5 甘苦い
おいしいね、これ。
――そうか、それは良かった。やっぱり■■■■も甘いものが好きなのか……――
うん? どうしたの? パパ。
――え? あ、ああ。何でもないさ。気にしないでくれ。それよりこっちもどうだ? 私のお気に入りのコーヒーだよ――
……少し苦いけど、おいしい。
――■■■■にはもう少し砂糖を多めにしたほうが良かったかな?――
でも、この味嫌いじゃないよ。なんだか懐かしい気がする。
――……そうか。懐かしい……か。他にも何か食べたくなったら言ってごらん。多分すぐに用意できるよ――
そう、ありがとう。でも私にご飯は必要ないよ?
――必要なくても欲しがっていいんだよ。それに■■■■の食事機能は私が一番力を入れたところだからね。なるべく普通の人のように"生きて"欲しいんだ。――
そう、じゃあパパも一緒に食べよ。そのほうがおいしいと思う。
――ああ、そうだね■■■■。一緒に食事をとるのが家族だ……――
待ってよお父さん、どこ行くの? 僕またお留守番しなくちゃいけないの? たまには僕と遊んでよぅ。
この間クラスの子が家族で遊園地に行ったんだって。僕も行きたいなぁ……。え? 仕事がある? そう……。
見て見てお父さん、これ僕が作ったんだ。あ、うん……いらないよね……。
……どうして……、どうしてお父さんは僕を見てくれないの?
自分の汗の寝苦しさに目が覚める。ったく、最悪の目覚めだ。何だってこんな夢を……。
「アラタ、おはよう」
「おう、おはよう」
いつもと同じように隣からマキナの声が聞こえてくる。朝俺が起きるとすぐさまマキナが話しかけてくる、それがここ数日の朝の流れだった。
マキナを拾ってから数日が経った。始めは不信や違和感が多かったが、マキナがいる生活にも少しずつ慣れてしまったな。
マキナは基本何もしない。俺が何かを命じれば"わかった"といって行動するが、自主的に何かをするようなことは今まで無かった。
やはりアンドロイドとして自我というものを持たないのか。だが時々、本当に時々だが自分の意志を持つようなことを口にすることがある。
俺が五十実を名字で呼ぶことにマキナが不思議に思った時もそうだ。
少なくともマキナは疑問を持ち、それを口にすることが出来る。それは考える機能があるということだ。
人間には当たり前の機能でもアンドロイドにとってはそうだとは言えない。それだけ精巧なテクノロジーなのかそれとも誰かが遠隔操作でもしているのか……。遠隔操作にしては随分と幼稚な疑問だったが。
試しに何か聞いてみるか。
「なにかするか?」
「アラタがしたいのなら、する」
すぐこれだ。マキナに意見を仰ごうとするとだいたいこんな感じの返答がくる。
アンドロイドなら仕方ないのだろうけど、どうしても窮屈に感じてしまうな。
マキナについて知っていることは少ない。だからこそいろいろと探って入るのだが、どうしてもマキナの口からは情報が出てこず、俺が出来る範囲で調べ物をしても結果は散々だった。ここいらで少し仕掛けてみるしかないか。
「マキナ」
俺が呼ぶといつもの様にこちらを向くマキナ。
「今日は外に出かけてみるか」
やはり何を考えているかはわからない。だが確かにマキナは俺の目を見て"わかった"と答えた。
真冬だというのに今日に限ってやたらと日差しが強い。帽子でも被ってくればよかったかとアパートの扉の前で目を細める俺の横にはいつもと変わらない様子で急ごしらえの新しい冬服を着たマキナがいた。
「……大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
俺の顔を覗くマキナ。心なしか心配しているようにも見えるのは目の錯覚なのだろうか。それを見極めるためにも今日は少し気合いを入れないとな。
俺はマキナを連れて家の外に出ていた。本当は未だ得体のしれないマキナを家の外に出すのはいろいろな意味で危険なのではないかとも思うのだが、ずっと家の中に閉じ込めていても何も進展が無いのも事実だった。
それに何度も言うがアンドロイドとはいえマキナの見た目は普通の女の子だ。このままでは俺が少女を拉致監禁しているような気分になる。それは単純に嫌だった。
それに、今日の俺には別の目的もあった。その目的を果たすには少し勇気がいるのだがいつまでもこのままでいるわけにもいかないからな。これもマキナの研究のためだと割り切ってしまおう。
