プロローグ
VRMMO『エデン』。
西暦2112年に日本のメーカーが開発した、世界初となる仮想現実システムを搭載したゲームである。通称カプセルと呼ばれるベッド型の機材を用いることによって、あたかも異世界にいるような感覚を体験できることを売りにしたゲームだ。最盛期のプレイ人口は高額な機材を用いるにもかかわらず三百万を数え、同時接続人数は二十万人を超えるほどの人気だった。
ただし『エデン』がゲーム史に燦然たる功績を残すことはなかった。
膨大な情報量を処理するために導入された、これまた世界初となる有機量子コンピュータ。後に神話の悪魔のごとく語られることとなる『SEL-2109』により、理想郷となるはずだった『エデン』は血なまぐさい惨劇の世界と化したのだから――。
天界の塔・第九十九階層。
『天上世界を目指す』をコンセプトとして掲げる『エデン』のラストダンジョンとも言うべき場所。そして『SEL-2109』の指定した最後の攻略目標。かつて、現実への帰還を目指した数万ものトッププレイヤーたちの猛攻を弾き続けた難攻不落の伝説を持つ塔である。
徘徊するのは魔王のごとき最上級モンスターばかり。プレイヤーの行く手を阻む壁は迷宮のごとく入り組み、毒や麻痺などの罠が所狭しと張り巡らされている。ゲームバランス完全無視――そう揶揄される塔の最上層手前に、今宵、ついに一人の少年が降り立った。
数万ものプレイヤーを跳ね返し、数千もの骸を喰らった悪魔の塔。その塔の長きにわたる難攻不落伝説も、ついに終焉を迎える時が来たのだ。
「あと一階で……」
黒衣に身を包み、顔を隠しているため表情は様として知れないが、少年の声は明るかった。思えば彼――アルクとギルドの仲間たちは、どれほどの時間と犠牲をこの塔の攻略に捧げてきただろうか。百名を超えたアルクのギルド『星空の夜明け』も、攻略の度に一人減り、二人減り……。十三度目の攻略となる今回まで生き残ったのは、たったの十一人。その十一人も、アルクを除いてみな道半ばで死んでしまった。
だが、その犠牲や苦労はもうすぐ報われるのだろう。いまアルクの眼の前には、最上層へと続く階段が広がっている。白く輝かんばかりの階段は、まさに天上へ――現実へと続くにふさわしい。アルクは眼をうるませながら、白銀の階段を一歩一歩踏みしめていく。この階段を昇りきった時、まだ『エデン』に残されている数万のプレイヤーたちは現実へと帰還する。『星空の夜明け』のメンバーやその他のプレイヤーの犠牲は報われ、この美しくも悲惨な世界より解放されるのだ。
「これで最後」
決意を込め、アルクは天上への最後の一歩を踏み出す。思えば、デスゲームが始まってから三年もの月日が流れていた。その間にあったことは決して少なくはない。だが、想い出深いこの世界とも間もなく永遠の別れを迎える。
足が百階層の床を叩いた。同時に、スウッと意識が光にのまれた。視界が白一色に覆われ、身体が重さを失った。魂がふわりふわりとどこかへ抜けだしたようだった。思考が鈍り、どこか温かな感覚が心を包む。毛布にくるまれたような心地よい光の世界の中で、アルクは声を聞いた。
『おめでとう、ゲームクリアだ。また現実で会おう』