第5話 教えるという地獄
一日一時間。
自分で言っておいてなんだが、その条件を口にした瞬間、嫌な予感しかしなかった。
教える、という行為は、基本的に効率が悪い。相手の理解度、前提知識、思い込み、癖。その全部を把握しないと、こちらの意図は正確に伝わらない。会社員時代、嫌というほど味わった。
だが、断れなかった。
断った場合の空気悪化と、今後の居心地の悪さを《最適化》がはじき出してしまったからだ。
結果として、俺は今。
ギルドの小さな会議室に立っている。
目の前には、リリアを含めた職員が五人。全員、やたら真剣な顔をしている。机の上には、メモ用紙とペン。なぜか、全員分。
(……講習会じゃないか)
リリアが咳払いをした。
「では、アルトさん。本日は“冒険者対応の改善点”について——」
「待ってください」
即座に遮った。
「改善点、じゃないです。俺は専門家じゃない。ただ、気づいたことを話すだけです」
「ですが……」
「あと、メモは取らなくていいです」
全員の手が止まる。
「覚えられない内容は、運用できません。まず、やることを減らしましょう」
沈黙。
《最適化》が、はっきりと告げる。
——理解度:低。
——説明方法、変更。
俺は、机の上の紙を一枚取った。
「今日やるのは、三つだけです」
紙に、大きく数字を書く。
一。
二。
三。
「一つ目。冒険者が怒っているとき、まず“話を遮らない”」
職員の一人が、首を傾げた。
「でも、それだと……」
「途中で遮ると、内容が整理される前に感情だけが増幅します。最後まで言わせてください」
全員、黙る。
「二つ目。分からないことは、その場で“分からない”と言う」
「……怒られませんか?」
「怒られます。でも、後で爆発するよりマシです」
リリアが、小さく頷いた。
「三つ目。決められないことは、即座に“上に回す”」
「それは……責任逃れでは?」
その質問が出るのは、分かっていた。
「違います。責任の分離です。判断権限がない人間が決める方が、よほど無責任です」
少しだけ、空気が変わった。
理解が、追いつき始めている。
「以上です」
俺は紙を置いた。
「……え?」
誰かが声を漏らした。
「終わりです。これ以上増やすと、現場が混乱します」
沈黙が落ちる。
そして。
「……それだけ、ですか?」
リリアが聞いた。
「はい」
全員が、顔を見合わせる。
「今まで、研修は半日かけて……」
「無駄です」
即答した。
「現場は忙しい。忙しい場所ほど、仕組みは単純であるべきです」
その言葉が、何かに刺さったらしい。職員の一人が、深く息を吐いた。
「……楽、ですね」
「そうです。楽にしてください」
俺は、少しだけ肩の力を抜いた。
「仕事は、楽にやっていい。楽に回らない仕組みが悪いんです」
その瞬間。
空気が、完全に変わった。
尊敬とか、崇拝とか、そういうやつだ。
やめろ。そういう目で見るな。
《最適化》が、冷酷な結果を表示する。
——講習効果:高。
——依存度:上昇。
——次回要請:確定。
最悪だ。
講習が終わり、職員たちが会議室を出ていく中、リリアだけが残った。
「……ありがとうございました」
「約束の一時間、守りましたよ」
「はい。でも……」
彼女は、少し言いづらそうに続ける。
「皆、すごく助かったと思います」
「それは、よかったです」
嘘じゃない。誰かの負担が減ったなら、それはいいことだ。
だが同時に。
「……あの」
リリアが、真剣な目で俺を見る。
「アルトさんは、どうしてそんなに……慣れているんですか?」
慣れている。
その言葉に、少しだけ笑ってしまった。
「慣れたくて、慣れたわけじゃないです」
俺は、椅子に腰掛けた。
「人が潰れるのを、何度も見た。それだけです」
リリアは、何も言わなかった。
ただ、静かに聞いている。
「効率が悪いと、人は疲れます。疲れると、判断を間違える。間違えると、誰かが怪我をする」
今日、血を流していた冒険者の顔が浮かぶ。
「だから、無駄が嫌いなんです」
少し、間が空いた。
「……アルトさん」
「はい」
「ギルドとして……いえ、私個人として」
彼女は、拳を握った。
「これからも、相談してもいいですか?」
《最適化》が、答えを出す前に、俺は口を開いていた。
「……業務時間内なら」
リリアが、少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔を見て、胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった。
だが。
会議室を出た瞬間、廊下の向こうに見覚えのある鎧が見えた。
昨日の、騎士団の男だ。
目が合う。
にやり、と笑われた。
……嫌な予感しかしない。
《最適化》が、最後にこう告げる。
——次のフェーズ:公的関与。
俺は、深くため息をついた。
どうやらこの異世界では。
「教える」という行為が、一番の地雷らしい。




