未必の恋、認識ある果実(かじつ)・前編
「せんぱーい、早く早くー」
今は一月で、高校三年生の私は自由登校の時期である。世間では大学入学共通テストがあるけれど、私は推薦入学が決まっていた。春からは大学生で、愛しの先輩がいる学園に通うこととなる。その先輩と旅行をしているのだから、私の浮かれっぷりも無理はないのであった。
「そんなに急がなくても、沖縄は逃げたりしないよ。ゆっくり行こうじゃないか」
二つ年上の先輩が、慈愛の目を向けてくれる。彼女の瞳が昔から、私は大好きだった。思慮深くて、私のすべてを見通してくれる眼差しである。この瞳の前でなら、私はなんでも差し出せる。先輩が望む姿となって、永遠に瞳のなかへ閉じ込められたいと思った。
私たちは飛行機で沖縄の空港に到着していた。時刻は昼過ぎで、まっすぐ私は先輩とバス乗り場へ向かう。早く一緒にホテルで過ごしたくて、子犬のように先を急ぐのが私で。その私を見守るように、後を歩いてくるのが先輩だ。昔から、こういう関係だった。先輩が見守り続けてくれて、今の私がある。
天候はよく晴れていて、やっぱり東京よりも温かい。もうチケットは買っていて、私たちは空や海をイメージした、青っぽい塗装のバスに乗った。リムジンバスというらしくて、そんなに特別な仕様だとは思わないけど、先輩との二人旅ならすべてがスペシャルだ。女子同士で三泊四日の旅行を予定している。
「一緒に来てくれてありがとうございます、先輩」
バスの座席で隣り合って、私は先輩へと軽く頭を下げる。私と違って、大学生の先輩はいろいろと忙しかったはずだ。旅行の誘いに応じてくれて、あらためて私は感謝の意を表した。
「気にしなくていいよ。君が思うより、大学生なんてのは適当なものさ。むしろ礼をいうべきなのはこっちじゃないかな。旅行費用を出してもらってるんだから」
「当然ですよぉ、私のわがままに付き合ってもらうんですから。なんでも奢っちゃいますから、遠慮しないでくださいよね」
ちょっとした入金が私にはあって、おかげで旅行ができるというわけだった。家族旅行には良い思い出がなくて、学校の修学旅行も取り立てて楽しい記憶はない。それなのに今、こんなに心が浮き立つのは、隣の先輩によるものだろう。この人の存在は、いつも私の人生を彩ってくれるのだ。
一月はいわゆる閑散期で、冬の沖縄を訪れる観光客は少ないらしいけど、それでもバスの座席はそこそこ埋まっていた。極端な暑さや寒さが苦手な私は、むしろ今の時期の沖縄にいられるのがありがたい。バスは走り出して、窓際に座らせてもらった私は景色を楽しむ。先輩が保護者のように、私を見続けている視線を感じて、胸の内が温かくなる気がした。
一時間ちょっと、バスの移動があって、私たちはホテルに到着した。建てもの自体は、昔のビルを改修したらしくて少し古い印象だけど、先輩は気にしていない様子だった。ここは最上階からの眺めが良いそうで、近くにある岬も観光名所となっている。ロマンチックな光景を先輩と共有したくて、ワクワクが止まらない私であった。
チェックインを済ませて、私たちは部屋に荷物を置く。普通なら、ここで先輩と高層の眺めを楽しむところだけど、その前に私は昼食を取りたかった。「お腹が空いたんですぅ」と伝えて、先輩が笑顔で付き合ってくれる。ロマンチックは、まだまだ私には早いのかもしれない。
残念ながらホテルのランチタイムは過ぎていて、ランチビュッフェを体験できるのは明日からだ。それは予約済みだから楽しみは取っておくとして、私と先輩は一階に戻ってフロントでタクシーを手配してもらった。近くにコンビニなどはなくて、せっかく先輩と旅行しているのだから安い食事なんか取りたくない。
人がいい運転手さんの案内で、空いていそうなレストランまでタクシー移動をする。予約はしてなかったので不安だったけど、そこは閑散期だからか、訪れた中国料理店で席を取れてホッとした。点心というのか、蒸したお饅頭やケーキがいっぱい食べられて大満足だ。
「おいしーい。先輩も食べて食べてー、私を食べてー」
