第10話 正式じゃないお願い
「お願い」という言葉は、立場が上の人間が使うと、だいたいお願いじゃなくなる。
それを、俺はよく知っている。
その日、ギルドに入るなり、リリアが珍しく慌てた様子で近づいてきた。
「アルトさん、少し……お時間、いただけますか」
声が小さい。周囲を気にしている。
「業務時間内ですか」
「はい。……一応」
一応、という言い方が嫌だった。
案内されたのは、いつもの裏口ではなく、二階の小部屋。来客用の応接室らしい。普段は使われていないのか、椅子に薄く埃が積もっている。
そこに、見知らぬ男が一人いた。
年は四十前後。派手さはないが、姿勢と目つきで「現場に長い人間」だと分かる。書類を膝に置き、俺が入ってくるのを静かに見ていた。
「こちら、ギルド副長のハーゼンです」
副長。
つまり、実務トップだ。
「アルトです」
必要最低限で名乗る。
「話は、少し聞いている」
ハーゼンは、感情を乗せずに言った。
「最近、ギルド内のトラブルが減っている」
俺は、何も言わなかった。
「怪我人の戻りが早い。クレームが長引かない。職員の離席時間が短い」
淡々と、事実だけが並ぶ。
「理由は、はっきりしない」
そこで、ハーゼンは俺を見た。
「だが、君が関わり始めた時期と、重なっている」
来た。
《最適化》が、即座に分類する。
——責任追及型ではない。
——功績回収型。
——要注意。
「誤解です」
俺は、即答した。
「私は、何もしていません」
半分は本当だ。
「それでも、現場はそう見ていない」
ハーゼンは、書類を一枚取り出した。
「だから、正式な依頼ではないが……」
少し、間を置く。
「“相談役”のような立場で、話を聞いてもらえないか」
あぁ。
ついに来た。
制度に組み込まれる第一歩。
俺は、深く息を吸った。
「報酬は?」
即座に聞く。
ハーゼンは、一瞬だけ眉を動かした。
「金銭的なものは、今は出せない」
「では、正式な役職ですか」
「それも、難しい」
つまり。
責任は取らせたいが、立場は与えない。
会社で何度も見た形だ。
「条件があります」
俺は、静かに言った。
「聞こう」
「私は、決定しません」
はっきり告げる。
「意見は言いますが、判断はしません。名前も出しません」
リリアが、驚いた顔で俺を見る。
「それでは……意味が」
「あります」
俺は、副長を見る。
「“聞いたが、採用しなかった”という選択肢を、常に残してください」
ハーゼンは、黙り込んだ。
《最適化》が、裏で確率を弾く。
——受諾率:五割。
——拒否時リスク:低。
しばらくして、ハーゼンは小さく笑った。
「……君は、実に現場向きだ」
それは、褒め言葉でもあり、警告でもある。
「いいだろう。その条件で」
受け入れられた。
だが、胸の奥が重い。
「一つだけ、約束してほしい」
ハーゼンが続ける。
「君の名前が、勝手に使われることがあるかもしれない」
来た。
「否定は、しません」
俺は答えた。
「ただし、私が言っていないことまで、責任は取りません」
「十分だ」
話は、それで終わった。
部屋を出るとき、リリアが小声で言った。
「……大丈夫ですか」
「分かりません」
正直に答える。
「ただ、ここで断ると、もっと歪みます」
彼女は、少し考え、それから頷いた。
「無理は、しないでください」
「努力します」
それも、本音だ。
ギルドを出ると、夕暮れだった。
空が赤く染まり、人々が家路につく。平和な光景だ。
《最適化》が、今日の評価を表示する。
——立場:非公式。
——影響力:微増。
——拘束時間:不定。
……面倒が、増えた。
だが、避けられない。
制度は、人を組み込みたがる。
それでも。
正式じゃない場所にいる限り、まだ逃げ道はある。
俺は、そう自分に言い聞かせながら、宿への道を歩いた。




