第11話 分かっている人ほど、止めに来る
非公式相談役、という立場は、想像以上に宙ぶらりんだった。
朝、ギルドに顔を出しても、誰かが指示を出してくるわけではない。かといって、完全な部外者でもない。職員からは「聞いていい人」、冒険者からは「話が通じる人」、上層からは「都合のいい人」——その中間に、俺は立っている。
立たされている、と言った方が正確かもしれない。
その日、リリアに呼ばれたのは、カウンターではなく書類室だった。
「……こちらです」
普段は職員以外立ち入らない部屋。壁一面に棚が並び、帳簿と書類がぎっしり詰まっている。紙の匂いが濃い。
中にいたのは、見知らぬ男だった。
年は四十代半ば。派手さはない。だが、服装はきっちりしていて、袖口も靴もよく手入れされている。現場の人間というより、長く裏方をやってきた雰囲気だ。
「……彼が、アルトさんです」
リリアがそう紹介すると、男は静かにこちらを見た。
「エドガー・ルーン」
名乗り方が簡潔だった。
「ギルド管理部門の責任者だ」
責任者、という単語が引っかかる。
「アルトです」
それ以上、付け加えない。
エドガーは、俺をじっと観察するように数秒黙り、それから言った。
「噂は、色々聞いている」
やっぱりか。
「門の誘導、応急処置、講習……そして今は、非公式相談役」
「最後は、少し誤解があります」
「承知している」
即答だった。
「君は、決定権を持っていない。名前も、表に出ていない」
……把握が早い。
「だから、今日ここに呼んだ」
エドガーは、棚から一冊の帳簿を引き抜いた。
古い。角が擦れて、何度も開かれた跡がある。
「これは、五年前の事故記録だ」
ページを開き、机の上に置かれる。
文字を追う前に、《最適化》が概要を掴む。
——業務改善試行。
——現場導入。
——事故発生。
——責任所在不明。
——担当者、左遷。
……ああ。
嫌なタイプの既視感だ。
「当時、私は現場にいた」
エドガーは、淡々と続ける。
「改善案は正しかった。効率も上がった。だが、一度の例外で事故が起きた」
ページの端を、指で叩く。
「結果、誰が責任を取ったと思う?」
答えは分かっている。
「……提案した人、ですね」
「違う」
エドガーは、首を横に振った。
「提案した人間は、もう異動していた。責任を取らされたのは——」
一瞬、間が空く。
「“現場で実行した人間”だ」
静かな言葉だった。
だが、重い。
「規定外のことをやった、という一点でな」
《最適化》が、警告を強める。
——類似事例。
——再現性、高。
「君のやり方は、正しい」
エドガーは、はっきり言った。
「理屈も通っている。現場も助かる。私も、分かっている」
それでも。
「だからこそ、止めに来た」
リリアが、息を飲む。
「アルトさんが、何かを“変えた”という形が残れば、いずれ誰かが責任を取らされる」
「……それが、俺でも?」
「最初は、違う」
エドガーは、視線を外した。
「最初は、もっと弱い立場の人間だ」
胸の奥が、鈍く痛んだ。
俺は、しばらく黙ってから口を開いた。
「では、どうすればいいですか」
「何もしない」
即答だった。
「少なくとも、“名前が紐づく形”では」
分かっている。
分かっていた。
だから、非公式にした。名前を出さなかった。決定権も持たなかった。
「……それでも」
俺は、静かに言う。
「現場は、もう動いています」
エドガーは、目を細めた。
「だから、ここで止めないと、後戻りできなくなる」
正論だ。
だが、正論だけで人は守れない。
「エドガーさん」
初めて、相手の名前を呼んだ。
「あなたは、今も“正しいやり方”を知っているのに、やらない側に立っている」
責めるつもりはなかった。ただ、事実を確認しただけだ。
「それは、怖いからですか」
一瞬。
本当に一瞬だけ、エドガーの表情が揺れた。
「……怖い」
認めた。
「もう一度、同じことが起きるのが」
その答えに、嘘はなかった。
部屋に、沈黙が落ちる。
俺は、深く息を吸った。
「なら、こうしましょう」
《最適化》が、静かに解を組み立てる。
「俺は、提案しません」
二人が、こちらを見る。
「質問されたら、答えます。でも、“こうしろ”とは言わない」
「……今と、何が違う?」
「言葉です」
俺は、はっきり言った。
「“改善案”ではなく、“考え方”だけを話します」
エドガーは、少し考え込んだ。
「それなら……責任は」
「考えた人間にあります」
重いが、逃げない。
「少なくとも、“俺がやらせた”とは言えない」
しばらくして、エドガーは小さく息を吐いた。
「……君は、本当に厄介だ」
「よく言われます」
それは、褒め言葉だと思うことにしている。
「分かった」
彼は、頷いた。
「その線なら、私は止めない」
完全な味方ではない。
だが、敵でもない。
この位置関係が、一番危うくて、一番健全だ。
部屋を出るとき、エドガーは一言だけ言った。
「覚えておけ」
振り返る。
「分かっている人間ほど、最後に君を止めに来る」
その言葉を、俺は胸に刻んだ。
廊下に出ると、リリアが小さく息を吐いた。
「……大丈夫、そうですか」
「分かりません」
正直に答える。
「でも、今日止められなかったなら、もう少しだけ進めます」
彼女は、少し困ったように笑った。
「アルトさんらしいですね」
らしい、という言葉が、少しだけ救いだった。
《最適化》が、今回の状況をまとめる。
——新要因:内部ブレーキ。
——進行速度:低下。
——破綻リスク:一時的減少。
悪くない。
だが同時に、こうも表示されていた。
——感情負荷:増加。
俺は、天井を見上げた。
正しいことを、正しいまま通すのは、やっぱり難しい。
それでも。
止められる理由が“理解”であるうちは、まだ対話ができる。
そう思いながら、俺は静かに歩き出した。




