7 誰が為に
――■■■■、ちょっと笑ってごらん――
笑う? こう?
――うーん、まだ少し硬いな。まぁそのままでも十分可愛らしいよ――
そう、ありがとう。それでどうしたの?
――■■■■はもっと女の子らしくしてみたいとは思わないか?――
ううん、あんまり。
――ははは、そうか。あんまり興味はないか。いやぁね、こないだ見た雑誌に女の子は笑顔でいると自然と幸せになれるって書いてあってね。それでちょっと気になったんだ。――
私は今でも幸せだよ。
――それは嬉しいね。でも幸せってのは無限に増やせるものなんだ。■■■■はもっと欲張ってもいいんだよ――
そうなの? じゃあ、私のお願いを言ってもいいかな。
――なんだい? 何でも言ってごらん――
私ね、一度でいいからパパが本当に笑ったところを見てみたいんだ。
「結構良いもの買いましたね先輩」
ニヤついた五十実の視線をスルーしつつデパートを後にする。財布へのダメージはそう痛いものではないと自分に言い聞かせながら何処か人目につかない場所を探すが、都会のど真ん中にそんな場所などそうそう無い。こういう時の都会の公共性の高さを恨めしく思う。
あまり無作為に歩き回っても埒があかないか。なんとかあまり人目につかなくて落ち着ける場所があればいいのだが。
五十実に聞いてもさっきまでいたカフェのようなそれなりに人が多い場所しか知らないと言う。こんな都会じゃ仕方ないかと半ば諦めかけた時、マキナが俺の袖をちょんちょんと引っ張ってきた。
「人がいない場所がいいの?」
「あ、ああ」
俺の返事を聞くや否や徐にマキナは付いてきてと明後日の方向に歩き出した。どうしたのだろうか。マキナがこうやって自主的に行動する時はだいたい何か妙なことが起こる前ぶれだったりする。
少し恐る恐るマキナについていくと、マキナは少し入り組んだ道をするすると何の迷いもないかのように歩いていった。まさかマキナ、昔の記憶が戻ったのか? それにしてはあまりにリアクションが無さすぎる。そういう訳ではないのか。
マキナの行動に疑問を持ちながらついて行った先には少しばかり寂れた公園が見えてきた。
「ここは……」
駅前から外れた道先にあった周りを塀に囲われた小さな公園。何もない、と言ったら語弊があるがお世辞にも公園というには寂しすぎる場所だった。
言ってしまえばただの空き地のようでいて、申し訳程度に錆びた鉄棒と長い間手が付けられていない様子の砂場と小さなベンチが佇んでいるくらいだ。当然人気などそこにはなかった。
駅前の混雑具合とはかけ離れた静けさにここはさっきまでと同じ街なのかと疑問に思うほどの落差を感じる。
「ここでいい?」
マキナがこちらへ振り向いて言う。その仕草はいつも通りで、本当にいつも通りだった。
「マキナ、ここはどこだ?」
俺は素直に疑問を口にする。でも本当に聞きたかったことはそこじゃない。
マキナはなぜこんな場所を知っていた?
当然俺はマキナをこんな場所に連れてきたことなど一度もない。ということはマキナが今自力で見つけ出したか、それとも元々知っていたか、だ。
「……わからない」
俺の質問にマキナはそう答えた。マキナが連れてきたのにマキナにはわからない。つまりそれは……。
「ここがどこなのか、頭の片隅に覚えがあるってことだな?」
マキナはこくりと頷いた。
マキナには過去の記憶がある、そう俺は考えていた。恐らくこれも過去の記憶から出てきたものなのだろう。ということはマキナは過去にここに来たことがあるということだ。それも"誰も来ない静かな場所"として。
「マキナ、他に覚えてることは?」
焦る心を落ち着かせながら問う。しかしマキナは首を振ってしまった。まだ断片的にしか記憶が出てこないのだろうか。だが俺は確信した。マキナの記憶は取り戻せる。そして俺はマキナについて"知らなすぎる"のだ。
昨日まで俺はマキナが空を見て綺麗だなんて言うとは思いもしなかったし、コーヒーが好きだなんてことも知らなかった。というよりも考えもしなかったのだ。
マキナはアンドロイドである。そう自分に言い聞かせて人らしくあってほしいと思いながらも、心のどこかで人ではなく"物"であるという認識が勝っていたのだろう。だがしかし、マキナを人のように扱ってみればこうも簡単に知りたかった情報が出てくる。つまりマキナに必要なものは経験だったのだ。
「なるほど……な」
「ちょ、ちょっと先輩なに一人で納得してるんですか。私置いてきぼりなんですけど?」
隣で公園をきょろきょろと見渡していた五十実が何か言ってる。そういえばこいついたんだっけ。
仕方がないので五十実にマキナについてわかったことを掻い摘んで教える。その度にほうほうなるほどと変な相槌を打っていたが本当にわかってるのか?
