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石月千百合の憂鬱

 宇佐八幡宮より真の神託を持ち帰った和気清麻呂(わけのきよまろ)。まず御簾の下にいる道鏡を睨みつけてから、神託を朗々とした声で読み上げた。


「我が国は開闢(かいびゃく)以来、君臣定まれり。臣をもって君と為すこと、未だこれ有らざるなり。天日嗣(あまつひつぎ)には必ず皇緒を立てよ。無道の人は、宜しく早く掃ひ除くべし」


 臣下から歓声にも似たどよめきが起きるが、道鏡は瞑目したままである。そこへ御簾が上がり、称徳帝が姿を現す。その表情は憤怒に満ちている。やおら立ち上がり、清麻呂の前に立ちはだかると、


「清麻呂、そなたは正直者だな」


 その手には女官から奪い取った(さしば)が握られている。


「ゆえに、ウソをつくのが下手である。朕には丸わかりであるぞ。道鏡を妬む者がそなたに吹き込んだのであろう。誰じゃ? 言うてみよ。そなたに悪いことを吹き込んだのは誰じゃ?」


 優しげに、それでいて冷たい声色で尋ねる。しかし清麻呂は物怖じせず、こう告げた。


「ウソと思われたのならば私の伝え方がまずかったのでありましょう。ならば単刀直入に申し上げます。その生臭坊主を今すぐ都から追い出しなされ!」

「清麻呂!!」


 称徳帝が(さしば)で清麻呂をしこたま殴りつけた。さらに倒れ込む清麻呂を蹴りつけた。


「朕の……私の命の恩人を馬鹿にしよって! 許さぬ!!」


 異常事態にも関わらず、天皇が相手とあってか誰も止めに入ろうとしない。清麻呂は流血しながらも毅然とした態度を崩さない。


「道鏡を帝位につけたいのであれば、国を滅ぼしたいのであれば、まずはこの清麻呂を殺してからになされ!」

「よし、ならば望み通りにしてくれよう! 誰ぞ、この愚か者を捕らえ首を刎ねよ!」


 道鏡が叫ぶ。


「お上! お上! もうおやめくだされ!」


 称徳帝の前に進み出て平伏すると、


「和気清麻呂は忠臣でございます。恐れながら、この者の言うことは本当でございましょう。私は帝位を望みはしませぬ。どうか何とぞ、御慈悲を!」

「道鏡……」


 憤怒の形相が和らいで、悲しげなものに変わる。道鏡を位に就けたがっていたのは誰よりも称徳帝である。権謀術数うずまく朝廷の中で育ってきた彼女が唯一心を開く人物であり、そして愛していた人物。それが道鏡である。彼に帝位を譲って支えとなり、新しい国作りを目指す。その望みは道鏡に拒絶され、叶わぬものとなった。


「よかろう……そなたに免じて首は刎ねぬ。さりとて道鏡を侮辱したことは許さぬ。和気清麻呂は今より別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と名を改めた上で流罪に処す!」


 *


「昨日の『青丹吉(あおによし)』見た?」

「見た! 斗馬くんの清麻呂、めっちゃ凄かったよね」


 道鏡事件からおよそ13世紀半も経った立成20年。星花女子学園高等部1年2組では昨日の日曜日に放送された大河ドラマ「青丹吉(あおによし)」の話題でもちきりだった。


 大河ドラマで奈良時代が描かれるのは史上初で、平城京74年の歴史の中でさまざまな人物が活躍する群像劇となっている。戦国や幕末と比べると馴染みが薄い時代ではあるものの、最新の研究に基づいて緻密に練られたストーリーと一人ひとりが魅力的な登場人物が好評を博し、視聴率以上の話題性を呼んでいた。


 秋に入り物語はすでに後半に差し掛かかっているが、昨日放送された道鏡事件は比較的知名度が高いためかSNSを中心に盛り上がっていた。キャストも豪華であり、道鏡役にはアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたこともある高杉登(たかすぎのぼる)、道鏡を寵愛していた称徳天皇役には数多くのテレビドラマに出演してきた宮部玲子(みやべれいこ)が選ばれ、蜜月の関係を巧みに演じていた。その中で日本史において逆賊扱いされていた道鏡は従来から違う視点で描かれており、どちらかといえば称徳天皇の重たい愛と時代に振り回された悲しい犠牲者という位置づけがされていた。


