第四話
光の嵐の中を、アルクとスーリアは駆ける。二人は眼を細めながらも、階段に向かってまっすぐに走っていた。そのすぐわきをリーパーたちの鎌が通り過ぎる。視覚を奪われた彼らは、ただただやみくもに鎌を振りまわしていた。しかももともと密集していたのがあだとなり、半ば同士討ちのような惨状となっている。
だが、流石は上位モンスターというべきか。人間ではありえない速度で彼らの眼は回復した。眼が回復すると同時に、彼らは一斉にアルク達へと狙いを定める。あてずっぽうに振るわれていた鎌が、本来の精度を取り戻した。一本の鎌が、先陣を切っていたアルクの足を裂く。
「アルク!」
「大丈夫だ、先に行って!」
「でも、それじゃあなたが……」
「いいから、早く!」
アルクはスーリアを先に行かせた。スーリアはすぐに階段を昇りきり、アルクの方へと手を伸ばす。アルクはそれに応えようと精一杯足に力を込めた。だが、徐々に足は重くなっていく。傷はアルクが思っていたよりかなり深いようだ。神経でも切られたのか足は鉛のようで、走るどころか早歩きをするのが精いっぱいである。
一旦は抜き去ったはずのリーパーの群れ。階段をゆっくりと押し合いながら昇る死の行列が、徐々にアルクに迫る。スーリアは息を呑んだ。アルクは険しい顔をスーリアに向けると、大声で吼える。
「クソッ、こうなったらスーリアだけでも逃げてくれ! 俺は行けそうにない」
「嫌!」
スーリアが階段を駆け降りた。白い手がアルクの肩を抱える。自然と支えてもらう体勢となったアルクは、スーリアの顔を見て叫んだ。
「早く、早く手を離して逃げるんだ!」
「駄目! それじゃあなたが殺されてしまう」
「でもこれじゃ二人とも……」
「二人とも助かる!」
スーリアは毅然としていた。彼女は手に力を込め、必死にアルクの身体を押す。アルクも黙ってうなずき、それに応えた。二人の足が速まり、階段をあともう少しで抜けられるところまで来る。
しかし、そんな二人の後ろにはリーパーが居た。人数が多すぎる彼らは、狭い通路を押し合うようにしてやってくる。その動きは亀の歩みのごとく遅い。だが、二人はそれになんとか追いつかれないようにするだけで精いっぱいだ。
「あと少し……」
階段の終わりがはっきりと見えた。ラストスパート――二人の足が急速に早まる。二人は階段を昇り終えると、そのままの勢い地面に身体を投げ出した。ドンと音がして、二人の身体が柔らかな地面に受け止められる。
「はあ、はあ……早く逃げないと……」
「そうね……あら?」
立ち上がり、すぐに追いかけてくるであろうリーパーから逃れようとする二人。だが、階段から来るはずのリーパーの動きが何故か急激に鈍っていた。リーパーたちはみな、顔を手で覆い隠すようにしている。そして同時に彼らから、何やら呻くような叫びが聞こえてきた。
「もしかしてこいつら……日に弱いのか?」
「そういえばリーパーって、洞窟とかにしかいなかったわね」
二人は周りを見回した。センターの地上部分はすっかり壊れてしまったようで、辺りは荒涼とした廃墟が広がっている。そのおかげで二人の居る場所は遮るものがなく、かなり明るかった。もっとも空は鉛色で、霧が深く、人間にとっては薄暗いというのが適正なくらいの明るさだ。しかし、それでも暗闇に適応したリーパーにとっては十分脅威となるらしい。
「よし、今のうちに……」
アルクはほっと息をつくと、呪文を唱え始めた。ヒュウヒュウと風が唸り、大気が震える。
「何をするの?」
「潰すのさ。……エアハンマー!」
強大な風の塊が地面に振り下ろされた。激しい地響きと地震さながらの揺れが二人を襲う。震える二人の前にパックリと開いていた地下への入口は、またたく間に砂煙にのまれていった。ゴロゴロと音が響いて、おぞましい叫びが奥から聞こえてくる。
「おおっ!」
砂煙が晴れると、階段はすっかり土に埋もれていた。壁もすっかり崩壊したようで、巨大なコンクリートの塊が崩れた土に混じっている。これではさすがのリーパーも当分の間は出てこられないだろう。二人は脱力してしまったようで、その場にへたりこむ。
