未必の恋、認識ある果実(かじつ)・後編
「どうして、そう思うんですかぁ?」
「わかるんだよ。昔から、君を見てきたから。ああ、責める気はないんだ。ただ聞いておきたくてね。どうして、そうなったんだい」
「そうですねー、マンガの話をしましょうかー。ジョジョの奇妙な冒険って、知ってますよね」
「ああ。原作マンガも、アニメも観てるよ。君がお勧めしてくれたよね」
「そうでしたねー。そのマンガの第一部で、ディオ・ブランドーってキャラクターがいました。元は貧乏な家庭の出身で、でもある日、お金持ちの家に引き取られます。少年だったディオは成人して、その年に義父を殺そうとするんです。どうしてディオは、そんな行動を起こしたんでしょう?」
「わからないな。なぜなんだい」
「最初からディオは、家の財産を狙っていたからですよ。だから、財産を相続できる年齢になって、すぐに行動を起こしたんです。チャンスが来たから、逃さないうちに実行しようとしたんですよ。それだけなんです」
私は去年の四月に、十八歳となった。財産の相続が可能になる年齢である。だから行動を起こした。シンプルに言えば、それだけなのだ。
「君のお婆さんが亡くなったのは、八月だったね。君が相続権を得てから四か月後だ」
「私の誕生日から近い時期に祖母が亡くなったら、普通に私が疑われますよねー。四か月後っていうのは、なかなか絶妙な時期じゃないですかねー」
祖母は心臓が悪かった。今の時代、遠隔操作で、ビックリ箱みたいな仕組みを動かすのは難しくないのだ。祖母の心臓が止まったあと、オモチャみたいな仕掛けは屋敷の暖炉で簡単に灰にできた。屋敷の暖炉は夏の間も料理で使われていたのだ。祖母はイギリス文化が好きで、その影響だったのかは知らないけれど。
「去年の末には相続が完了した。お婆さんは資産家だったから、相当な額だったろう」
「相続人は私だけですから、手続き自体は比較的、スムーズに進みましたけどねー。今年、相続税を払わなきゃいけませんけど、それは適当に不動産を売却して何とかしますー」
やっぱり先輩はすごいなぁと、私は感動していた。私を完璧に理解してくれている。私は無意識に、罰を求めていたのかもしれない。先輩に裁かれて、罰を与えられるのなら仕方がないと思った。
「だけど、まだ私は、君の説明に納得していないよ。マンガと違って、君とお婆さんは実の血縁だろう」
「ええ、それが何か? 財産を目当てに私が祖母を殺せば、マンガの悪役と行動は同じじゃないですかー。私が犯人だとは認めてませんけどー」
「大違いだよ。君は言ってたじゃないか、お婆さんと『仲は良くなかった』って。それはどうしてかな。マンガのディオ・ブランドーは表面上、義父と仲良くしていたのに。財産を手に入れることだけが目的なら、君はお婆さんと仲良くしておくべきだったはずだ」
「……しょうがないじゃないですか。私は祖母から、ずっと疎まれていたんです」
「つまりお婆さんから、君は嫌われていたわけだ。憎まれていた、というべきかな。それは君のご両親が亡くなったことと、関係があるんじゃないのかい」
触れ合っている身体から、先輩の体温を感じる。私は空を見上げた。
「……知っての通り、私が五歳のとき、父の運転中に事故が起きました。大型ダンプカーの居眠り運転です。私は後部座席にいて、ダンプカーに衝突されて。両親は死んで、私だけが生き残りました」
私の背中には、今も大きな傷跡がある。修学旅行は中学のときに一度だけ行って、大浴場での入浴は時間をずらして、一人だけで入った。その後、修学旅行には参加していない。
「あの頃の君を、私は覚えているよ。すべての希望を失っていて、私が傍にいてあげたいと思った。君のご両親やお婆さんと、私の家は付き合いがあったからね。幸い、君も私に懐いてくれたし」
その通りだった。懐くどころではなく、二つ年上の先輩は崇拝の対象となって。祖母は屋敷への来客を好まなかったから、私が先輩の家へと遊びに行って、先輩のご両親も快く受け入れてくれた。ご飯を食べさせてもらうことも多くて、料理が美味しくない祖母の屋敷よりも、居心地は良かったものだ。
