第4話 普通にやっただけなのに
その日のギルドは、明らかにおかしかった。
正確に言えば、俺を見る目がおかしい。
依頼を終えた冒険者が、やたらとこちらをちらちら見てくる。ひそひそ声が、聞こえるようで聞こえない距離を保って漂っている。
「……さっきの新人だよな」
「猫探し、十分で終わらせたって……」
「血、止めてたぞ。魔法なしで」
やめろ。全部聞こえてる。
俺は壁際の席に座り、木製のコップで水を飲んだ。酒はまだいい。判断力を落とす行為は、今の状況では最悪だ。
《最適化》が、静かに分析を続けている。
——情報拡散速度:中。
——尾ひれ付与率:上昇中。
嫌な数値しか出てこない。
リリアが、カウンター越しにこちらを見ていた。仕事中のはずなのに、視線が定期的に俺に向く。そのたびに、少し困ったような、少し考え込むような顔をしている。
(……誤解が育ってる)
放置すれば、勝手に神格化される。かといって、逐一否定すれば余計に目立つ。
最悪だ。
そんな中、リリアが意を決したようにカウンターを出てきた。
「アルトさん」
「はい」
「……その、先ほどの件ですが」
件。あぁ、止血のことだろう。
「応急処置です。知ってる人なら誰でも——」
「知りません」
即答だった。
しかも、真顔。
「冒険者の多くは、怪我=治癒魔法、です。魔力が切れたら、あとは運任せ。応急処置を学ぶ文化は、ほとんどありません」
……文化が、ない。
その言葉が、ずしりと来た。
「だから、皆さん……驚いていました」
「……そうですか」
俺は、視線を落とした。
合理的でない仕組みがあるのは分かる。だが、それを「仕組み」として受け入れてしまっている世界は、想像以上に厄介だ。
「アルトさんは……以前、治療師だったのですか?」
リリアの声は、慎重だった。踏み込んでいいかどうか、測っている。
「いいえ。ただの会社員です」
「……会社、員?」
「はい。人が倒れる職場でした」
冗談のつもりはなかった。だが、リリアは一瞬言葉に詰まり、それから苦笑した。
「……大変な職場だったんですね」
「ええ。毎日、誰かしらが倒れそうでした」
今思えば、あの職場こそ異世界だったのかもしれない。
そのとき、ギルドの扉が乱暴に開いた。
「おい! 受付!」
声がでかい。鎧の擦れる音。酒の匂い。
見ると、三人組の冒険者が立っていた。明らかに、酔っている。
「依頼の報酬が少ねぇんだが?」
あぁ、クレーマーだ。
《最適化》が即座に分類する。
——感情優位型。
——論理耐性:低。
——対応:冷却。
リリアが対応しようと前に出るが、男の一人が机を叩いた。
「聞いてんのか!」
周囲が一瞬、静まり返る。
まずい。これは、組織トラブルの典型だ。窓口に圧をかけ、ルールを曲げさせる。
俺は、反射的に立ち上がっていた。
「……その依頼、内容は何でしたか」
自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。
三人が、俺を見る。
「なんだ、お前」
「関係者です」
嘘ではない。ギルドにいる以上、完全な部外者ではない。
「依頼内容と報酬、釣り合ってないと感じた理由を教えてください」
男たちは、顔を見合わせた。
「……魔物が、想定より多かった」
「場所も、聞いてたより遠かった」
「危険だったんだよ!」
なるほど。
「依頼書、見せてもらえますか」
「は?」
「確認したいだけです」
一瞬の間。だが、リーダー格の男が、舌打ちしながら依頼書を投げてよこした。
俺は目を通す。
——討伐対象:小型魔物。
——想定数:三。
——場所:南森周辺。
問題点は、すぐに分かった。
「……地図、古いですね」
「は?」
「南森は、先月の雨で地形が変わってます。獣道が崩れて、迂回が必要になっている。距離が伸びているはずです」
男たちの顔色が変わる。
「……知ってたのか?」
「いえ。今、気づきました」
《最適化》が、情報を補完しているだけだ。
「つまり、依頼内容が現状に合っていない。危険度と距離が上がっているなら、報酬再計算が妥当です」
俺は、リリアを見る。
「依頼書、更新できますか?」
「……可能、です」
声が、少し上ずっている。
「じゃあ、今回分は臨時調整。次回からは修正後の条件で受注すれば、同じトラブルは減ります」
沈黙。
冒険者たちが、俺を見る。
「……それだけか?」
「はい」
男は、しばらく俺を睨んでいたが、やがて肩の力を抜いた。
「……最初から、そう説明してくれりゃ良かったんだ」
「たぶん、誰も確認してなかったんだと思います」
男は、鼻で笑った。
「ちげぇねぇ」
三人は、報酬の再計算を受け取り、文句も言わずに去っていった。
ギルドの中が、しんと静まる。
視線が、また俺に集まる。
あぁ、最悪だ。
リリアが、小さく拍手した。
……え?
「……すごいです」
「何がですか」
「揉めずに、終わらせました」
「普通に話しただけです」
その瞬間、周囲の冒険者たちが、ざわっとした。
「普通……?」
「今のが……?」
やめろ。その反応はやめろ。
《最適化》が、無情な結論を出す。
——評価:異常。
——訂正コスト:高。
俺は、頭を抱えそうになるのを必死で堪えた。
(普通って、なんだよ……)
この世界での「普通」が、俺の知っているそれと、致命的にズレている。
リリアが、真剣な顔で言った。
「アルトさん」
「はい」
「……ギルドとして、お願いがあります」
来た。来てしまった。
「今日のこと……他の職員にも、教えてもらえませんか?」
最悪だ。
完全に、最悪だ。
俺は、天井を仰いだ。
休む。寝る。笑う。
神(仮)との約束が、頭をよぎる。
だが同時に、《最適化》が、囁いた。
——拒否:関係悪化。
——受諾:負担増加。
——最善手:限定的受諾。
俺は、深く息を吸った。
「……一日、一時間だけなら」
リリアの顔が、ぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
その反応で、確信した。
俺はもう、静かに生きるルートから外れた。
普通にやっただけなのに。
この世界では、それが一番の異常らしい。




