3 マイペース
――おはよう■■■■。気分はどうだい?――
おはよう。ばっちりだよ。
――そうかい、それは重畳。■■■■が元気だと私も元気になるよ――
そう、それは嬉しいな。
――今日は■■■■のメンテナンスをする日だ。とは言ってもそんなに時間は掛からないだろう。私が呼ぶまでテレビでも見ているといい――
そう、わかった。
……。
――うん? どうしたんだい?――
テレビはいいから、今日はパパの側にいてもいいかな。
――……。そうかそうか。いいよ、おいで。今日やるのはね……――
新聞配達のバイクの音で目が覚める。また起きるには早い時間か。
時計を確認するとまだ朝の四時半。俺は新聞を取っていないためこれは同じアパートの別の住人への配達だ。そう考えると巻き込まれて起こされたような気がして損した気分になる。
今日は大学の研究室には特に用はない、となると今日は家でのんびりしてるか……。
寝ぼけ眼でそんなことを考えながら伸びをし、そこで違和感に気付く。俺はなぜ壁に背中を預けて寝ていた?
段々と頭が冴えてくる。そうだ思い出した。昨日の夜、なんか変なアンドロイドを拾ったんだっけ。それでそのアンドロイドを持ち帰ってそいつにベッドを明け渡したんだった。そこまで思い出してハッとする。そうだあいつは?
「アラタ、起きた?」
不意に隣から微かな声がして跳び起きそうになる。驚いて声がした方へ顔を向けると、昨日拾ったアンドロイド"マキナ"が四つん這いになりながら俺の顔を覗いていた。
俺としたことが、こんな怪しいやつを家に放って寝てしまってたのか。いくら盗られて困るようなものなんて無いとはいえ、あまりにも不用心すぎる。
しかし部屋を見渡してみても特に変わった様子はなく軽く安堵した。
「おはよう、アラタ」
「あ、ああ。おはよう……」
マキナからの朝の挨拶に暢気に返事をしてしまう。低血圧ながら昨日の出来事をだんだんと鮮明に思い出してきた。そしてつくづく昨日の自分の軽薄さに眩暈がする。
何故得体のしれない怪しい物体に触れたのか。何故すぐに逃げなかったのか。何故こんなやつを家に連れてきたのか。どれをとっても非常識だ。
まぁ、こうなってしまったものはしょうがないか……。今はこいつを今後どうするかを考えたほうが建設的だ。俺は今一度マキナをよく観察してみることにする。
マキナについてわかっていることは少ない。
まずマキナは人間ではないこと。本人が言うにはアンドロイドであるらしい。そしてそれを証明するように見せたマキナの翼。あれはホログラムだとかそんなもので説明がつくような代物ではなかった。だから俺は警察に届けることをせず一旦預かることにしたのだ。
予定ではマキナが寝ている間にいろいろと考えようと思っていたのだが、疲れていたのかいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
しかし気になる。今の時刻は午前四時半を過ぎたところだ。それなのにマキナは起きていた。昨日寝る前にベッドで寝るように言ったはずなんだが……。
俺は疑問をそのままぶつけることにする。
「なぁ、マキナ。お前眠らないのか?」
「……必要ない」
マキナは俺の質問に答える。睡眠が必要ないというところもアンドロイド故か。
俺はまだマキナについて知らないことが多すぎる。一つ一つ紐解いていくしかないか……。
「……まぁこんなところか」
考えつく限りの質問と軽い実験を終え、結果を記したメモ帳を閉じマキナを見る。するとマキナは俺を見つめ返してくる。
マキナの目は昨日のように蒼くはなく、最初目覚めたときと同じようなごく普通の黒目をしていた。
少し長めの黒髪に小柄で華奢な体。見れば見るほど普通の少女にしか見えない。
冷静になって考えてみたらこんなの連れて帰ってきたのは別の意味でまずいんじゃないか? 当の本人は大きな瞳をぱちくりさせている。
マキナについてわかった点は三つ。まず睡眠と食事が必要ないこと。睡眠が必要ないのはわかるとして、食事も必要ないというのはどういうことだろうか。
ただ単に別の動力源があるというのならまだしも、それがわからないときてる。放っておいたらいつの間にか充電が切れて動かなくなるとか勘弁してくれよ?