「つまりマキナをちゃんと女の子として扱いたいってことですね? わかります」
わかってなかった。いや、強ち間違いというわけでもないから質が悪い。
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「そういうわけですよ。マキナの過去がわかったときって大体マキナが何か普通の女の子らしいことしたときばっかだったんしょう? だったらこれからもっともっと女の子らしくしてあげればいっぱい記憶取り戻すかもしれないじゃないですか!」
あっけらかんと言う五十実。しかしその考えは正しいと思う。女の子らしく……はよくわからないが、人として扱うことが記憶のトリガーになってる可能性は大いにある。
「……お前にしては良いこと言うな」
「何言ってるんですか、いつも良いことしか言いませんよー私は」
良いことの是非はともあれ、五十実の言うようにマキナをこれからも人として扱うようにすればマキナの出生の秘密がわかるかもしれない。ひとまずそれで納得しておこう。
さて、まだ話は終わりじゃない。もう一つ確認すべきことがある。
「マキナ、ちょっと来てくれ」
先程マキナが見せた蒼い瞳。それの意味……というか使い方と言っていいのかわからないが、それが知りたかった。それがもし俺の予想通りならとんでもない代物だからだ。
俺はマキナを公園の木の陰に誘導する。人気が無いからと言っても油断はできないからな。ここなら周りからは見えないだろう。なんか如何わしいことでもするかのようだがなりふり構ってはいられない。
「せ、先輩が少女を暗がりに連れ込んで……ごくり」
こいつはほんと黙ってないな。あと人目につかないだけでそんなに暗くはないぞ。
俺は五十実を一瞥してマキナに語り掛ける。
「さっきのやつ、やってみてくれないか」
マキナはなんの思慮もなくいつもの様に承諾する。すると間もなく、マキナの瞳に蒼が差し淡い光とともにマキナと出会った日に見た翼の輪郭がマキナの背に現れだした。
「え、うそ、なにこれ!」
「静かにしてろ」
マキナの急激な変化に驚きを隠せない様子の五十実。とはいえ五十実の反応も無理はない。俺は既に見たことがあるが五十実が見るのはこれが初めてだ。普通の感性をしていたら自分の常識の範囲を外れた光景にパニックを起こしてもおかしくはないが……。
「すっご……マキナかっけー……」
安心したよ五十実がこんな奴で。
そんなことを考えていたらマキナに変化が現れていた。マキナが手を前にかざし何かを受け止めるような仕草を見せる。その直後、半透明状態だった羽の部分から糸のようにマキナの掌の上に光が集まっていく。そしてその光は徐々にはっきりと形を作っていった。
「アラタ、出来たよ」
その時間、ほんの数秒だったが俺達には随分と長く感じられるようだった。やはり非現実的な光景にはまだ慣れないか。ふと我に返るようにマキナを見るとマキナが今作った"服"をこちらに差し出していた。
「えっ、マキナこれってさっきの服じゃん! どうしたのこれ!」
「今……作った」
マキナの顔と手に持った洋服を交互に見る五十実。リアクションが古臭いと思ってしまえるのは心に余裕がある証拠か。五十実がアホなおかげでこちらが自然と冷静になれる。ある意味で役に立ってるなこいつ。
だが五十実に何の説明もしないわけにはいかない。自分への確認も含めてざっと五十実にマキナについて話していなかった部分を語る。
本当は五十実にここまで教えるつもりはなかったのだがこうなってしまっては仕方ないだろう。五十実を半ば巻き込む形になるのは少し心苦しくもある。これからマキナを巡って何が起こるかもわからないのに。
あらかたを話し終え、話しを聞いていた五十実は未だに信じられないといった表情だった。
「うっそ……じゃあマキナってほんとに人じゃなかったんですか?」
「最初からそう言ってるだろ」
「いやぁ、私はてっきり先輩がいろいろ誤魔化して女の子を家に連れ込んでるのかと思ってましたよ……。そういうとこ見て見ぬふりをするのも女の度量かなって思って黙ってたんですけど」
「流石に殴るぞ」
五十実は本気なのか冗談なのかわからない台詞を吐いた。もし冗談じゃなかったら俺はそんな奴だと思われていたのか? 怒りより虚しさの方が勝ってしまいそうだ。ていうかそこまで行ったらもう通報しろよ。
俺は気を取り直すようにマキナから服を受け取る。触った感覚は本物の服と遜色なく、広げて見てもこれが偽物だなんて全く感じない。どこからどう見ても普通の生地で作られた洋服だった。
