第13話 守られる人と、切られる人
雨は、本降りにはならなかった。
空は重いまま、ぽつぽつと間隔を空けて水を落とす。止むわけでも、降り切るわけでもない。判断を先送りにした空模様だ。
……よくできている。
俺は、ギルドから少し離れた通りを歩いていた。宿に戻るには遠回りだが、今は人の気配が少ない方がいい。
頭の中で、さっきの光景が何度も再生される。
俯いた若い冒険者。
「制度上は妥当だ」というエドガーの声。
何も言わなかった自分。
《最適化》は、感情を挟まずに整理を続けている。
——判断ミスの原因:知識の断片化。
——教育不足:事実。
——責任所在:制度設計。
だが、制度は責任を取らない。
取るのは、人だ。
宿に戻ると、廊下の奥で話し声が聞こえた。低く、抑えた声。壁越しでも分かる。内容は、俺の噂だ。
「……あいつのやり方、危ねぇって話だろ」
「でも、助かったって話もある」
「結局、失敗した奴が悪いんだよ」
最後の言葉が、妙に引っかかった。
失敗した奴が悪い。
それは、いつも正しい顔をして使われる言葉だ。
部屋に入り、椅子に腰掛ける。外套を脱ぐ気にもならない。
《最適化》が、珍しく結論を出さない。
——次の最善手:未確定。
……そうか。
今は、最適解が存在しない。
しばらくして、ノックの音がした。
短く、二回。
扉を開けると、そこにいたのはリリアだった。業務用の上着のまま、髪も少し乱れている。
「……少しだけ、いいですか」
「どうぞ」
部屋に入ると、彼女は立ったまま言った。
「今日の件……噂になっています」
やはりか。
「“考え方だけ教えるのは、無責任だ”と」
胸の奥が、ひりつく。
「逆に、“正式に教えれば防げた”という声もあります」
どちらも、正しい。
そして、どちらも危険だ。
「……アルトさん」
リリアは、迷いながら続けた。
「今日の冒険者、再教育を受けることになりました。でも……」
「でも?」
「同じ依頼で、別の班は成功しています」
成功した班。
《最適化》が、即座に差分を洗い出す。
——魔法使用判断:早い。
——応急処置:最小限。
——現場裁量:高。
つまり。
「……判断できた人は、守られる」
俺が言うと、リリアは小さく頷いた。
「判断できなかった人は?」
「切られます」
声が、震えていた。
それが、制度だ。
平等に見えて、不平等。
「アルトさんは……」
彼女は、意を決したように言う。
「このままで、いいと思いますか」
答えは、すぐに出なかった。
《最適化》が、ようやく候補を出す。
——現状維持:被害、継続。
——完全撤退:悪化。
——関与強化:責任集中。
どれも、地獄だ。
「……良くはないです」
正直に答える。
「でも、すぐに“良くする方法”もない」
リリアは、唇を噛んだ。
「じゃあ……どうすれば」
俺は、少しだけ考えてから言った。
「守られる人と、切られる人の差を……見えるようにするしかない」
「見えるように?」
「はい」
椅子の背にもたれ、天井を見る。
「今は、“できた人が優秀”“できなかった人が悪い”になっている」
それが、一番まずい。
「差は、能力じゃなくて“条件”です」
魔力。経験。情報。仲間。運。
「それを、誰も整理していない」
リリアは、静かに聞いている。
「整理すれば、“できなかった人”を切る理由が減る」
「……それは」
「制度の話です」
彼女の目が、見開かれる。
「でも、アルトさんは……」
「決定しません」
すぐに釘を刺す。
「俺は、整理するだけです」
エドガーの顔が、頭に浮かんだ。
分かっている人ほど、止めに来る。
なら、止めにくい形にするしかない。
「……それを」
リリアが、恐る恐る言う。
「誰が、やるんですか」
俺は、少しだけ笑った。
「“誰か”です」
その答えに、彼女は困惑した。
「俺じゃない。あなたでもない。ギルドでもない」
言葉を選ぶ。
「“現場が勝手に使える整理表”を、置くだけです」
名前も、責任も、付けない。
使うかどうかは、各自。
それなら。
守られる人と、切られる人の境目が、少しだけ動く。
「……それは」
リリアは、深く息を吸った。
「とても、アルトさんらしいです」
褒め言葉として受け取ることにした。
彼女が帰ったあと、俺は机に向かった。
紙を一枚、引き寄せる。
書くのは、指示でも、手順でもない。
条件だ。
魔力が足りないとき。
仲間が少ないとき。
搬送が遅れるとき。
そのとき、何を優先するか。
答えは、書かない。
考える材料だけを、並べる。
《最適化》が、ようやく結論を出した。
——最善手:責任の分散。
完璧じゃない。
だが、切られる人を減らすくらいは、できる。
雨は、いつの間にか止んでいた。
空はまだ重いが、落ちてはこない。
俺は、静かに紙を畳んだ。
また一歩、戻れない場所へ進んだ気がした。
それでも。
何もしないよりは、ずっとマシだと思えた。