マキナに行くぞと声をかけようとしたとき、俺はマキナが空を見上げていることに気が付く。
「何か気になったのか?」
「……ううん。空が広くて綺麗だなって思っただけ」
空が広くて綺麗だな。マキナは確かにそう言った。
綺麗だ。そう思う感情がマキナにもあるのか。俺は驚きを悟られないように咄嗟に"そうだな"と味気ない返事をした。
間違いない、マキナには感情が確かにある。その起伏が極端に少ないだけなのだ。
だとしたら今までずっと家の中に居させたのはマキナにとっては良くないことだったのだろうか。
一日中家で作業をしているフリをしながらマキナを観察していた日もあったが、その時も食事を一切要求してこなかった。
それだけではなくマキナは一度も水分を取ったことが無いし用を足した様子もない。風呂にも入れてないが髪の汚れや臭いもない。
聞く人間が聞けば虐待だと騒ぎ立てそうだがマキナの表情には一切の変化はなく顔色も出会った日のまま変わらず健康そのものだった。
マキナ曰く"お風呂もトイレも代謝が無いから必要ない"だそうだ。最初は半信半疑だったが、数日過ぎたころから信じずにはいられなくなっていた。
俺はもうマキナを人間ではないと確信している。それと同時にマキナを人外扱いするのはもう嫌になったのだ。
だからこそ、マキナには普通の人間のような生活をしてほしいと望んでいる。この外出はそのための一歩だった。
「よし、じゃあ行くかマキナ」
「うん、わかった」
いつもの返事を返すマキナ。個人的には何かしらの変化を欲しているのだが仕方ないか。
アンドロイドとしてなのか最初からこういう性格に設定されているのか。それを含めて"マキナ"なのだろう。
俺が一歩踏み出すとマキナはその後ろで一歩踏み出す。その距離に何だかこそばゆいものを感じていた。
「……人が多いね」
「……そうだな」
電車に乗って少しの街まで来た俺たちは休日の都会の人込みの苛烈さに息を飲んでいた。
普段あまりこういった洒落た街には行かないためまさかここまで人でごった返していたるとは知らなかった。なるべく知り合いがいなさそうな場所を選んだのだが失敗だったか。
マキナに人並みの生活をさせるために必要なものを買いに来たのだが正直この辺の地理には詳しくない。無意味に迷ってマキナと逸れでもしたら最悪だぞ。今からでも戻って地元で買い物を済ますか? いや、それをやると嫌な予感が……。
時間を確認するためにスマホを取り出すと一通のメールが来ていることに気が付く。差出人は俺が感じていた嫌な予感だった。
『先輩! 今どこにいるんですかー? 折角遊びに来たのに出かけてるなんてあんまりじゃないですか! ていうかマキナも一緒なんですか? だったら私も連れてってくださいよー! 先輩が児童誘拐で検挙されても知りませんからねーっ!』
だるっ。
メールを軽く流し読みしてからそっとしまう。俺は前に五十実の勢いとうざさに負けて連絡先を教えたことをいまさらながらに後悔していた。
俺の今日の目的を五十実に知られたらいい玩具にされるに決まっている。ていうかアポなしで家に来るんじゃねぇ。
「……? アラタ、どうかした?」
「いや……なんでもねぇ」
マキナに俺のアンニュイな表情の変化を悟られたらしい。マキナは本当にそういうところに敏感だ。常に俺の表情の変化を感じ取っているのだろうか。一応設定としては俺が主人らしいから主人の健康にでも気を使っているのか。
ここでふと疑問が出来る。マキナは五十実についてはどう思っているのだろう。五十実は妙にマキナを気にしていたがマキナは基本感情が読めない。直接聞くのが一番か。
「マキナ、マキナは五十実についてはどう思ってるんだ?」
あまりに直球な質問だったと思う。普通の人間なら返答に困る類の物だろう。しかしマキナは平然と答える。
「私はマイのこと好きだよ」
マキナの表情に変化はない。これでは本当か嘘かわからないな。マキナにお世辞や社交辞令という機能が備わっているのかはわからないが、もう少し具体的に聞いてみるか。
「どんなところが?」
「アラタがマイのこと好きだから」
とんでもない答えが返ってきた。突拍子もない返答に眩暈さえ覚える。
