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神城朝水の旅立ち

――立成3年


 私の名は板野圭人(ばんのけいと)。かつて「東洋科学技研」というバンドのキーボーディストであった。昨年いろいろあって解散、他のメンバーはそれぞれ別の音楽の道を歩んだが私は音楽生活で疲弊しておったから長期休養することにした。


 東京の喧騒を離れ、岡山県中部にある大竹村という、東京の人間は誰一人として知らぬであろう田舎の古民家を借りて移住した。ここを選んだ理由は特にない。とにかく自然に囲まれた場所であればどこでも良かったのだが、村人たちはとても親切に接してくれた。毎日温泉に浸かって長年積み重なったサビを落とし、時折畑仕事を手伝い、45歳にして悠々自適の生活を送っていた。それでも長居するつもりはなく、三年ほどで東京に帰ってまた音楽とともに生きようと決めていた……のであるが。


 一人の女性と出会ったことで人生が大きく変わってしまった。


 *


「板野さん。ああさんは変わりもんじゃがええ人柄しとるけん、まるで他人とは思えんとみんなが言うとるんじゃ。わしもそう思うとる」


 目の前にいるのは村長の神城今朝治(かみしろけさはる)。私より3つ年下だがすでに村長職を7年間務めており、村人たちから尊敬されていた。


「わしの娘がああさんに惚れるのも無理ない思うとる。じゃけど、つき合うとるんなら一言わしに言うてくれても良かろう?」

「それは……世間体というものがあったからで……」


 時は10月であったが、私は冷や汗をダラダラと流していた。


 村長には朝歌(あさか)という娘がいた。当時まだ18歳の高校生であったが、東洋科学技研のファンだったから私が移住してきたと知ってものすごく喜んでくれたし、ほぼ毎日のように挨拶しにきてくれた。


 この歳までいろんな女と付き合ってきては別れたが、この朝歌は都会の女には無い魅力を兼ね備えていた。自分を大きく見せず、着飾らず、ありのままの姿。お互いに恋仲になるのには時間はかからなかったが、40半ばの中年男性と女子高生の恋愛なぞ周りから奇異の目で見られるしかないので、村長にも秘密にしていた。


 しかし人は過ちを犯すもの。まさか子どもができてしまうとは……


「まあ、起きたことを言うてもしょうがねえが。じゃけど……」


 今朝治村長はなんと、私に猟銃を突きつけてきた。


「子どもができた以上は、責任は取ってもらわんとの?」

「まず、そのおもちゃをしまって頂ければ助かるのだが……」

「ん? 今おもちゃ言うたな?」


 ズドーン!!


「うひゃあああ!!」


 天井に向かって発砲すると、穴が空いて木くずが落ちてきた。45年の人生の中で初めて死を意識した瞬間である。


 村長はにっこり笑って、硝煙の匂いがたちこめる銃口を再び突きつけてきた。


「ま、待ってくれ。話せばわかる」

「はははっ、犬養毅みたいなこと言うのう! 安心せい、ちゃあんと言うこと聞いたら命はとらんけんの」

「聞く。聞きますとも。ですから命だけは……」


 私の名は板野圭人。かつて「東洋科学技研」というバンドのキーボーディストであった。数々の曲と演奏で一斉を風靡したこともあるこの私が命乞いをしようとは……


「今からああさんはわしの息子じゃ。一生ここで娘と暮らすんじゃ。一生ここでな。ええな?」

「はい……」


 3歳下の義父の命令で、私は大竹村民として暮らすことになってしまった。


 翌年4月18日に女の子が産まれた。名前は朝水(あさみ)。村の東端に住む名物占い師のワタ婆さんに名付けてもらった。村民の大半はワタ婆さんによって名前が付けられており、そのおかげか村民どうしの連帯感が強い。育児は大変だったが村民たちが協力してくれたおかげで大いに助けられた。


