第二話
リーパーの虚ろな眼差しが身体に突き刺さる。アルクの感覚が凍った。仮想ではない、生の死の感覚。それの何と冷たく残酷なことか。アルクは足がすくむような気がした。
「急いで! 逃げるわよ!」
スーリアが茫然としているアルクの手を掴んだ。彼女はそのまま彼の手を引っ張りつつ、一目散に走り出す。後ろから響くおぞましい声。さながら亡者の呻きのようなそれに身を縮ませつつも、スーリアは部屋の中を突っ切っていった。
「なんでリーパーが居るんだ!」
「わからないわ! 居るものは居る」
「ここはエデンの中なのか?」
「さあ、こっちが聞きたいぐらいよ」
正気を取り戻したアルクの質問に、冷静に答えるスーリア。二人は風化したコンクリートの壁を強引に突き破り、部屋の外へと飛び出した。外に出てみると幸い、そこは広い廊下になっていた。加えて、ところどころにヒカリゴケが繁殖している。二人は一気に加速すると、最寄りの部屋の扉へと飛び込んだ。おそらく動きの遅いリーパーはまだ、先ほどの部屋の中だろう。二人は近くの壁に背中をあてがうと、荒れた息を整える。
「はあはあ……。巻いたかな?」
「ええ、でもまたすぐ見つかるわ。奴らは匂いを追ってやってくる」
「匂い? リーパーにそんなスキルあったか?」
リーパーを始めとする上位モンスターたちは索敵スキルというものを備えている。これは一定範囲内に居る敵を自動的に感知するもので、モンスターたちはこれをもとにプレイヤーたちに襲いかかる。だが、匂いを探知するスキルなどアルクは聞いたことがない。トップギルドのマスターとしてモンスターの情報には詳しいはずだが、これが初耳だ。
「ゲームのリーパーにはなかったわ。だけど、さっきの奴らは持ってる。あいつらは人間のにおいを嗅ぎつけて、地の果てまで追いかけるのよ」
ぞっとしない話だった。アルクの顔が蒼白になる。モンスターに殺される――最悪の結末だ。彼は思わず意識が飛びそうになった。しかしここで、スーリアがほんの僅かに微笑む。
「心配することはないわ。さっきは群れだったけど、今の奴は単体だった。あなた、星空の夜明けのマスターなんでしょう? だったら、群れは無理でも単体ぐらいならなんとかなるわよね?」
「馬鹿言うなよ、それはゲームでの話だ。リアルであんな化け物に勝てるかよ」
「大丈夫、私たちの体は完全ではないけどアバター準拠の能力になっているわ。ほら、気付かなかった? 風化しているとはいえコンクリートの壁を突き破るなんて、並みの人間じゃ無理よ」
そう言われれば確かにそうであった。普通の人間にコンクリートの壁など破れるはずがない。すっかりアバターに慣れていたので、アルクはそのことを失念していた。硬直していた彼の顔が、わずかに緩む。
「じゃあ、スキルとかも使えるのか?」
「それはわからないわ。確かめようとした人は居たけど……喰われた」
「く、喰われた?」
「ええ……」
スーリアは顔をうつむけにした。表情に陰が現れる。緋色の瞳が僅かだが深い闇を帯びた。
「生存者はもともと九人居たわ。だけど、四人はカプセルが開くとすぐにワイルドウルフに喰われて、残りの五人も私以外はみんなリーパーの群れに喰われた……」
アルクの顔が凍りついた。彼の眼は限界まで見開かれ、血走る。だが、スーリアは落ち着いた様子で話を続けた。
「さっき言ったリーパーが匂いを探知するとか、私たちの能力がアバター準拠だというのはみんな、生存者たちが命を賭けて何とか発見した事実なの。だから、全て確かなことよ。その情報を受け継いだ私たちは……彼らの分も生き延びなくては」
「……そうだな。生きよう」
アルクはしっかりとした口調でうなずいた。だが、その顔は何となく煮え切らない。まだ実感というものがそこまで沸かないようだ。しかし、スーリアはそんな彼を見て優しく顔をほころばせる。
「よし、じゃあさっそく……来たわ!」
背後の壁が、唐突に突き破られた。アルクとスーリアは慌てて前方の扉を破壊し、廊下へと飛び出す。その後をリーパーの黒い影がスウッと追いかけてきた。二人は全速力で廊下を走っていく。するとほどなくして、突きあたりにぶつかってしまった。
「チッ、硬い!」
突きあたりの壁は硬かった。二人が力いっぱい突進しても、小揺るぎもしない。おそらくこの壁にだけ張られている薄い金属板が、内部の風化や腐食を防いでいるのだ。二人は幾度となく壁にキックやタックルを喰らわせるものの、壁に風穴を開けることができない。その間にも、リーパーは着実に迫ってくる。
「まずい……」
「こうなったら一か八かだ!」
ゆらゆらと揺れながら迫ってくるリーパー。アルクはその影を見据えた。彼は両手を前に突き出し、精神を静めて呪文を唱え始める。
「頼む……出てくれ。……プラズマボール!」
これが出なければおしまいだ――アルクの思念は極限まで高まる。世界が歩みを緩め、時の流れが緩やかになった。アルクの頭の中を何かが爆発したような感覚が駈けめぐる。瞬間、閉じていた回路がつながったような開放感がアルクを満たした。
彼の手のひらが燃えるように熱くなる。周囲の光が手のひらに集まり球を形成していく。やがて野球ボールほどに育った光の球は、リーパーに吸い込まれるように飛んでいった。暗闇の中に光の弧を描き、球は綺麗にリーパーの中心へと直撃。
溢れる閃光、吹き荒れる爆風。
黒い影の中で、光が爆発した。リーパーの身体を稲妻が走り、動きが大きく鈍る。流体のように動いて居た影は、さながら壊れかけのロボットのごとくぎこちない動きになった。
「やった、つかえたぞ! さあ、今のうちに!」
「ええ!」
動きが鈍っているリーパー。そのわきをすり抜け、二人は再び深い闇の奥へと逃げ去っていった――。