「これ……本当に今作ったんだよな?」
念のために確認する。だがたった今この目でしっかりと見てしまったため疑いようがなかった。
マキナは間違いなく何らかの方法……いや"何らかの物質"で物を作りだしたのだ。
まさか本当にこんな……いや、一番最初に出会った時から既にそうだった。あの巨大な卵は確かに質量を持っていたが、マキナはそれを吸収していたのだ。恐らくこの服もそれと同じ素材で出来ているのだろう。
しかしこの世にそんな変幻自在の物質が存在するのか? 今の俺には理解が追い付かないが、これだけは確かに言える。
「マキナ、この力はもう使うな」
俺はマキナの目をじっと見つめそう告げる。もう既にマキナの目の色はいつもの黒に戻っていた。
物事には全てメリットとデメリットが存在する。そしてこの能力のメリットは想像を絶するものだろう。どれほどのものまで作れるのかはわからないが、現に今マキナの手にはある程度の価値があるはずの衣服が握られている。これが他の物でも応用できるのならばその汎用性に高さは絶大だ。
ならばデメリットは? 当然そのことを考える必要がある。強大なメリットの裏には多大なデメリットがあるはずだ。そして今はそれがいったい何なのかわからない。それほど恐ろしいことはないだろう。ならば俺が出した答えはただ一つ。マキナのこの能力を禁止することだった。
マキナが返事をする前に五十実が割り込んで口を開く。
「え、禁止しちゃうんですか? こんなすごい力なのに。使い方を考えればいろんなこと出来そうですよ?」
五十実の指摘も一つの答えだろう。その考えを愚かだと否定するつもりはない。ただの考え方の差。俺のはデメリットを恐れた結果の答えで、五十実のはメリットを活用する答えだ。どちらも間違いではない。
俺は五十実に俺の考えを伝える。五十実はそれに納得していたようだが、何も俺は五十実の意見をすべて否定しようだなんて思わない。だがしかし、俺はただただ臆病だったのだ。
「マキナ、この服は元に戻してくれ。前の卵みたいに戻せるんだろ?」
俺は言葉とともに服をマキナに渡す。しかし、いつものようにマキナから"わかった"という言葉が聞けると思っていたのだが、俺の予想に反してマキナは少し何か考えるような素振りを見せていた。
「もしかして戻せないのか?」
今度はふるふると首を振り、そうじゃないと言うマキナ。そして作った服をきゅっと抱きしめこう続けた。
「この力は……、アラタの為に使いたかった……。これで可愛い服を作れればアラタ喜んでくれるかなって。でもアラタがダメって言ったから……」
少し、寂しい。マキナは消えてしまいそうなほど小さな声でそう告げた。
俺は言葉を失う。俺の為。マキナはそう言ったのか。
マキナがこの力で必要なものを作れば俺の財布の負担は無くなる。だからマキナはさっき積極的に歩き出し、自分の力が使える場所まで俺たちを誘導したのか。俺が人目が付く場所では駄目だって言ったから。それに可愛い服を作れば俺が喜ぶと思ったとも言った。全ては俺のために……、マキナは"考えていた"のだ。
しかし俺はマキナの得体の知れない力に恐れをなし、マキナの気持ちを汲み取ることが出来なかった。それどころか未だに俺はマキナに感情や思考が存在するのかどうかすらよくわかっていない。
表向きにはマキナのことを思って普通の女の子として生活してほしいとか言っておきながら、その裏ではマキナを人外として、出所不明のアンドロイドとして、自分の理解の及ばない危険な存在として認識していたのだ。
マキナの憂いを帯びた顔を見て少し眩暈がする。マキナは俺のためを思い、俺はマキナのことを案じていたのに、結果はこれか。マキナの表情が変わることなんてほとんど無いのに、せっかく見れた無表情以外の顔は心なしか沈んでいた。
俺はマキナのこんな顔を見たかったわけじゃないのに。お互いを思っての行動だったのに、俺とマキナは今、暗い表情をしている。
善意が必ずしも良い方向へと向くとは限らないなんて、今まで何度も経験してきたことだ。苦労して折った折り紙や書いた似顔絵を何のリアクションもなく机の上に放り出されたことも一度や二度じゃない。料理だって挑戦したことがあるが、一口も食べてもらった記憶はない。こんなの……慣れっこなのに……。
いや、待て。俺が今マキナにしたことはまさに"それ"じゃないか。
マキナの善意を汲み取れなかった。マキナの好意を無下にした。喜んでくれると思っていたマキナの顔に影を差した。
これじゃまるで……親父と一緒じゃないか。