「これでしばらくは安心ね。あなた、回復スキルは使える?」
「いや、俺は攻撃と補助専門だ。回復はほとんど使えないよ」
「じゃあ、足を貸して。治してあげるから」
アルクはスーリアの方に足を投げ出した。傷口から血が絶え間なく流れている。スーリアは身体を血に濡らしながらも、アルクの足を手で抱えた。彼女は眼を閉じると、歌い上げるように呪文を唱える。透明で清らかな旋律がアルクの心を震わせる。蒼い空の果てより聞こえてくるようなその美しい呪文は、アルクも初めて聞くものだった。
淡い光の粒子が傷口に注ぎ、白い靄が上がる。逆再生をかけたように傷が再生し、すぐに元の綺麗な状態へと戻った。アルクは驚きで眼を丸くする。
「すごい、こんな治療魔法始めてみた! ひょっとしてレアスキルなの?」
「わからないわ、記憶があいまいだもの。でも、私に使えるのはこのスキルと各種状態異常の治療スキルだけ」
「十分だ。それだけで回復職としてやっていけるよ」
「ふふ、ありがとう」
スーリアの顔にパッと華が咲いた。それにつられて、アルクも満面の笑みを浮かべる。二人は大きな声で笑い始めた。周囲に快活で実に晴れ晴れとした様子の声が響く。二人はそのまま背中を地面に預け、白い空を眺めた。やがて笑い声は消え、静謐な風が二人の頬を撫でる。
「なあ、スーリア」
「何?」
「ここ、どこだろう? エデンでもないし、御坂市でもなさそうだよな……」
周囲に広がる混沌とした風景。コンクリートの塊が一面に散らばり、破壊されたビルの残骸が醜態をさらしている。コンクリートに覆われた地面の僅かな隙間からは、太い茨のような植物が這い出していた。色は原色の緑で、なんとも毒々しい。白く厚い霧に覆われた茨と廃墟の様は、さながらジャングルと世紀末が混合されたような雰囲気だった。アルクが記憶している自らの街――御坂市の様子とは明らかに異なっている。
「うーん、御坂市が廃墟になったのかしら……? ……とにかく情報が必要だわ」
「ああ、そうだな……」
二人は立ち上がると、道なき道を歩き始めた。霧はどこまでも果てしなく続き、二人の行く手を阻む。アルクとスーリアは粗末なスリッパしか履いていない足をいたわりつつも、濃密な霧をかき分けていく。すると、遠くの方にぼんやりとした明りが見えた。まるで灯台のように、その光は周囲を照らしている。
「霧の終わりかな?」
「そうかもしれないわね。行ってみましょう」
駆けだしたアルク達。すでに周囲は瓦礫の平原ではなくうっそうとした高層ビルの林と化していた。密集したビルの残骸の谷間を潜り抜け、二人は勢いよく走っていく。すると――
「繭?」
それは巨大な繭のようだった。純白の糸が無数に絡まり合い、ドーム球場並みに巨大な球体を形成している。繭の周りにあるビルの残骸が、ひどくちっぽけに見える。繭はそれほど大きく、圧倒的な存在感を放っていた。
この巨大極まる繭の奥は薄ぼんやりと輝いていた。煌々と温かな光を放つそれこそが、いま二人の見た光の正体なのだろう。二人は眼の前の光景が信じられず、眼を手で擦る。
「モンスターの繭か?」
「まさか。こんなに巨大な繭から生まれるモンスターって、どれだけ大きいのよ。あり得ないわ」
「そりゃそうだけど……。これ、どう見たって繭だろ」
呆れたように二人は言葉を交わす。エデンで最も巨大なモンスターは『マウンテンドラゴン』だが、それでさえもせいぜい小さなマンションぐらいのサイズだろう。この繭のように数百メートル単位の大きさを誇るモンスターなど、二人は見たことがない。彼らは半ば茫然としたように、繭を見つめる。するとここで、二人の耳を切り裂くかのような悲鳴が聞こえてきた。
「た、助けてくれェ! 俺はまだ死にたくないィ!」
とっさに悲鳴のした方へと駆けだした二人。するとそこには、糸と繭に飲み込まれかけた男の姿があった――。