「だぁだぁ」

「おうおう、可愛いの~よちよち」


 今朝治村長が朝水を抱っこする。40代前半にしておじいちゃんになるのはいったいどんな気持ちなのだろうかと、40半ばにして父親になった私は思っていた。


「父さんったら、毎日毎日よう飽きもせんと……」


 朝歌が近隣の家の用事を済ませて戻ってきた。


「可愛い孫相手に飽きるわけなかろう」

「えへー」

「ほら、朝水も『そうじゃそうじゃ』言うとるがー」


 人口二千人にも満たない村とはいえ、村長の仕事は大変である。義父にとって朝水と触れ合うときが何よりの癒やしであった。


「この子を立派に育ててやってな。神城家の宝物じゃけえな」

「えへへー」


 * 


――立成18年11月


「ただいまっ!」

「今日早かったなー。よし子さんがケーキ持ってきてくれたけん食べんか」

「後でいただくよ。まずインスピレーションを形にしてからね!」


 朝水は朝歌に手を振ると、自室にこもってしまった。


「最近ずーっと作曲ばっかじゃ。誰に似たんなら」

「非難がましい目で私の方を見るのはやめてくれないかね」


 私が朝水に古い電子オルガンをおもちゃ代わりに与えたのが原因なのは確かだ。あの子は私の才能を受け継いだようで、特に何も教えたわけではないのに勝手に覚えていってついには作曲までするようになったが、これもまた私がノウハウを教えたこともないにも関わらず素晴らしい曲を次々と生み出していった。


 親として贔屓目で見ているわけではない。事実、朝水が大竹村のイメージミュージックを作って動画サイトに上げたらたちまち100万回数再生を達成してしまった。村に住む鳥の鳴き声と川の流れの音を巧みに取り入れ、さまざまな笛の音色を用い、和太鼓や鈴のリズムに乗せることで静謐ながらも高揚感を掻き立てる曲を練り上げた。これが15歳の少女が作る曲なのかと驚愕せざるを得なかった。


 しかもこの子は音に関しては貪欲だ。つまりまだまだ伸びる余地がある。その先を想像すると楽しみであり、恐ろしくもあった。


 電話が鳴った。私はごぼうの下ごしらえ中だったので朝歌が出る。


「圭人、お父さんから電話」

「義父さんが?」


 一旦料理を中断して子機を取る。


「もしもし」

「圭人か。八時から親族会議するけえ朝水も連れてわしの家に来い」


 それだけ言うと一方的に切られてしまった。義父の声は朝歌にも聞こえていたようで、


「親族会議? 朝水のことで何かあるんじゃろうか」

「悪い話ではないと思うが……」


 夕食を済ませると朝水とともに義父の屋敷に向かった。


 本家と分家の主だった親戚一同が集まる中、上座に座る義父が朝水に「まあ隣に座らんか」と言った。


「グランパ、こんなに大勢集めて何の話をするんだい?」

「そりゃあ、おめえのことじゃが」

「ボクの?」

「そうじゃ。おめえ、高校はどうするんな?」

「一番近いところにするよ。音楽でお金を稼ぐって決めてるし、どこに行こうが関係ないさ」

「ほうか。どこ行こうが関係ないか」


 義父はオウム返しすると、続けてこう言った。


「じゃあ、星花女子学園に行け」

「せいかじょしがくえん? そんな高校県内にあったかな」

「いや、空の宮じゃ」

「はっ?」


 私もびっくりだ。


「空の宮て……」

「朝水ちゃんを村から出すんか?」

「なんでまた急に……」

「今朝治さん、どういうことじゃ」


 親戚たちも動揺しているが、義父は「まあ話を聞いてくれえや」となだめる。


「大竹村は空の宮と姉妹都市じゃ。その縁あって天寿の工場の誘致にも成功した」


 天寿。S県空の宮市に本社を置く新興企業で、食品事業、化粧品事業、アパレル事業、コンビニ経営、芸能事務所運営とかなり幅広く手掛けている。そして空の宮市とは、確か古い時代に現空の宮市北部にある大霊峰を参拝する信仰集団の本部が大竹村に置かれていた関係で、姉妹都市提携を結んだと聞いたことがある。今では官民の交流を盛んにしており、その中で天寿との縁もできたとのことである。


