4 大きな問題がありますよね?
――■■■■、外の空気はどうだい?――
すごいね、天井が見えないや。
――ははは、天井なんてないよ。これは空と言って際限なく続いているものなんだ――
そうなの? 空ってすごいね。
――凄いさ、本当に。空は私も好きだしあいつも好きだった――
あいつ? 誰?
――ああ、何でもないよ。気にしないでいい。そんなことよりあそこを見てごらん――
……人がいっぱい?
――そうだね、みんな何をしているんだろう。ちょっと行ってみようか――
うん、わかった。みんな楽しそうだね。
――ああ、楽しそうだ。本当に……――
昨日の夜、マキナを見つけた場所をもう一度確認しコンビニ近くの喫煙所で一服する。もう日は傾いているが夜には程遠い。
ぐずるようにライターの火がつかず俺を苛立たせる。上手くいかないことは連鎖するってか。本当に今日は碌なことが無い。漸く火のついたタバコは弱々しく煙を吐き燻らせていた。
「……あのクソ親父……」
あいつと会ったのは何時ぶりだろうか。そんなことも思い出せないくらいにあいつはいつも通りだった。全く面白くない奴だ。いや、それは俺も同じか……。
腹立たしいことに年を追うごとに俺はあいつに似てきている。あいつみたいになりたくなくて、あいつを否定したくて俺は足掻いてきたのに。血とは何とも皮肉なものだ。
俺はさっきまで自分の父親と会っていた。まぁ会っていたと言っていいかどうかわからないくらいだったがな。
あいつは俺が通っている大学で科学の教授をやっている。だがその厳しさや愛想の悪さからあまりいい評判は聞かない。
あいつは昔から研究馬鹿で人の話も聞かず相手も碌にしない奴だった。だからと言って自分の息子が久々に訪ねてきたというのにそれを死肉に群がる蠅かのように無下に扱うとはどういうことだ。全く相手にされなかったぞ。
結局嫌な思いしてあいつと会ったのにもかかわらず収穫は0だった。
特に何かを隠しているような様子もなく、本当に俺に興味が無いかのような態度。本当にマキナとは無関係なのか? 少なくとも今は答えが出ないな。
一旦頭を冷やしてもう一度考えるか。マキナの様子も気になるし。無事に大人しくしているだろうか。帰ったら家の前に人だかりができてるとか勘弁してくれよ? そんなことを考えながら俺は家への帰路についた。
「……なんでお前がここにいる」
「さーてここで問題です。私はなぜここにいるでしょうかー」
家についたら人だかりは出来ていなかったがうざいのが一人居た。
「帰れ五十実」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ先輩。健気な後輩が一人暮らしの先輩を心配して遊びに来てあげたんですよ? それをノーリアクションで帰そうとするとか正気ですか。それでも健全な大学生ですか? あっ、先輩もしかして照れてます? なるほどそういうことでしたかいやぁ早く言ってくださいよー可愛いとこあr」
「帰れ」
これ以上こいつが調子に乗り出す前に早急に追い返さないといけない。今日ばかりはこいつの馬鹿に付き合ってると余計に話がややこしくなるぞ。何故ならこの扉の奥には……。
「……アラタ?」
そうそう、マキナっていう昨日俺が拾ったアンドロイドがいて……って、え?
