・三島くん別に経験無いわけじゃないでしょ?」

「そりゃ多少はありますけど・・・」

「どのくらい?」

「学生の時に二人、新人の頃に一人で今はフリー・・・って何言わすんですか」

「へえ~、人並みってとこね。まあ恋愛について語れるくらいだしね」

海嶺は顎に手を当ててふうん、と呟いた。

「ね、どう?私と付き合ってみない?」

「・・・経験無いくせに随分と大胆ですね」

「ほら、付き合って経験値上がれば続編の質も一緒に上がるかもしれないし」

海嶺はいいことに気付いたとでも言いたげに笑ったが、三島は少し黙ってそれから呟いた。

「・・・僕は、作品のためだからといってそういう真似はしたくありません。それは先生のお嫌いな仕事上の付き合いと何が違うんですか?むしろそれよりずっと性質が悪い」

立ち上がって背を向ける。

「もう帰ります。・・・続編、よろしくお願いしますね」

「あっ、ちょっと三島くん!?」

会釈だけして立ち去ろうとしたとき、海嶺が叫んだ。

「別に、物語のためなんかじゃない。絶対・・・絶対、振り向かせるから!」

「・・・仕事と関係ないところでしたらいくらでもどうぞ。失礼します」

三島は振り返らずに部屋を出て行った。

❤❤❤

『From: 千珱院美麗

To: 三島博紀

Sub: non title

ちょっと続編のことで相談したいところがあるんだけど、さ。

時間のあるときでいいから家へ来てくれないかな?』

数日前の自分なら確実に飛びついていたであろうその用件。

三島は溜息をつくと返信を打ち始めた。

『From: 三島博紀

To: 千珱院美麗 先生

  Sub: Re:

別にそれは構いませんが、メールでも対応出来ますよ。

直接話さなくてはならない内容なんですか?』

ただ会いたかっただけで、相談なんて嘘なんじゃないか。そんな疑惑が頭をよぎり素直に従えない。

まあ、そこまでするほど好かれているとも思えないが。要は、彼女は恋がしてみたいだけなのだろう。

「余計なこと言うんじゃなかった・・・」

経験がないから書けない、なんて言ってしまったら目の前の異性に飛びつくしかないじゃないか。彼女はきっと小説に対してとても貪欲だから。書くためにはどんなことでもやるに違いない。

そのときPCから電子音が鳴った。

「相変わらず即レスだなあ・・・」

『From: 千珱院美麗

To: 三島博紀

  Sub: Re2:

