第8話 善意は、だいたい説明不足で壊れる
嫌な予感は、たいてい当たる。
しかも、当たるときは静かだ。前触れもなく、ある日突然「問題」として姿を現す。
その日、ギルドに入った瞬間、空気が重かった。
怒鳴り声はない。騒ぎもない。だが、視線が合うと、皆一瞬だけ言葉を飲み込む。昨日までの「様子見」とは違う、微妙な緊張が漂っている。
《最適化》が警告を出す。
——不穏。
——原因、局所的。
——拡大前。
嫌な分類だ。
カウンターに目を向けると、リリアが少し硬い表情で立っていた。忙しいというより、考え込んでいる。
俺は、近づきすぎない距離で声をかける。
「何か、ありましたか」
一瞬だけ迷ってから、彼女は頷いた。
「……小さな、事故が」
胸の奥が、きゅっと縮む。
「応急処置の、勉強会ですか」
「はい」
即答だった。隠す気はないらしい。
「詳細、聞いてもいいですか」
「裏で」
案内されたのは、ギルドの倉庫のさらに奥。人目につかない場所だ。
「昨日、参加者の一人が……やりすぎました」
「やりすぎた?」
「止血の練習で、必要以上に強く縛ってしまって」
なるほど。
《最適化》が、即座に原因を提示する。
——手順理解:不完全。
——力加減:個人差。
——監督不在。
「怪我は?」
「痺れが出ましたが、すぐに緩めて回復しました。大事にはなっていません」
それなら、まだ間に合う。
「ですが……」
リリアは、唇を噛んだ。
「“応急処置は危険だ”という声が、出始めています」
あぁ。
善意が、説明不足で壊れる典型例だ。
「誰から?」
「一部の古参冒険者です。魔法を使わない行為自体が危険だ、と」
立場のある人間が言い出すと、話は早い。早すぎて、修正が追いつかない。
俺は、少しだけ考えた。
《最適化》は、すぐに対策を並べる。
——全面中止:被害最小、効果消失。
——公式化:反発大、準備不足。
——限定修正:摩擦中、持続可能。
答えは、一つしかない。
「……勉強会、止めましょう」
リリアの目が、大きく見開かれた。
「止める、ですか?」
「一時的に」
念を押す。
「理由は、“安全確認のため”。誰も否定しない言い方で」
彼女は、戸惑いながらも頷いた。
「でも、それだと……せっかく始まった流れが」
「流れは、消えません」
俺は、静かに言った。
「やりたい人は、もう知ってる。必要な人は、覚えてる。表から消して、裏に残すだけです」
それは、会社員時代に何度もやったやり方だった。
表向きは中止。だが、現場の引き出しには、ちゃんと手順が残る。
「代わりに」
俺は続ける。
「“注意事項”だけ、貼ってください」
「注意事項?」
「強く縛らない。時間を測る。異変があったら即中止。三行で十分です」
リリアは、少し考え、それから小さく息を吐いた。
「……分かりました」
その日のうちに、張り紙は剥がされた。
代わりに、目立たない場所に、簡素な紙が貼られる。
《応急処置は応急まで》
《異変があれば、すぐやめる》
《自己判断で無理をしない》
名前も、主催も、書いていない。
それでいい。
夕方。
ギルドの外で、例の古参冒険者たちが話しているのを見かけた。
「勉強会、なくなったらしいな」
「やっぱ危ねぇんだよ」
「魔法に任せときゃいい」
俺は、何も言わずに通り過ぎた。
反論は、今じゃない。
夜。
倉庫の裏で、二人の冒険者が、小声で話しているのを見た。
「……縛りすぎると、痺れるらしい」
「時間、測ろう」
小さな変化は、消えない。
形を変えるだけだ。
《最適化》が、今回の結果をまとめる。
——表の改革:停止。
——裏の知識:残存。
——反発:沈静化。
成功ではない。
だが、失敗でもない。
改革は、いつも一歩進んで、半歩下がる。
それでも、半歩は残る。
俺は、それでいいと思った。
完璧を目指した瞬間、壊れる。
壊れない程度に、少しずつ。
それが、この世界で生き延びるための、最適解だった。