「アラタ、おかえり」
硬直。人間あまりに衝撃を受けると一切何も考えられなくなるらしく、マキナが扉を開けて俺の眼の前に来るまでをそのまま見届けてしまった。
俺の隣でぽかんと口を開けて目を丸くしている後輩も同じように機能を停止していた。
なんとか思考回路が復活した俺は努めて冷静に応じる。ここで慌てだしたら余計に怪しまれる。何が何でも児童誘拐犯のレッテル張りだけは避けなければならない。
「……マキナ。どうして出てきた?」
「……? "俺が帰ってくるまで外に出るんじゃないぞ"って言ったよ?」
冷静に対応するつもりだったが人間の理想と現実は悲しいことに乖離しているらしく、俺は引きつった声を出していた。
俺が帰ってくるまで外に出るな。それはつまり俺が帰ってきたから外に出たということか。なるほど確かに。っておい。
理屈は理解する。これは俺の言葉不足が招いた事故だ。それはわかった。じゃあどうするんだこの状況。
今すぐ隣で放心している後輩の延髄に一撃入れて記憶を奪うか。今ならまだ間に合うかもしれない。しかしそれは失敗した時のリスクが大きい。
こいつがどうなろうが知ったこっちゃないが、さらに罪を重ねるのは賢い選択ではない、と思う。
なら平和的に無理やり口止めするか。だがこいつに口止めなんか効くのか? やっぱり物理的に口止めするしかないか。
「……せ、先輩……。この子は……?」
……来たか。まぁ当然の疑問だ。しかしどうする? 正直に話すか? 夜中道端でアンドロイド拾ったって? 馬鹿かよ。誰が信じるんだそんなの。余計に不審がられるだけだ。
「あ、ああ。こいつはだな……」
「……私はアンドロイドのマキナ。アラタのアンドロイド」
俺が説明する前にマキナが自らについて語り出す。おいおい、本当のことではあるのだがそんなの誰も信じないぞ。
「え? アンドロイド? なんでしたっけそれ」
「……人型のロボットみたいなやつだ」
「ロ、ロボット!? それ本当ですか先輩!?」
「……本当だ」
流されるまま話す。この話何処に着地するんだ?とにかく五十実が納得がいく説明を考えないと……。
「え、でもこの子普通の人にしか見えませんけど……」
当たり前だが五十実が不振がっている。なんとか簡単にでもマキナが人間ではないということを証明せねば……。
「五十実、こいつの腕を持って脈を診てみろ」
「え? あ、はい……。ちょっとごめんね」
五十実は言われるがままマキナの腕を持ち手首に指をあてる。すると五十実の表情がみるみる驚きの色を見せる。
俺がやった時もそんな顔をしていたのだろうか。傍から見ると何とも間抜けな顔だ、となぜか他人事のように考えてしまうのはまだマキナの存在に現実味を感じていないからだろうか。
「せ、先輩! この子脈が動いてません!」
「知ってる。だからお前に確かめさせたんだ」
ある意味でこの状況は俺にとって好都合ともいえる。なぜなら自分以外にもこの不可思議な存在を知る人間を得ることが出来るのだから。まぁそれが鬱陶しい後輩である五十実なのは心許ないが。
しかし、それでもまだ足りないか……。脈が無いというだけでマキナが人間ではなくアンドロイドで、且つ所有者が俺である、という条件は満たせない。そしてそこから生まれる次の疑問は俺すらも知りえないものだ。
「で、でもこの子、人にしか見えませんよ? それにアンドロイドだなんて……、この子が作り物ならいったい誰が作ったんですか?」
誰もが思う疑問。いったい誰がマキナを作ったのか。それは俺にもわからない。俺はただ落ちていた卵に触れ、中から出てきたマキナを連れて帰ってきただけだ。冷静に自分の行いを振り返ると未だに何故そんなことをしたのか疑問に思える。
「それは……、俺にもわからない」
そう素直に答えた。マキナ本人に質問してもわからない。大学の資料を漁っても何も出てこない。科学に精通している親父には無下に返される。どれもこれもダメ元で行って実際に駄目だっただけ。たったそれだけのことなのにどうしようもなく追い詰められる。
八方塞がりな俺はとりあえず五十実に状況を説明するために二人を家に招き入れることにした。
大学近くのアパートの狭いワンルームの部屋の中、昨日までほぼ誰も入れたことが無かった俺の部屋に二人も他人がいるのは違和感がある。
しかし五十実の奴、前に一度だけ俺の部屋に入れたことがあったがしっかり場所を覚えてやがったか。あの時は散々飲んで酔っ払ってたくせに。
「茶なんて出さねぇからな」
「やだなぁ先輩。先輩にそんなこと期待するわけないじゃないですかぁ。でもちゃんとクッションを渡してくれるあたり実は先輩結構優しいですよね?」
「ほざけ」
五十実の言葉を半ば無視するように俺はベッドの上に座る。ったく、いちいち妙なところで感が良い奴だ。
