第7話 静かな変化は、だいたい気づかれない
変化というものは、いつも静かに始まる。
爆発もなければ、号令もない。誰かが「今日から変わります」と宣言するわけでもない。ただ、昨日と同じ一日を過ごしたはずなのに、なぜか少しだけ楽になる。
その程度だ。
だから厄介だし、だから長続きする。
俺が気づいたのは、三日後だった。
ギルドの掲示板の前。例の《応急処置・自主勉強会》の張り紙が、少しだけ端に寄せられている。目立たない場所に、さらに目立たなく。
だが、剥がされてはいない。
参加自由。非公式。責任は各自。
文字の並びを見ただけで、《最適化》が評価を出す。
——継続率:低〜中。
——参加者数:少数。
——影響範囲:限定的。
上出来だ。
最初から広がるものは、だいたい反発される。小さく始まって、小さく続く。それでいい。
カウンターを見ると、リリアが忙しそうに対応していた。だが、以前よりも動きに無駄が少ない。書類を探す時間が短い。質問への返答が簡潔だ。
……もう、効果が出ている。
俺は声をかけず、そのまま壁際の席に座った。今日は依頼を受ける気はない。様子を見る日だ。
しばらくすると、二人の冒険者がカウンターから離れ、掲示板の前で立ち止まった。
「……これ、なんだ?」
「応急処置……?」
若い男と、少し年上の女。どちらも軽装だが、手入れされた装備をしている。真面目そうだ。
「参加自由って書いてあるぞ」
「非公式、だって」
「怪しいな」
その判断は正しい。
だが、女の方が腕に巻いた包帯を見て、少し黙った。
「……でも、昨日みたいなの、もう嫌だ」
男が、彼女を見る。
「無理すんな」
「無理してたのは、今まででしょ」
短いやり取りだったが、十分だった。
二人は、張り紙を指で押さえ、場所を覚えるように見つめてから離れていった。
《最適化》が、静かに更新される。
——参加者、微増。
——摩擦、なし。
いい流れだ。
その日の午後。
ギルドの裏手、小さな倉庫の前に、人影が三つあった。張り紙を見て来たらしい。全員、装備は外している。覚悟が中途半端だ。
俺は、少し離れた場所から様子を見ていた。教える気はない。呼ばれてもいない。
だが、倉庫の扉が開き、中から一人の男が出てきた。
昨日、脚を怪我した冒険者だ。
「……来たのか」
声は低いが、威圧はない。
「話、聞いただけだ」
「俺もだ」
三人が、気まずそうに立つ。
男は、少しだけ考え、それから言った。
「魔法は使わない。血が出たら、止める。それだけだ」
説明は、それだけだった。
十分だ。
俺は、その場を離れた。
全部を見届ける必要はない。見てしまうと、口を出したくなる。口を出すと、中心になってしまう。
それは、避けたい。
だが翌日。
ギルドの空気が、さらに変わっていた。
クレームが減っている。声のトーンが低い。怒鳴り声がないわけではないが、長引かない。
リリアが、ふとしたタイミングでこちらを見て、目で合図した。
少し、来てほしい。
裏口で落ち合うと、彼女は小声で言った。
「……昨日、怪我人が出ました」
心臓が、一瞬だけ跳ねる。
「大丈夫でしたか」
「はい。大事には至っていません」
それなら、続けていい。
「応急処置を、現場でやったそうです」
彼女の目が、少しだけ潤んでいる。
「魔法を待たずに。時間を稼げたって」
俺は、息を吐いた。
成功、ではない。
だが、失敗でもない。
「……誰が?」
「例の勉強会に、参加した人たちです」
名前は、聞かなかった。聞く必要もない。
「騎士団から、連絡は?」
「まだです」
それでいい。
結果は、遅れて出る。
その日の夕方。
ギルドの外で、バルド団長を見かけた。視線が合う。向こうは、何も言わない。
ただ、軽く顎を引いた。
了解、という意味だろう。
公式には、何も起きていない。
だが、水面下では、確実に何かが動いている。
俺は、空を見上げた。
この世界は、今日も非効率だ。
だが。
ほんの少しだけ、壊れにくくなった気がした。
《最適化》が、淡々と記録する。
——変化:微小。
——継続可能性:高。
——介入、当面不要。
それを見て、俺は静かに頷いた。
目立たない改革こそ、長く生きる。
ブラック企業で、唯一学んだ真理だった。