「暗い子どもでしたよねぇ、私。まともに喋れるのは、先輩やご両親の前だけで。今も大して、変わってないですよ。先輩が勉強や礼儀を教えてくれなかったら、推薦入学なんか取れなかったと思います」
「君は、人間関係を築くのが難しい性格だったわけだ。お婆さんと上手くいかなかったのは、それが原因なのかな」
「……感情を表すのが下手だったんですよ、私。祖母から見れば、気味が悪かったんだと思います。知ってますか。私の両親を死なせたダンプカーの運転手は、あの後、事故で死んでるんです。偶然なんですけどね。祖母はダンプカーの運転手や、私の両親が死んだのを、私の仕業だと信じてたんです。そんなわけ、ないのに」
実際のところ、祖母がどんな妄想をしていたのか、正確にはわからない。何かにつけて祖母は、『お前のせいだ』と、私に言い続けた。どうにかして私は、誤解を解きたかったのだが。
「お婆さんにとって、息子夫婦の死は相当なショックだったんだろうね。とにかく、それで君とお婆さんは、対立が続いたわけだ」
「ええ、まあ。それで相続権を得てから、殺しちゃったんですよ。これは独り言ですけどね。……私を裁いてくれませんか、先輩」
「具体的に、どうやって? 証拠は何もないんだろう?」
「わかりませんけど。この崖から突き落とすっていうのはどうでしょう。邪悪な存在かもしれませんよ、私。この場で処分したほうがいいのかもしれません」
警察に自首をするほど、私は殊勝な性格ではない。だけど先輩が裁くのなら、私は何でも受け入れるつもりだった。私にとって、先輩は神にも等しい存在なので。
「……とりあえず、私に言えるのはね。対立が長引けば、それは深刻な争いを引き起こすってことさ」
「ええっと。つまり、どういうことでしょう?」
「君はお婆さんと、ギリギリまで和解を試みていた。だけど上手く行かなくて、君は十八歳になった。ひょっとしたら逆の展開もあり得たんじゃないかな。君のお婆さんが恐怖を募らせて、君のことを殺したりね。人を殺せる毒物を購入するくらい、お婆さんにだって可能だったさ」
「……わかりませんよ、そんなの。実際には起きなかった出来事ですし」
「そうだよ、すべては可能性だ。可能性の話として、争いがこじれれば、人は人を殺すこともあるのさ。私に言わせれば、お婆さんじゃなくて、君が生きていてくれて良かったと思う。とても、嬉しいよ」
「……いいんですか、そんなの。えこひいきが過ぎますよぉ」
「いいんだよ。君は私のことを神さまみたいに思っているけど、とんでもない。お酒を飲んで酔っ払うような、愚かな人間に過ぎないのさ。罪の味を知った、アダムとイブの子孫というわけだ」
「せんぱぁい……」
私が祖母の殺害を決めた理由は複数ある。財産の目当てもあったし、先輩が指摘したように、祖母から殺される可能性も心配はしていて。そして────祖母は私と先輩の関係を、決して認めようとはしなかった。
『女同士で付き合うなど、私の家の恥だ』。祖母はそう言って、私と先輩を力ずくで別れさせるとさえ言い放った。あの言葉さえ無かったら、私の行動は違っていたかもしれない。
「いいんですかぁ。私、いっぱい甘えちゃいますよぉ。いいんですかぁ」
「いいんだよ。君には長い間、甘えられるような家族関係がなかった。きっと私は、君を甘やかすために、神さまから遣わされたんだ。昔から、君の世話を焼くのが好きだった。これからもずっと、君のお世話をさせてほしい」
崖の上で、私と先輩は抱きしめ合う。まったく、ドラマとは大違いだ。私の罪は裁かれなくて、先輩は私を責めずに甘やかしてくれる。それは何も考えてないのではなく、先輩が生涯をかけて、私の罪を一緒に背負おうとしているからだ。
清く正しく美しい先輩が、罪人になるとしたら私のせいである。それなのに私は、先輩の決意が嬉しくてたまらないのだ。さっきから涙が止まらなくて、どうしようもないくらいに。