はいはい、と軽く、あしらわれる。そういった態度にも優しさが溢れていて、すっかり私は夢見心地だ。この旅行で費用はすべて、私もちである。今の私は、ホストや地下アイドルに貢ぐ大人の女性の気持ちが、わかりすぎるほどにわかってしまう。目の前の先輩は、軽々しく『推し』などと呼べるような存在ではないのだ。私にとっては神さまにも等しい女性であって、私の命は先輩へ捧げるためにあるのだと言えた。
「中国茶って、種類が多いんですねー。家では紅茶ばかりだったから新鮮ですー」
「春からは大学生だね。新しい世界に、胸をときめかせてるんじゃないかな」
「ときめかせてますよぉ、とっても。私に新しい世界を見せてください、せんぱぁい」
私の舌や視界は、甘いもので満たされている。先輩は危ういものを優しく見守るような表情で、私に視線を向けてくれる。この旅行で、私は先輩との関係を決定的に深めるのだと、そう心に決めていた。
宿泊先のホテルは沖縄らしく、夏なら大いに楽しめるだろうプール関連の施設が充実していたけれど、一月である今の時期には利用できないから関係ない。元々、プールや海は好きじゃなかった。泳げないわけじゃないけれど。
それよりも私は、寒い冬が大の苦手なのだ。極端な暑さも嫌だけど。運動が苦手で、どちらかといえば虚弱な体質である。背も低いほうで、だからすらっとした長身の先輩には憧れている。もっとも、背丈だけで憧れているわけではない。先輩の素晴らしさは、その眼差しにある。内面の美しさが瞳に現れてくるのだ。その美しさを昔から、私は知っている。
何の話だっただろうか。とにかく私は、寒い冬が苦手なのだった。だから初めて来たけど、温かい一月の沖縄はとっても心地よい。先輩も沖縄旅行は初めてだそうで、これなら毎年、冬は先輩と沖縄に来ようかと思った。まずは先輩の意思を確認しなければ。
「すっかり酔っぱらっちゃった。君は二十歳になっても、だらしなくなっちゃダメだよ」
その先輩は現在、部屋のソファーでリラックスしている。ちなみに時刻は午後十一時過ぎで、私と先輩は夕食を済ませているし、昼夜の高層からの眺めも堪能ずみであった。部屋のバルコニーから下界を眺めると、必ず先輩が寄り添って、私を守ってくれるのだ。もう眺めよりも、先輩の行動が素敵すぎて、私の幸せは右肩上がりである。
「お酒って、そんなに美味しいんですか。私も早く飲みたいですー」
ホテルにはラウンジがあって、午後九時以降になると私は出入りできないけど、様々なお酒を飲めるサービスがある。興味もあって、お酒について私は尋ねてみた。
「美味しいというよりは、罪の味だね。飲まずに済むなら、それが一番じゃないかな。だけれども、なかなか、そうはいかないものさ。罪もなしに人は生きられない。そういうことじゃないかな」
普段はガードが堅い先輩も、今なら押し倒せるんじゃないかと思わされるくらいの、しどけなさだった。しかし私は実行に移さない。腕力や体格が違い過ぎるので。決して、焦ってはいけない。まだ旅行は一泊目なのだ、先輩とのプラトニックな関係を必ず発展させてみせよう。
「もー、せんぱぁい。メイクも落とさずに眠っちゃダメですよぉ。ほら、一緒にシャワーを浴びましょー」
この程度の付き合いなら前からあった。私は大浴場が嫌いで、他人と入浴することはない。だけど先輩だけは別である。小さい頃から先輩は、姉のように私の身体を洗ってくれたものだ。
先輩は二十歳で、私は十八歳である。発育に差はあれど、現在の法制度では私も成人という扱いだ。だからシャワーで身体を洗い合うとき、先輩の肢体をじっくり見たり、身体のあちこちに指が触れたりしても何の問題もない。大人って楽しいなぁと思いながら、私たちの沖縄旅行、一泊目は更けていった。
旅行の二日目はホテルで朝食と昼食を取った。私の家は、長いこと食事が美味しくなかったので(イギリス式だか何だか知らないが、ひたすら質素だった)、こういったホテルや食堂の料理にはいつも満足させられる。ビュッフェとバイキングの違いが私には良くわからないが、とにかくあっちこっちから料理を選んで、お皿に盛って食べていくスタイルだ。