一箇所じゃないからいちいち原稿に色つけて送るのも面倒だし、時間がかかるじゃない。

だから、来てくれない?』

「・・・仕方ない」

きっと何を言っても交わされる、諦めよう。

理屈っぽい性格はこういうところで有効に作用する。きっと既に言い訳する余地さえないほどにがっちり理由を固めているのだろう。

今から向かう旨をメールで伝え、三島はデスクを立った。


「―三島です」

『今開けるね』

ドアが開き、満面の笑みで迎えられた。

「いらっしゃい、待ってた♡」

・・・ものすごい猫なで声だ。本当にこの前の彼女と同一人物なのだろうか。

何か肌もものすごくつやつやしているし、髪もきちんと梳かされている。咥えタバコもなし。

「・・・お邪魔します」

「どうぞどうぞ~」

一般に女性は恋をすると綺麗になると言われている。どういう理屈かは知らないが。

「ねえ、ひろくん」

「なんですか・・・ってはあ!?」

うっかり返事をしてしまった。っていうかいきなりなんて呼び方をするんだこの人は。

「ひーろくん♡」

「いや、聞こえてますよ!」

「じゃあ話聞いてよ」

「聞きますよ!聞きますけど何なんですかその呼び方は!」

海嶺は小首を傾げる。

「だってひろくん私のこと下の名前で呼ぶじゃない?だから私も呼ぼうかなって」

「いや先生がそう呼べって言ったんでしょう・・・って言うか僕は苗字で呼んでるつもりだったんですが」

「静香って呼んでもいいんだよ?」

「本名今初めて知りましたし、呼びません」

「ええ~、ケチ」

「そもそもそれとその渾名は関係なくないですか?」

「え、のりくんのほうが良かった?迷ったんだけど」

「普通に名前で呼べないんですか。っていうかいっそ苗字で呼んでください」

「それは嫌」

きっぱりと断られた。

「じゃあ、いいよ。博紀くんにする。それでいい?」

「・・・まあ、いいです。好きにしてください」

一応彼女の方が年上だし、名前で呼ぶくらいならまあいいだろう。こう・・・あれだ。先輩が可愛い後輩を愛でるような感覚だと思うことにすればいい。

「で、何の相談なんですか」

「ああ、そうね。早く片付けちゃいましょう。ちょっとこっち来て」

何だ、相談があるのはどうやら本当らしい。考えすぎだったか、と三島は内心胸を撫で下ろした。

案内されたのは彼女の執筆スペース。

日焼けから守るためか北を向いている本棚が壁際に一つあるだけで、あらかじめ想定していた四方八方本に囲まれた書斎のような雰囲気は皆無。

「本、意外と少ないですね」

「趣味の本は別の部屋よ。手元にあると仕事中に読みたくなっちゃうでしょう?」

「ということは、書くのに最小限必要なものだけここにあるわけですか」

海嶺は頷いて、起動したノートPCを三島の方へ向けた。

「一番詰まってるのはここ、なんだけどさ。ちょっと読んでみてくれない?」

「はあ」

ヒロインの杏奈は表の世界で大輝と死別し、同時に裏の世界で隆太と出会い恋愛に発展していく、というところで前作は終わっている。

今書いているのは、その後表の世界の杏奈がどうなったか、というところらしい。

「圭介っていう大学生とね、出会うのよ。裏の世界では序盤で疎遠になっちゃった元彼なんだけど、覚えてるわよね。彼に迫られて、でも杏奈はまだ大輝のことを忘れられない。ね、どうしたら圭介は杏奈と結ばれることが出来ると思う?」

「どう、って・・・」

「博紀くんならどうする?私はそれが聞きたいの」

海嶺はじっと三島を見据える。

「僕の意見で、いいんですか?」

「・・・圭介ってさ、博紀くんをモデルにして書いたの。分かった、よね」

「まあ、薄々は」

思考が完全に自分のそれで、完全に感情移入して読んでしまっていた。一度話しただけでここまで再現できるというのはやはり、彼女の才能なんだろう。

「・・・圭介が杏奈と結ばれたら、裏の世界の隆太と杏奈はどうなるんですか」

「そうね、当然そのままではいられない。別れ方に関しては、圭介と杏奈がどう結ばれるかによって変わってくるけれど」

表の世界をハッピーエンドにすれば、裏の世界はバッドエンドになる。それは絶対の条件。

けれど、前作隆太に感情移入して読んでいた三島にはそれが辛かった。圭介と隆太は少し似ていて、言ってしまえばそう、圭介は今の自分で、隆太はいつかこうなりたいという目標に近かった。

だがこのままでは、物語が展開していかない。

「・・・大輝を愛したままで構わないから一緒に居させてくれって、言うと思います」

「どうして?」

「いきなりは難しいでしょうけど、でもいつかは振り向いてくれるかもしれないじゃないですか。なら、僕はそれまで待ちます」

「諦めて他の子にしよう、とか考えないんだ?」

「よほど時間がかかるなら考えるかもしれませんが、数年くらいなら」

そっか、と海嶺は椅子に凭れた。

「博紀くんは、一途だね」

「そんなの、建前かもしれませんよ」

「ううん、それはそれで構わない。この瞬間にそういうことを言われればきっと杏奈は、圭介のことをすごく信頼する。それがだんだん恋に変わる」

海嶺は想像が膨らみだしたようで、PCに向かった。

「裏では、結婚したい杏奈ともう少し時間が欲しいって言う隆太がすれ違う・・・杏奈はだんだん隆太のことが信じられなくなっていく・・・そういうの、どうかな」

「隆太は何で渋るんですか?」

「結婚するなら生活が安定するまで待ちたいのね。杏奈に辛い思いさせたくなくて・・・でも杏奈はそれを理解できないの、なぜなら・・・そう、両親がお見合いを勧めてくるから」

「ああ・・・それは焦るでしょうね」

「・・・ごめん、すぐ書きたいから待っててくれない?何なら会社戻ってもいいし」

海嶺はそう言いつつ早速キーボードをカタカタ言わせ始める。

「じゃ、戻らせていただきます」

返事はない。完全に集中モードに入っているようだ。

邪魔してはいけない、と三島は部屋をあとにした。


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