「辛かったんです……。両親が亡くなって、私だけが、生き残ったことが。祖母はきつく当たってくるし。無条件で、愛してほしかったんです。『生きてていいよ』って、誰かに私の生を、肯定してほしかったんですぅ……」
わあぁぁぁ、と、みっともなく私は泣き声をあげる。先輩が落ち着かせるように、背中を撫でてくれて。ちょっと想像してた展開とは違ったけれど、こうして私と先輩の仲は、これ以上はないというくらいに深まったのであった。沖縄の空と海の、これ以上はないというくらいに深く感じられる青色に包まれながら。
それから私と先輩は、旅行の日程をホテルの中で過ごしていった。関係が深くなれば、お互いの身体を深く知りたくなるのは自然なことなので。先輩は二十歳で、私は十八歳なのである。殺人と比べれば、睦み合うことに倫理的な問題など、ないに等しかった。
「そろそろ眠ろうか。寝坊をしたら、ホテルの朝食を取り損ねちゃうからね」
「せんぱい、すっごーい……。大人の愛し合い方って、こんなに深いものなんですねー」
私はベッドの上でうつ伏せになって、ぐったりと動けないでいる。汗ばんだ裸の背中を、先輩が撫でてくれていた。特に、背中の傷を愛おしそうに。
「また沖縄に来たら、今度は夏の海で一緒に泳ごうよ。君の身体は美しいんだ。何も恥じなくていい」
「うーん……。考えておきますー」
それもいいかな、と思った。でも閑散期である冬の沖縄も、悪くはない。ホテルが過度に混まないので、先輩との時間をじっくりと味わうことができる。今の私は先輩によって動けなくされちゃってるけど、不快ではなかった。温かい海の底にいるような感覚で、気持ちがいい。
「私の両親は、空の向こうにいると思うんですよ。祖母は何処にいるか、わかりませんけど。私が死んだら、魂は何処へ行くんでしょうねー。深い海の底かな」
「ねぇ、沖縄の伝承を知ってるかい。沖縄の神さまは、海の中にいるとされる信仰があるんだってさ。私もネットで見ただけだから詳しくはないけどね」
つまり私が言いたいのはね、と、私の背中を撫でながら先輩は続けた。
「人間の信仰や、文化や風習が違うように。善とか悪っていう考えだって、相対的なものなんだよ。君の行いを知れば、悪だと言う人もいるんだろうさ。でも、私は君の善良さを知っているよ。私たちの付き合いを認めない人たちもいる。それが何だというんだい。私たちを受け入れる人や文化、それに神さまは必ずいるんだ。君の魂が海に還るというのなら、私の魂も同じ場所へ行くよ。いつまでも、ずっと一緒に居ようね」
「……結婚しましょう、せんぱぁい。私の財産を奪ってくれてもいいんで。私を殺すときには、最期の姿を瞳に焼きつけてください。貴女の瞳の中に、魂を閉じ込められたいですぅ……」
幸せ過ぎて夢うつつの中、私は先輩に何もかもを捧げると誓った。先輩の指が、動きを変え始める。
「まったく、もう。どれだけ私が今まで、君への欲望を我慢してきたと思っているんだい。いいよ、ある意味、殺してあげる。寝坊しても知らないからね」
先輩は私を完璧に理解していて、とっても優しい。昔っから、そうだった。こんな人に子どもの頃から世話をされたら、恋に落ちるのは避けられない。仮に先輩が大悪人で、財産を目当てにしているとしても構わなかった。未必の故意っていう法律用語があるけど、未必の恋という言葉が脳内に浮かぶ。すべてを捧げられる先輩になら、殺されちゃっても仕方がないのだ。
私は罪を犯して、先輩はその罪を一緒に背負おうとしている。かつてアダムとイブは、罪と知りながら禁断の果実を共に食べた。アダムとイブには、罪を共に背負う覚悟があったのかもしれない。罪であると認識しながら、二人で味わう果実の味は、どれほど美味なのだろう。
「せんぱい、せんぱぁい……」
温かい波を感じる。愛する人の鼓動は波音のようで、先輩によって私は大きな海の中へと放り込まれる。生命は太古の昔に海から生まれ、あちこちへと流れていったのだろう。いつか私の魂は、空の彼方か海の底へと還っていく。何処へ行っても、隣に先輩がいてくれることを私は祈った。




