第14話 名前のない整理表
整理表というものは、だいたい嫌われる。
誰が見ても便利なのに、誰の責任か分からない。便利なのに、使った瞬間から「それに従った」と言われる。だから、最初に目を逸らされる。
その朝、俺はギルドに少しだけ早く来ていた。
職員の出入りがまだ少ない時間帯。掲示板の前に立ち、何も書かれていない紙を一枚、そっと貼る。
大きな文字も、見出しもない。
ただ、箇条書き。
《魔力が足りないとき》
《仲間が少ないとき》
《搬送に時間がかかるとき》
《夜間・悪天候》
《依頼内容と現地状況が違うとき》
その下に、小さく一行。
《判断材料の例》
さらに下に、短い文が続く。
《治癒魔法が使えるか》
《応急対応ができる人がいるか》
《撤退ルートが確保できるか》
《依頼主へ連絡できるか》
答えは、どこにも書いていない。
「こうしろ」も、「これが正解」もない。
考えるための材料だけを並べた紙だ。
名前も、署名も、日付も入れていない。
それでいい。
《最適化》が、評価を出す。
——指示性:低。
——責任付与:最小。
——使用率:低〜中。
理想的だ。
貼り終えた瞬間、背後で足音がした。
「……これ、誰が作ったんだ」
振り返ると、古参の冒険者が一人立っていた。腕組みをして、紙を睨んでいる。
「分かりません」
俺は、正直に答えた。
「分かりません、だぁ?」
「はい」
嘘ではない。
男は、鼻で笑った。
「責任逃れの紙だな」
「そう見えるなら、使わなければいいです」
男は、じっと俺を見た。
「……だが」
視線が、紙に戻る。
「これ、昨日の件に……」
「当てはまりますか」
言葉を被せる。
男は、黙った。
答えは、出ている。
「……剥がすか」
「剥がしても、構いません」
俺は、肩をすくめた。
「必要な人は、もう覚えています」
男は、舌打ちした。
「厄介なことをする」
「よく言われます」
それも、褒め言葉だと思うことにしている。
男は、そのまま去っていった。
紙は、残った。
◇
昼前。
掲示板の前に、人が集まり始めた。
大勢ではない。二人、三人。ちらっと見て、離れる。だが、完全に無視はされない。
その中に、昨日処分を受けた若い冒険者がいた。
遠くから、分かった。
近づく気はなかった。目も合わせない。
だが、彼は紙の前で立ち止まり、しばらく動かなかった。
拳を、ぎゅっと握っている。
《最適化》が、静かに分析する。
——自己責任意識:過剰。
——学習意欲:高。
——再起可能性:有。
彼は、紙をじっと見つめ、何かを確認するように頷いた。
それだけで、十分だった。
◇
午後。
書類室で、エドガーと顔を合わせた。
彼は、例の紙を持っている。
「……君か」
断定ではない。確認だ。
「分かりません」
俺は、いつもの答えを返す。
エドガーは、小さく笑った。
「そう言うと思った」
紙を、机に置く。
「これは、規定じゃない」
「はい」
「指示でもない」
「はい」
「だが……」
少し、間を置く。
「現場が、勝手に使う」
それが、一番厄介だ。
「止めますか」
俺が聞くと、エドガーは首を横に振った。
「止められない」
正直な答えだった。
「剥がせば、別の形で出てくる」
「そうですね」
彼は、深く息を吐いた。
「……守ろうとしているのは、分かる」
初めて、感情のこもった声だった。
「だが、全員は守れない」
「分かっています」
俺は、即答した。
「減らすだけです」
エドガーは、しばらく黙ってから言った。
「君は、本当に……」
言葉を探している。
「制度の外にいる人間だ」
「そうありたいです」
外にいなければ、見えないものがある。
◇
夕方。
リリアが、そっと話しかけてきた。
「……あの紙」
「はい」
「使ってる人、いました」
少しだけ、声が弾んでいる。
「どうでした」
「“判断しやすかった”って」
それなら、十分だ。
だが同時に、別の報告もあった。
「……嫌がってる人も」
「でしょうね」
予想どおりだ。
「“責任を押し付けられそうだ”って」
それも、正しい。
整理表は、便利な刃物だ。
使い方を間違えれば、怪我をする。
《最適化》が、総評を出す。
——影響範囲:限定。
——賛否:拮抗。
——破綻:未発生。
今のところは。
ギルドを出ると、夕焼けだった。
昨日の曇り空とは違う。
だが、晴れ切ってはいない。
ちょうどいい。
極端な天気は、だいたい碌なことにならない。
俺は、歩きながら思った。
名前のない整理表は、誰も守ってくれない。
だが、誰かを守ることはできる。
それで、いい。
完璧じゃない。
だが、切られる人を一人減らせたなら。
この世界でやることとしては、十分すぎると思えた。




