第16話 守るために、離れるという選択
距離を取る、という判断は、だいたい遅れる。
必要だと分かっていても、まだ大丈夫だと思ってしまう。まだ壊れていない。まだ誰も泣いていない。だから、もう少しだけ、と居続ける。
それが、一番危ない。
その朝、ギルドに入った瞬間、違和感があった。
静かだ。第15話までの“落ち着いた静けさ”とは違う。人が少ないわけでも、仕事が減ったわけでもない。ただ、動線が固まっている。
誰もが、同じ場所を見ている。
掲示板だ。
例の整理表の前に、人が集まっている。集まっている、というより「寄ってしまっている」と言った方が近い。視線が、自然とそこへ引き寄せられている。
《最適化》が、即座に警告を出す。
——参照頻度:上昇。
——判断依存:兆候あり。
……まずい。
便利すぎるものは、判断を奪う。
俺は、立ち止まらずに通り過ぎた。今ここで何か言えば、「管理者」になってしまう。
◇
昼前、リリアが小さく手を振った。
裏口だ。
人目を避けるように通路へ出ると、彼女は少し困った顔をしていた。
「……最近、相談が増えてます」
「でしょうね」
答えは分かっている。
「“この条件だと、どう判断すればいいですか”って」
それは、完全に一線を越えている。
「アルトさんの考えを、聞きたいって」
《最適化》が、はっきりと告げる。
——依存形成。
——放置時リスク:高。
「……答えてませんよね」
「はい。なるべく、整理表を見るようにって」
正解だ。
「でも……」
リリアは、言いづらそうに続ける。
「“アルトさんがいれば安心”って」
胸の奥が、鈍く痛んだ。
安心、という言葉ほど、危険なものはない。
「それは、間違いです」
俺は、はっきり言った。
「俺がいるから判断できるなら、それはもう壊れています」
リリアは、何も言えなかった。
◇
午後。
書類室で、エドガーと顔を合わせた。
彼は、整理表の写しを数枚持っている。
「……広がり始めたな」
「はい」
否定できない。
「止めるか」
短い問いだった。
「今なら、まだ」
エドガーは、現実的なラインを提示してくる。
《最適化》が、選択肢を並べる。
——即時撤去:混乱小。
——段階的縮小:効果減。
——放置:神格化リスク。
どれも、痛い。
「……剥がしません」
俺は、そう答えた。
エドガーが、目を細める。
「代わりに」
言葉を続ける。
「俺が、距離を取ります」
少しの沈黙。
「それは……」
「現場から、一段引きます」
相談に乗らない。整理表にも触れない。ギルドへの滞在時間を減らす。
非公式相談役としての“便利さ”を、意図的に下げる。
「そうすれば、依存は弱まります」
エドガーは、しばらく黙ってから言った。
「……逃げるのか」
「守るためです」
即答だった。
「俺が近くにいる限り、“考えなくていい理由”になります」
彼は、深く息を吐いた。
「君は……」
言葉を探している。
「自分が原因になることを、よく分かっている」
「慣れているだけです」
それも、本音だった。
◇
夕方。
リリアに、短く伝えた。
「明日から、少し来る回数を減らします」
「……どうしてですか」
「今が、一番危ないからです」
彼女は、すぐに理解した。
「……皆、困ると思います」
「困らせないと、考えません」
それが、現実だ。
「大丈夫です」
俺は、静かに言う。
「もう、考える材料は渡しました」
彼女は、少しだけ唇を噛んでから、頷いた。
「……待ってます」
「待たなくていいです」
それが、唯一の願いだった。
◇
ギルドを出ると、空は澄んでいた。
皮肉なほど、穏やかだ。
《最適化》が、今日の決断を記録する。
——介入頻度:低下。
——短期影響:混乱。
——長期影響:自律性向上。
正しいかどうかは、分からない。
だが、必要な距離だ。
守るために、離れる。
それは、会社員時代に一度も選べなかった選択だ。
今回は、間に合ったと思いたい。
俺は、ゆっくりと歩き出した。
背中に、ギルドの気配を感じながら。
それでも、振り返らなかった。
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