 現在、村の中心部から少し離れたところに天寿の化粧品工場が建設中であり、来年の秋には稼働する予定である。のんびりとした村の景観に似つかわしくない近未来的な建物になるらしいが、村民からは特に反対意見は上がらず、むしろ村が豊かになるならばと歓迎ムードであった。


 義父は穏やかに話し続ける。


「そのお礼というわけじゃないが、朝水を向こうにやって交流を深めるきっかけになればと思うとるんじゃ。どうじゃ?」

「どうじゃと言われても、朝水がなんと言うか……」


 私は娘に視線をやる。かなり大ごとなのに、何だか眠たそうな顔をしている。


「う~ん、でもこの村は音の塊で刺激的だし、離れるのはなあ」


 と朝水が言うと、義父はカラカラと笑う。


「星花女子はもっと刺激的じゃぞ。向こうの市長さんから聞いたが、朝水より凄い子がいっぱいおるらしいぞ」

「へえ?」


 朝水の目の色が変わった。


「しかも星花女子学園は大きくてな、村の人口の半分ぐらいの生徒がおるんじゃ。そんなところで生活してみい、何もかもどこもかしこも刺激だらけじゃけえ、おめえの音楽はもっと素晴らしいものになるはずじゃ」

「お、おお……」


 朝水が震えだした。


「そこまで言われたら行きとうなってきたが!」


 朝水は私に似たせいか、普段き私のような口調なのだが感情が昂ぶると岡山弁が出るという変な癖がある。つまり、本気で行きたがってる証拠だ。


「こう言ってるが、朝歌はどうなんだ?」

「大賛成よ! 可愛い子には旅をさせえって言うが。この子のためになるんじゃったら喜んで送り出すわ」

「そうか、ならば、反対する理由はないな」


 私とて、この天賦の才能を小さな村に埋もれさせておくのは惜しいと思っていたところであった。


「よし、決まりじゃな。朝水よ、星花女子学園で立派になってこい!」

「わかった!」


 イキイキとした娘の表情は、ライブでシンセサイザーを演奏しているときと同じであった。


 *

 

 年が明けて3月下旬、朝早くからローカル線の最寄り駅のホームに大勢の村民たちが集まった。


「ハハハ! こんなにたくさんのお見送り恐れ入る!」


 トランクひとつだけ抱えた朝水は爽やかな笑顔を私たちに向けた。


「夏休みにはちゃんと帰ってくるんじゃぞ」

「体に気をつけてな」


 涙ぐみながら朝水と握手を交わすのは年の近い子たちである。少子高齢化著しい村ゆえにごく少人数しかおらず、特に同級生に至っては四人しかいなかった。


 星花女子学園ではこの十倍の人数がクラスメートとなるのだから戸惑いも生まれよう。しかしそこには大きな刺激が、成長の糧があるのだ。


 ホームに始発電車が入ってきた。数少ない乗客の驚く顔が見える。少し申し訳ない気持ちになった。


「朝水、途中で何かあったら電話しろ。着いた後も電話を忘れずにな」

「もう、パパは心配性だなあ」

「娘を心配せん親がどこにいる。なあ?」

「そうよ」


 朝歌も少し涙ぐんでいる。やはり娘との別れは辛いものがあるのだろう。


「それではみんな。行ってくるよ!」


 片手を上げて、電車に乗り込むと、どこからかバンザイの声が聞こえた。


「神城朝水の飛躍を願って! バンザーイ!」


 義父が叫ぶと、村民たちは声を揃えて万歳三唱した。これじゃまるで出征兵士の見送りみたいだと私たち夫婦は呆れたものだが、朝水はドアの窓越しに大きく手を振り返していた。本人が喜んでいるのなら良しとしよう。

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