Hello, my Owner!
「こんにちは! 私はあなたの小指です」
と言った小さな女の子が机の上にいる。数秒の沈黙ののち、おもむろに俺は自分の両の手を確認して、両手とも小指がついていることを確認した。さらにはどちらの小指も正常に動いたことも確認した。足の小指なのかもしれない。この場で両足を確認することははばかられたけれど、両の足の小指もなくなっていない気がする。
いよいよ疲れがきて幻覚、幻聴の症状が出てきたのだろうか、とも思ったのだが、隣の席の廣田にもこの小さな女の子は見えているらしい。
「こんにちは!」と女の子は元気に挨拶をして「どうも」と廣田は返していた。こんな良くわからないものに返事をしないでほしい。
「で、何これ?」と廣田。
「知らない…」
俺が聞きたいぐらいである。
「君は、こいつの――播間の小指、というのであってる?」
廣田は俺を親指で指さしながら、俺の小指だという女の子に話しかけた。
「はい! 私は播間 宗輔の小指です!」
女の子は元気に答える。
「ちなみに、どこの小指? 手? 足?」
「左手の小指です!」
「だってさ」
廣田は目を俺の方に向けて言う。そんなことを言われても。
「いや、俺の左手に小指ついてるけど……」
「あ、それは抜け殻です!」
「なんて?」
動くのに? と俺は左手の小指を動かしてみる。
「私が許可しているからです! だからこんなこともできるんですよ!」
女の子がそういうと、俺の左の小指が、俺の意思に反して不自然に動き出した。曲がったり、そったり、関節の可動域を超えようとして――
「まてまてまてまて」
「わかりました?」
「わかった、わかった。君は確かに俺の小指だ」
ふふん、と女の子は誇らしげに両手を腰に当ててふんぞり返った。わかればいいのです、と言わんばかりの仕草である。
「それで? 君が俺の小指だというのはまぁ、わかった。ひとまず。なんでそんな姿で現れたの?」
よくぞ聞いてくれました! と言うかのように小さな女の子は俺に指を差した。
「抗議しにきたのです!」
抗議、と俺は復唱した。
「そうです! 特に最近ひどいので! いい加減我慢の限界なのです!」
地団太を踏んで少女は俺を睨み上げた。睨み上げたといってもあまりにも小さい妖精の様なサイズ感なので、怖くもなんともない。――いや、左小指を人質…ならぬ指質されているところは少しおっかないけれど。
少女は言葉を続ける。
「特に最近のスマホの持ち方です! ほとんど私一人に全体の重さを支えさせようとするでしょう? おかげで肩こりならぬ"指こり"が慢性化して、もう限界です!」
「指こり……」
隣の廣田は、腕を組んで「なるほどね。過重労働に対する、一種のストライキというわけ」と感心したように頷いている。さては面白がっているな?
「ストライキだなんて、んな大げさな……」
俺が言い訳しようとすると、女の子は「大げさじゃありません!」とビシッと人差し指を突きつけてきた。
「これは、私の生存権をかけた、正当な労働交渉です! これより、第一議題『スマートフォン保持時における過度な負荷の是正について』ご説明します!」
女の子はそう宣言すると、どこから取り出したのか、一本のつまようじをポインターのように構えた。そして、俺の小指を差しながら、熱弁を振るう。
「まず問題なのが、角度です! この関節一点にスマホの全重量が集中することで、私の腰は常に悲鳴を上げています! さらに、長時間の動画視聴による同一姿勢の強制! あれは拷問に等しい!」
廣田が「なるほど?」と真剣な顔で相槌を入れている。
女の子は、はぁ、と一つため息をつくと、今度は改善案を提示してきた。
「そこで、ご提案したいのが『スマホリング』または『グリップ系アクセサリー』の導入です。これひとつで、私のQOL――Quality of Little-finger――は劇的に改善されるでしょう! 我々小指ネットワークによる投票でもそのようになってます」
小指ネットワークってなんだ。もしかして廣田の小指もそのうち喋りだすのだろうか。……頭が痛くなってきた。
「……検討するよ」
「ありがとうございます!」
交渉が一つ妥結したことに満足したのか、女の子はにっこりと笑った。
「じゃあ、話がまとまったということで、君は元の指に戻るのか?」
と廣田が聞く。さっきからなんでお前は受け入れられているんだ? おかしいのは俺の方か?
すると女の子は「いいえ」と首を横に振った。――”いいえ”?
「要求が完全に履行され、この職場環境が維持されると判断できるまで、私はこの姿で我が持ち主を監視し続けます!」
「え」
「もちろん、"抜け殻"の操作権限は基本的には持ち主が持ちますのでご安心を。私も持ち主の動きに合わせて小指を動かすのめんどくさ……......とにかく! 早速ですが今日のランチは指先の血行が良くなるものがいいですね! 生姜焼き定食なんていかがでしょう!」
「あいにくだが、今日の俺の気分はカップラーメンで、明日の気分もカップラーメンだ。社食を使う予定はない」
「それはだめです! 私のQOLに関わります!」
俺の小指が可動域を超えて動こうとした。
「お前それはなしだろ!」
「何の話ですか?」
小指の動きはまだ止まらない。
「わかったから! わかった……わかったよ」
時刻は12時20分。食堂は混んでいるだろうが、この際仕方がない。
「廣田も付き合えよ」
「もちろん。こんな面白いもの見逃すのは惜しいからね」
他人事だと思いやがって、と廣田を睨んで俺は財布をもって席を立つ。
――この小さな女の子との生活はこうして始まり、そしてそれは1週間続いた。
スマホリングは少女との出会いの日の夜には購入し、3日後に届いた。血流の良い食事をとり続けたおかげか、目の下のクマも、心なしか薄くなったような気がする。
そうして少女との生活が1週間と2日目、女の子の姿は前触れもなく見えなくなった。口うるさい言葉も聞こえてこない。元の左小指に戻ったのだろう。多分。
女の子の姿が見えなくなった、その日の夜。
俺はいつも通り、晩酌と洒落込んで缶ビールを冷蔵庫から取り出してソファに座る。
「俺はお前の肝臓である」
陰鬱そうな、5センチ程度の背丈の青年が恨めしそうに、ローテーブルの上に立って俺を見上げていた。
俺は一拍、空を仰いでから「......要求を聞こうか」と絞り出した。
一度目があるなら二度目もある。そういうことだ、俺はもう驚かない。幻覚として処理したい気持ちはある。
「過度なアルコール摂取、慢性的な睡眠不足で俺の処理能力は常に120 %を叩き出している。生活の改善を要求する」
俺は今しがた開けたばかりの缶ビールに視線を向ける。陰鬱な小さい青年もそれを見た。
「とりあえずは、そのビールを捨ててもらおう」
いやだな、と思った。もったいないし、寝る前のビールは俺の平日の楽しみでもあるわけだし。けれども、この小さい人の要求を聞かない場合、どうなるかはつい数日前、小指の少女で経験済みである。肝臓の言うことを聞かないとどうなるのか。予想はつかないが嫌な予感はする。
「ちなみに――……断った場合は?」
「即刻首を吊って死んでやろう」
陰鬱な青年の目が、冗談ではないことを俺に伝えてくる。馬鹿野郎、肝臓が死んだら俺も死ぬだろうが。
「わかった、――わかったよ」
脅し方も陰湿すぎるだろ、と思ったが言わなかった。沈黙の臓器とはさもありなん。
なるほど、今度はこの青年との共同生活が始まるらしい。