なんだって? 俺が五十実のことを好いている? どうしてそんな答えに至ったのかマキナの思考回路を覗いてやりたい。それに仮に百万歩譲ってそうだとしてもマキナが五十実を好きになる理由にはならないのではないだろうか。
いや、違う。そういうことではない。恐らくマキナの判断基準は全て俺準拠なのだ。
アラタがしたいことがしたい、というセリフもそういうことだろう。つまり自分の意志を持たず俺基準でものを考えているのだ。
それはまずいな。半ば予想していたことではあるがこのままでは今日の計画がお釈迦になってしまう。
こうなったらかくなる上は……、と良からぬことを考えていると丁度都合よくさっきしまったスマホが震え出した。
「よう、丁度よか……」
「ちょっと先輩! メール見ましたよね!? なんで無視するんですか! 私ずっと返事待ってたんですよ!? めんどくさいからってスルーしないでくださいよ! なんなら先輩の部屋の前で帰ってくるまで惨めに泣きわめいてもいいんですよ!?」
そんなことしたら警察に通報するからな。あとめんどくさいって自覚あるんじゃねぇか。
少しの間ぎゃーぎゃー騒ぐ五十実を無の心でなだめているとやっと話を聞いてくれるようになった。というかなぜこんなにこいつに気を使わなければならないんだ。
「え? 先輩今マキナとそんなとこにいるんですか?」
「ああ、そうだ。マキナに必要なものを買いにな。そこでちょっとお前に頼みがあるんだが」
俺が頼みを告げるとさっきまで怒り心頭だった五十実は感情をひっくり返したように明るい声を出し始めた。
「わっかりました! そういうことでしたら私にお任せください! 超特急でそっち向かうんで待っててくださいよ! 逃げないでくださいねっ!!」
返事をする前に通話を切る五十実。もう使えるものはうざい後輩でもなんでも使ってしまえ。しかし大丈夫かあいつ、今にもどっか突っ込んでいきそうな勢いだったぞ。
スマホを再度ポケットへと仕舞うとマキナが不思議そうな顔をしてこちらを見ていることに気が付く。
「ああ、今五十実と電話していたんだ。すぐこっちへ来るってさ。だから少しそこのカフェででも時間を潰すぞ」
「アラタ、今のなに?」
マキナは俺の予想と反し、仕舞ったスマホの方に興味を抱いた様子だった。
俺は瞬間的に理解する。そうか、マキナはスマホ、もとい電話そのものを知らないのか。
念のためマキナに電話を知っているかと聞くと案の定マキナはふるふると首を振りわからないと言った。やはり、マキナは電話というものを知らない。ということは他の文明の利器も知らない可能性が高い。
そういえば俺がパソコンを使っているときも不思議そうにこちらを見ていたことがあったな。それはそういうことだったのか。
俺は電話についてマキナに説明する。説明を聞くマキナは心なしか目を輝かせていた……気がする。
「要は近くにいない人と話をするための道具だ」
「そう、すごいねそれ」
凄いねと言われればまあ凄いな。俺たちにとっては当たり前の存在だが知らないマキナからすればまるで魔法のような道具に見えるか。
となるとマキナは今の今まで不可思議な道具に囲まれていたのか。なぜ今になって疑問を口にしたのだろう。俺は純粋に気になったので聞いてみることにした。
「今までも俺はマキナの前でスマホを使ったことがあったがどうして今聞いたんだ?」
「それに向かって話しているのは初めて見たよ。それに……」
それに……。マキナはその後にこう続けた。
「私は……前にも見たことがあった気がしたんだ。何かに向かって一人で話している人」
前にも見たことがある?それはつまり……。
マキナには過去の記憶が確かに存在する。
ということだろうか。俺がマキナを起動したときからの記憶しかない訳ではなく、その前の記憶、恐らく作られた時の記憶が残っているということだ。
それは極めて大きな情報だ。俺はマキナからマキナが作られた時の情報を得ることを諦めていたが、そうとわかれば話は別だ。俺は焦る気持ちを抑えてマキナに聞いてみることにした。
「なぁマキナ、前にも見たことがあるっていつ頃だ?」
「……わからない。でも……すごく前だと思う」
やっぱり、俺と会う前の話だろう。マキナは珍しく悩むような素振りを見せる。もしかしたら自分でも整理がついていないのかもしれない。だとしたらあまり強く聞くのは逆効果か?