「マキナ……」
俺は咄嗟に声を出す。なんて言葉を発するかなんて考えていないのに、気付けばマキナに声をかけていた。マキナの表情を変えたくて、この空気を変えたくて、親父と一緒にはなりたくなくて、子供のころの俺と同じ思いをしてほしくなくて。
「ありがとう」
その一言が出るまでひどく長い時間が流れたような気がする。実際には数秒でも俺とマキナの間は時間も距離も長かった。だけど今、その距離も少し近付けた気がしていた。
俺はマキナからもう一度服を受け取る。そしてさっき買った服と一緒の紙袋にそっと入れた。
「これは残しておこう。せっかく作ってくれたんだもんな。でもこれからはその力は使わなくていい。その代わりに……」
そこまで言って少し溜を作る。別に勿体ぶっているわけではないが、俺にだって躊躇いというものはある。だが俺のちっぽけなプライドなんて今のマキナの表情を変えるためには簡単に投げ捨ててしまえるものだった。
「これからは料理とか掃除とか、そういうのを手伝ってほしいんだ。勿論普通に自分の手でな」
それは俺がかつて許されなかったことで、俺の憧れでもあった。
"お前は何もするな"その言葉は俺の心に今も深く突き刺さっている。マキナを昔の自分に重ねてしまうのはマキナに失礼かもしれないが、俺はマキナには俺と同じ思いはしてほしくなかった。
マキナは少しきょとんとした表情だったが、俺の意図を理解したのか一変した表情を見せた。
「うん、わかった」
マキナはいつもの台詞を言う。しかし表情はいつも通りではなく、初めて見る本当の"笑顔"だった。
マキナの今までの印象では考えられないほどの明るい笑顔で、その不意に見せた可愛らしさに図らずも胸が鳴ってしまう。
マキナこんな顔が出来たのか。初めて見せたマキナの笑顔は、まるで太陽のように影が差した俺の心を照らしてくれるようだった。
マキナの見せた笑顔に息を飲んでいると隣から何かが飛び出していくのが横目で見えた。
「やあああああっ! マキナ可愛いいいいいいいっ! マキナそんな風に笑えるんだ! 超可愛いんだけどおおおおっ!」
五十実が目をキラキラと輝かせながらマキナを抱きしめる。その勢いが強すぎて危うく倒れそうになっていた。
そういえばこいつ居たな。また忘れてたぞ。どうやら今まで空気を読んで静かにしていたが、マキナの笑顔を見て辛抱堪らなくなってしまったらしい。見事に空気をぶっ壊してくれたな。
マキナは既に笑顔ではなく若干困ったような表情をしていた。無理もない。五十実にきつく抱きしめられぐるぐると回されてはそんな表情にもなるだろう。
だが、心なしか嫌そうな顔ではなかったと思う。それがわかるのはマキナの表情が以前より豊かになったからなのか、俺がマキナの表情を読めるようになってきたからなのかはわからない。だが、それはさしたる問題ではないだろう。何故ならどちらも俺とマキナの距離が縮まった証拠なのだから。
「五十実、マキナを離してやれ」
少し様子を見てから五十実をマキナから引き剥がす。五十実は当然のように何か言いたげな顔をしていた。なんだ、文句あるのか。
「なんですか先輩、先輩は今のマキナの顔を見て何とも思わないんですか? 最早空前絶後の超絶美少女の領域でしたよあれは。誰かに誘拐されないように私が匿っておかないと……」
何とも思わないわけないし今しがたお前からマキナを守ったほうが良いと思ったところだよ。
五十実の参戦により事態は収束へと向かう。なんて言い方をしたら大げさだが、さっきまでのむずかゆい空気はもう既になくゆるい空気になっていた。五十実にはこういったムードメーカーの素質があるのかもな。大体ぐだぐだしたムードだろうけど。
「ほら、まだ買うものがあるんだから次行くぞ」
そう、今日は服だけを買いに来たのではない。マキナの生活に必要なものをいろいろと買いに来たのだ。だがもう時間は昼を過ぎている。どこかで飯を食って休憩したらもう一度デパートにでも寄ろう。
またさっきみたいにマキナが目立つようなことにならなければいいと思う反面、マキナのいろんな表情を見れるなら、と思う自分もいた。足取りは今朝よりも幾許か軽い。その理由は初めて笑顔を見せてくれたマキナと……。
「先輩先輩、お昼何処にします? 女子としてはラーメンとか牛丼とかはちょっと避けたいんですけど……、でも先輩がどうしてもっていうなら焼肉とかお寿司とかでもいいですよ? 勿論先輩のおごりで」
「なんでそんな選択肢しか出てこないんだ」
誰かさんのおかげなのかもしれない。