俺と五十実はそれぞれ自由に座ったが、マキナは座ろうとせずに俺の傍らに立ち俺を見続けていた。これは……やっぱりそういうことか。
「マキナ、ここに座っていいぞ」
マキナはわかったと返事をし俺の隣に座る。
恐らくだがマキナは俺が命令しないことは出来ないのだろう。部屋の中を見渡しても今朝と特に変わったところはない。そしてマキナは部屋の外には出ていない。その証拠は……。
「あれ、先輩そのテープどうしたんですか? そんなの持ってましたっけ」
存外目聡いやつだなこいつ。俺は"何でもねぇよ"とテープを丸めゴミ箱へと捨てる。
実はこのテープは俺が朝出かける際に扉に貼っておいたものだ。
もしマキナが外へ出ていたら、もしくは誰かが家の扉を開けていれば剝がれているはずだったが、俺が帰ってきたときにはしっかりと朝貼ったときと同じ状態だった。
その後マキナが扉を開けた際にちゃんと剥がれていたから間違いないだろう。つまりマキナは俺の言いつけをちゃんと守っていたことになる。ひとまずは安心といったところか。
俺は何かを聞きたそうにうずうずしている五十実に事の顛末を説明する。自分で話していながらなんて荒唐無稽な話だと自嘲気味になるが、事実は事実だ。こればっかりは信じてもらうしかない。
全てを話し終えるまで五十実は相槌を打つ以外特に邪魔はしてこなかった。俺が冗談ではなく真剣に話していることが通じたのか。普段はふざけたことしか言わない奴だがこういうところは真面目だよなこいつ。
「で、まぁ今に至るわけだ」
全てを説明し終え一息つく。黙って聞いていた五十実はどう思っただろうか。馬鹿な話だと一蹴するだろうか。少し怖いな。
その五十実は何かを考えていたようだが、やがて決心したように口を開く。
「大体はわかりました。ですが先輩、一つ大きな問題がありますよね?」
「……なんだ?」
一つどころじゃなく問題が山積みな気がするがとりあえず五十実の意見を聞いてみることにする。
「これから先輩はこ、ここここの子と一緒にこの部屋で住むってことですよね!? そ、そんなのダメですよ! 絶対間違いが起きますって! こんな可愛い子が先輩の毒牙にかかると思うと……っ! あ、ごめんなさい少し興奮します」
「お前もう帰れ」
さっきまで真面目に話を聞いていた五十実はいつの間にかいつも通りの五十実に戻っていた。
だが五十実の言うことも実は的外れではない。いや別に俺がマキナを襲うとかそういう意味ではなく、単純に世間はそう見るということだ。
事情を知らない人間からしたら大学生が中学生を部屋に連れ込んでいるようにしか見えない。そんなの間違いなく良い噂にはならないだろう。だとしたら最適なのは……。
「そこでだ五十実。お前にマキナを預かってほしい」
「えっ!?」
唐突な提案に戸惑いを隠しきれていない五十実。それもそうだろう、いきなり得体のしれない自称アンドロイドを預かってくれだなんて言われたら困らない訳がない。
だが五十実はさっき自分で俺の元に置いておくのは危険だと言ったばかりだ。五十実には悪いがここは協力して貰おう。
何も本当に五十実にマキナを預けるわけではない。マキナの保護場所を一緒に探してもらうだけだ。
俺は時間差でそれが無理なら"マキナを置いてもらえる場所を探すのを手伝ってくれ"と付け加えた。最初に無理な条件を突き付けてからあとで条件を緩和するように本命を提案するのは交渉の常套手段だ。
「ま、まぁそれくらいなら……。でも先輩、手伝うと言ってもなにをするんですか?」
「それは追々考える」
「無責任だなぁ……」
「うるせぇ」
何はともあれ協力者が得られたのは素直にプラスと考えていいか。こんな奴でもいないよりはいいだろう。
「あと五十実、このことは当然他言無用だからな?」
「も、勿論ですよ! 家族にも友達にも言いませんって!」
「お前友達いたのか?」
「先輩……、私にも心というものはあるんですよ? そんな躊躇いもなく言葉のボディーブロー打たないでください。私がMじゃなかったら傷付いてましたよ?」
なんだかんだ言って既に普段の五十実に戻っていた。あまり混乱されるとこちらが困ってしまうからこっちの方が都合がいいな。なし崩しとはいえ五十実をこちら側に引き込んだのは正解だったか。
話が途切れ、ふとマキナの方を見るとマキナはずっと俺の方を見ていたようで自然と目が合う。
少しは慣れたかと思ったがまだまだだったようで少し恥ずかしくなってしまう。そんな反応してしまったのを五十実に見られでもしたら……。
「せんぱ~い」
ほらきた。
五十実はニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべマキナがいる方とは反対の俺の隣に座る。お前にはベッドの上に座っていいとは言ってないが?