「とりあえず立ち話もなんだし店に入るか。そこで五十実を待とう」
俺のありきたりなセリフにマキナは俯いていた顔を上げわかったと言って付いてくる。なるべく混んでいない店にしよう。腰を据えて話せる場所を探して俺たちは再び歩き出した。
少なくとも希望は見えてきたわけだ。足取りはさっきよりも幾許か軽い。願わくばこの後の行事もすんなり終わってくれれば良いのだが……。
駅からあまり遠くない場所にあった喫茶店で時間を潰す。なるべく人の少ないところが良かったのだがこの近くではどこもほとんど変わらないか。幸い特に目立つこともなく俺とマキナは普通に席に着くことが出来た。
適当にマキナに話しかけながら反応を見ていたがそろそろネタもなくなってきた。元々俺はあまりしゃべる方じゃないしマキナに至ってはほぼ無口だ。会話なんて続きゃしない。だがそれも悪いことばかりではなかった。
「それ、気に入ったか?」
「うん、おいしい。甘苦い」
マキナは注文したカフェオレを飲み干してしまった。本来ならマキナにはエネルギー的な意味での食料は必要ないのだが、俺だけコーヒーを頼むのも忍びなくてマキナの分として甘そうなカフェオレを頼んでみたのだが意外にもマキナはそれを気に入ったらしい。というか味覚が存在するとこすら初めて知った。
前もマキナが言っていたが、食料については必要はないが摂取することは可能である。らしい。
では取った分の食料はどうなるんだ? 普通に消化されるのかそれともそのまま体外へ排出されるのか。あまり想像したくないな。
だがもしマキナも食事を楽しむことが出来るのならこれからは与えたほうが良いのだろうか。食事をすることによるマキナへの影響はまだわからないが、これからはマキナの分の食事も用意してみるか。マキナは俺の命令なら恐らく素直に聞いてしまうだろうから慎重にいかないとな。
ふとガラスの外を見る。相変わらず人々は忙しなく足を動かしていた。スーツ姿のサラリーマン、私服のカップル、スポーツバックを担いだ学生。多くの人間が交差している。だが、マキナはこの中のどれでもない。
俺にはまだアンドロイドというものがよくわかっていない。人間そっくりなアンドロイドなどこの世に存在していても良いのだろうか、それすらもわからない。
マキナのように人と見分けがつかず、それでいて人に従順な存在が増えたらこの世はいったいどうなるのか。まず間違いなく世の中は変わるだろう、それも良い方向だけではなく。
介護だとか危険地域の調査だとかそういった面では役に立つだろうが、使い方次第ではあまりにも危険な兵器ともなりうるだろう。爆弾でも括りつけて"人込みで自爆してこい"だなんて命令すればそれだけで大量殺人兵器と化す。
人はメリットばかり誇示し、デメリットをひた隠しにする特性がある。どこまでも、どこまでも汚い人間はいつの時代にも存在するものだ。人と区別がつかないアンドロイドなんてあってはいけないのかもしれない。
だが、それでも俺はマキナの存在を否定しない。確かにただそこに存在している、それはゆるぎない真実である。それが例え何者かの欺瞞であったとしても、俺はマキナを"人"として扱いたいのだ。
あれ?
それは、どうしてだ?
何故俺はマキナにそんなにも入れ込む?
数日前まであれだけ警戒していたのに。
未だにわからないことだらけなのに。
俺は何故、マキナを……。
側に置いておきたくなるのだろう。