 そして和気清麻呂を演じるのは若干21歳の石月斗馬(いしづきとうま)。実力派俳優、石月隼人(いしづきはやと)の長男にして年相応以上の演技力を持つ天才若手俳優である。精悍で貫禄のある顔立ちは義臣のイメージにぴったりであり、星花女子の中でも彼のファンは多い。憂鬱な休み明けも石月斗馬清麻呂の話題で幾分かマシになっていた。


「おはよー」

「お、ちょうどいいとこに来た」


 入室してきたのは石月千百合。名字の通り、実は石月斗馬の妹である。


「今千百合さんのお兄さんの話してたところ。昨日の大河ドラマ見た?」

「うん、見たわよ。国のためなら死んでも構わないって覚悟が伝わってきて、さすが兄さんだと思ったわ」

「役者の目から見てもそう思うよねー」


 千百合は笑っていたが、実は腹の中では何が義臣だと兄のことを蔑んでいた。


 演技は確かに素晴らしかった。しかしプライベートの斗馬は「クズ」という言葉しか浮かばないぐらいに性格が悪い。特に、同じく役者の千百合に対しては公の場でも演技を酷評しているし、実家で同居していた頃は毎日ケンカが絶えず顔を見るのも嫌な程であった。


 それが義臣と謳われる和気清麻呂を演じているのだからちゃんちゃらおかしい。


「でもそれ以上に称徳天皇の演技が怖かったわ。兄さん……じゃなかった、清麻呂をあんなにボコボコにしなくたってねえ」

「あれマジで怖かったよねー。さすが宮部玲子というか」


 実際のところは称徳天皇に自分の姿を重ね、自分が称徳天皇を演じるとしたらどのようにいたぶってやろうかと考えていた。とにかく無抵抗でなすがままにされている兄を見て胸が晴れやかにもなったし、地上波放送後も見逃し配信で何度もそのシーンを見返したほどであった。


「来週で称徳天皇が死んじゃうんだよね。あの後道鏡と清麻呂どうなるんだっけ?」

「道鏡はどっかに左遷させられて、清麻呂が都に戻ってくるの」


 史実では、清麻呂は平安京の建設に関わることになる。つまり恐らくは最終回まで兄の姿を見ることになる。ドラマに罪は無いがその点だけが癪だった。


「じゃあ斗馬くんの清麻呂がまだまだ見れるんだ。うわー楽しみ!」


 どんな見せ所があるのかしらね、と千百合は適当に話を合わせた。


 *


 昼休みのカフェテリア。千百合は行儀の悪いことにスマホを見ながらミートスパを食べていた。


「青丹吉」に関する記事はどれも兄の演技を絶賛するものばかりである。


 多くの視聴者は石月斗馬に義臣の姿を垣間見ていた。しかし千百合の目に映るのは「義臣を巧みに演じるいけすかない男」の姿だけである。


 このドラマの主人公は誰かと問われれば、奈良時代そのものだと脚本家は以前のインタビューで語っていた。しかし後半部分においては、和気清麻呂が主人公扱いになっているのが話の展開からも明らかである。石月斗馬は21歳にして、実質的に大河ドラマの主演を務めたようなものだがそのことが記事に書かれていた。


 さらに読み進めると、父親の石月隼人のことにも触れられていた。斗馬は幼い頃から名優の背中を見て育ち云々とあったものの、そこには石月隼人のもう一人の子どものことが一文字も書かれていない。


「あいつは日なた、私は日陰」


 そんな言葉がため息まじりにふとついて出た。


 仮にも名優の娘だから全く注目されていないわけではない。事実、三年前に出演した恋愛ドラマではヒロインの恋敵役を演じたのだが、主人公を愛するが故に狂気に陥り、刃傷沙汰を起こしてヒロインを傷つける場面は多くの視聴者に衝撃を与え、さすが石月隼人の娘だと称賛されたものであった。


 しかしその副作用として悪役のイメージが定着してしまい、悪役の仕事しか来なくなってしまった。さらに兄が公の場で「あいつは実力不足だからそんな役しか貰えないんだ」と言い放ったこともあり、ますます兄に対しての嫌悪感が募るばかりであった。


 だが、自身がまだまだ兄の演技の足元に及ばないことも自覚している。悔しいが、今の時点で兄に何一つ反論できる材料が無いのは認めざるをえなかった。


「あーあ、私が日なたに出られるのはいつなのかな……」


 千百合はスマホをしまった。年齢=芸歴を誇る女優は、まだ主役を演じたことがない。

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