「どうしたんですかぁ? 先輩。今ものすっごく可愛い反応してませんでした?もしかして目が合ったのが恥ずかしくなっちゃったのかな…、ああ! ちょ、ちょっとまって! 待ってくださいーっ!」
無言で五十実の首根っこ掴んで玄関へと持っていく。
「すみません謝りますからー! 首閉まる! 閉まっちゃいます!」
手を離すと大げさにリアクションを取りながら元いた位置に戻っていく五十実。こいつは本当に懲りないな。もしかしたら本物のマゾなのかもしれない。鬱陶しいことこの上ないぞ。
「か弱い女の子になんてことするんですか先輩。マキナちゃんにもこんなことしてるんじゃないでしょうねぇ」
「馬鹿言うなお前だけだよ」
「え、そうですか? そっかぁ私だけ……って別に嬉しくありませんからね!?」
五十実を適当にあしらいながら時間が思った以上に過ぎていることに気が付く。後は……そうだな。
「マキナ」
俺が呼ぶといつもの様にすっとマキナの顔がこちらへ向く。相変わらず犬猫のような反応だ。
「遅くなったがこいつの名前は五十実。一応俺の後輩だ」
「一応ってなんですか一応って。えっとマキナちゃん、初めまして。五十実舞衣って言います。以後お見知りおきを」
五十実が意味もなく恭しく挨拶をした。
「わかった。初めましてイガラミ。私はマキナ。これからよろしく」
マキナの返事に五十実は自分の顎に手を置き少しわざとらしくうーんと唸る。
「うーんマキナちゃん。私のことは五十実じゃなくて舞衣って呼んでくれるかな? ほら、五十実って言いにくいでしょ。あとあんま可愛くないし」
「そう? わかった、マイ」
マキナがマイと呼ぶと五十実は親指をグッと立てて良い笑顔を見せた。
「先輩先輩! マキナちゃん良い子ですね!」
良い笑顔のまま俺に話を振る五十実。そんなに名前で呼ばれたのが嬉しかったのか? 五十実は目を輝かせて喜んでいた。
「でも」
ふとマキナが口を開く。
「アラタはイガラミって呼んでたよ?」
俺は少し驚いていた。今まである程度の自意識を持っている様子はあったが、マキナが疑問を口にしたことはなかった。
俺が五十実と呼びマキナが舞衣と呼ぶことに関して疑問に思ったのだろうが、そもそもアンドロイドにそういった疑問を持つという思考回路があるのだろうか。勝手に俺がそんな機能ないと思い込んでいただけで、もしかしたらマキナは……。
成長するアンドロイドなのかもしれない。
「別になんて呼んでもいいんだよ。普通は男は仲が良いわけでもない女を名前で呼んだりはしないな」
マキナの疑問に答える。するとマキナは"そう"と言って視線を正面に戻した。疑問が解決したのか? マキナの表情は相変わらず読み取れない。
もしマキナが会話によって成長するのならもっと自然に会話が出来たりマキナの感情が読み取れるようになるかもしれない。これは少し希望が見えたか?
「ちょっと先輩、この際だから言いますけどそろそろ先輩も私のこと舞衣って名前で呼んでくれてもいいんじゃないですか? 丁度いい機会ですよ? この機会逃したらもう呼び名を変える機会なんてそうそうありませんよ? ほら、呼んでみてください舞衣って。そしたら私も新先輩って呼b」
「そろそろ遅いから帰れ五十実」
面倒な流れになりそうだったので途中で無理やり終わらせる。悪いが俺は必要以上にこいつと馴れ合うつもりはない。五十実は不服そうに頬を膨らませていたが無視だ無視。その様子をマキナはきょとんとした表情で見ていた。
結局五十実は晩飯を一緒に食うまで帰らないと駄々をこね、夜まで俺の家に居座っていた。五十実なりに俺とマキナのことを心配していたのか、もしくはただ単に暇だったのかそれとも……。
いや、今は考えないでおこう。少なくとも今の俺にはそんなことを考えている余裕も資格もないのだから。