朝はパンや魚料理、パスタやケーキを食べて。お昼はピザや手巻き寿司、そして肉を食べた。鍋みたいな容器でじっくり、肉に火を通して焼いて(陶板焼き、というらしい)。世の中には私が知らない料理がいっぱいあるんだなぁと感心させられたものだ。それにしても長身の先輩が、私よりも食が細いのはどういうことなのだろうか。
「せんぱぁい。私のこと、食い意地が張ってるって呆れてませんかぁ?」
「全然。いっぱい食べるといいよ、私より若いんだから」
二つ違いとは思えないくらい、先輩は私よりも大人びている。この差は永遠に埋まらない気がした。さて、お昼も食べて、これからどうするかである。私は高級な家具を見慣れているので、ホテルの内装には特に感慨もないが、それでもサービスには満足していた。観光にもあまり興味はなかったから、このままホテルに籠ってもいいんだけど、一か所だけ訪れてみたいところはあるのだ。
「先輩。ちょっとタクシーで、移動しません? 良かったら付き合ってほしいんですけど」
「ああ、いいとも。何処へでも、君が望むところへ行くよ」
信じがたいほどの優しさである。この旅行で、先輩はずっと私の要望を優先してくれている。そりゃあ旅行の費用は私が出しているけど、それでも、こんなに甘えさせてもらっていいのだろうか。
「ありがとうございます。ちょっと風が強くなるかもしれない場所なんで、寒くないようにしてくださいね」
ドラマの再放送で、よくある場面がある。ミステリーで終盤、刑事や探偵が、容疑者と崖の上で対峙するのだ。一対一で、やがて容疑者は犯行を自白する。そして崖から海へ身を投げようとするのだが、阻止されて逮捕、連行される。あの場所へ、私は行ってみたかった。
好都合にも沖縄には、そういうドラマに出てきそうな崖があるのだ。灯台がある岬で、以前は米軍によって立ち入り禁止区域とされていたけど、現在は観光地となっている。私はここで、先輩との仲を深めたいのだ。
俗に『吊り橋効果』とかいうし、海を見ながら崖で先輩と寄り添い合えば、私と先輩の愛は確かなものになるはずなのである。実を言えば私が選んだホテルも、この岬に近かったから選んだのであった。そのホテルから現在、すでに私たちはタクシーで移動を済ませている。
「なるほど。本当にドラマで出てきそうな場所だね」
今は午後三時過ぎで、よく晴れている。空港のバスに描かれていた、青い空と海がそのまま私と先輩を迎えてくれていた。先輩は長袖のシャツに黒のパンツ姿で、私は白のワンピースだ。風が少しあって、沖縄といえど一月の崖上はちょっと肌寒い。私たちは上からカーディガンを羽織っていた。今のAIは旅行先の服装まで指示してくれるから実に便利だ。
一月だからなのか、崖上である周囲には誰もいなかった。崖先には柵もなくて、数十メートル下の海に落ちたら助からないだろうなぁと思う。私がドラマの犯人だったら、刑事役の先輩を殺害しようとする場面かもしれない。もちろん私は、そんなことはしない。
「先輩、もう少し先まで行きましょー」
「ほどほどにね。足を滑らせないように、気をつけて」
私も先輩を危険な目に遭わせたくはないので、五メートルくらいの余裕をもって崖先から離れる。旅行前から、歩きやすい靴を履いてくるように頼んでいたので、私も先輩も岩の上の移動でつまずいたりはしなかった。
立ち止まり、先輩と隣り合って、海を見つめる。波の音が聞こえてきて、自然の雄大さが感じられた。海と同じく空も広くて、この向こうに私の両親もいるのだと素直に私は信じられる。
「去年は大変だったね。君の、お婆さんが亡くなって」
先輩が声をかけてくる。私たちは支え合うように密着していた。身長が違いすぎて、私が先輩にまとわりつくような形だけど。このまま死ねたら幸せだなぁなどと思った。
「そうですねー、唯一の身内だったんで。でも、すっきりしましたよ。仲は良くなかったんで」
「君が、殺したんだよね」
先輩が疑問形ではなく、事実を確認するような口調で、そう言った。