なお、睡眠と食事は必要が無いだけで取ろうと思えば取れるらしい。なんて器用な。
次にマキナの持ち主だが、それは俺で間違いないそうだ。
まあマキナを道具扱いするのは気が引けるが、返すべき相手がいるのなら返さなければならないだろう。というか製作者を探し出さないとずっと俺がマキナの面倒を見ることになる。それは困る。
最後にマキナそのものについて。これはわかった内に入れていいのか怪しいが、何もわからないということがわかった。
マキナは自分のことについてほとんど知らないようで、質問のほぼすべてをわからないで返されてしまった。
もしわざと嘘を吐いているわけでないのならば、これ以上マキナからは聞き出すことは出来ないだろう。つまり自分で探していく他ない。
さて、ここまでわかったことを簡単にまとめたが、俺はこれを一体どうしたらいいのだろうか。
やはり警察にでも連れていくか? いや駄目だ。こんな代物世間の光に当てていいものではない。しかしほかの手段か……。
悲しいことに一大学生にできる事なんて限られている。その中でマキナの正体と製作者を突き止めるなんて本当にできるのだろうか。正直言えば自信なんて一切ない。
だったらどうする。あいつに泣きつくのか? 冗談じゃない。そんなことするくらいならマキナをこのまま匿っていた方がましだ。
昨日はあいつに頼ることも考慮していたが、冷静に考えればあいつにだってこの案件をどうこう出来るとは限らない。
下手にマキナをいじくりまわされて何もわからなかったなんて言われたらその場で殴り飛ばしてしまいそうだ。
何はともあれ今は圧倒的に情報が足りない。まずすべきことは情報収集か。ダメ元で大学の資料でも漁ってみるか? こんなアンドロイドの資料なんか置いているとは到底思えないが……。
ふとマキナの顔を見ると、さっきまで俺が取っていたメモ帳の表紙を見ていた顔がすっとこちらへ向く。言っちゃ悪いがなんだか犬や猫みたいな仕草だった。
こんなのを家に置いて出かけてもいいものだろうか。出かけたフリをして一人でいるときの様子を監視してもいいがあまり趣味じゃないな。傍から見ればただの変態だぞ。
「はぁ……」
思わずため息が出る。もし拾ってきたのが犬猫なら元居た場所に返してきなさいで済んだものを。俺がどうしたものかと考えあぐねているとマキナがすっと口を開いた。
「アラタ、大丈夫?」
マキナの表情は変わらない。しかし俺を心配しているようにも見える。アンドロイドにも自主性というものはあるのだろうか。その顔を見て俺は自然と言葉を口にしていた。
「なぁマキナ。お前は何かしたいこととかあるのか?」
マキナは表情を変えずに聞く。そして案の定"わからない"と答えた。さっきまでしていた質問と同じ返答に少し肩を落とすが、マキナはその後にこう付け加える。
「アラタがしたいことがしたい」
……反応に困る答えが返ってきた。アンドロイドとして主人のために働きたいということなのだろうか。理性的に考えるとそういうことなんだろうが、セリフがセリフなだけに可憐な少女の見た目をしたマキナが言うと妙な意味を想像してしまう。
俺は堪らずそうか、とそっけない返事をしてしまった。まるで子供みたいだな。妙な空気になる前に話の軌道を修正する。
「とにかく、俺はお前を作った人間に会う必要がある。そしてそいつが誰なのかわからない以上は探すしかない。その為に俺は外に出て少し調べ物をしてくる。だからお前はここで大人しくして待っていてくれ」
随分とくどい説明になったがマキナは納得したようにわかった、と頷いた。
アンドロイドの理解力をまだ把握しきれていないため慎重になりすぎて困ることはないだろう。
正直マキナを置いて外に出るのは心配だが、行動を起こさないで時間を無為に浪費するのはそれこそ無駄だ。
どの道マキナと常に一緒に行動するわけにもいかないため、マキナを一人にするとどうなるのかというのも確かめておきたい。
「俺が帰ってくるまで外に出るんじゃないぞ」
「うん、わかった」
軽い朝食を済ませ、身支度をする。朝食中マキナにじっと見つめ続けられたが本当に食事は必要ないんだろうな。物珍しそうに見られながら食事をするのは慣れていない。
パンを一切れ差し出して食べるかと聞いたがいらないと首を振られてしまった。
だがもし俺が食べろと命じたなら躊躇なく口にするのだろうか。
見た目は人間にしか見えないがどことなく人間離れした雰囲気がある。それがマキナだった。
出かける前最後にマキナと一つ約束を交わす。それは"勝手な行動をとらないこと"。
少し可哀想でもあるが俺はまだマキナを完全に信用したわけではない。もし帰ってきて今と何も変わらずにマキナが待っていたら約束を守っていたことになる。しかしそうでなかったのならば……。
側に置いておくのは危険だろうと判断する。
ただでさえ得体のしれない正体不明のアンドロイドなのに、それがどう行動するかがわからないなんていよいよ手に負えないからな。
マキナは変わらず、わかったと一言だけ答えた。その目は感情が読めない、無機質な目をしていた。
「なんだぁ兄ちゃん。しけた面してんなぁ」
突然の声に顔を上げると、恰幅のいい定食屋のおっさんが俺が注文した定食を手に、曇り一つない笑みを浮かべていた。
「うるせーよ、誰だってうまくいかないときくらいあるだろ。それに俺は元々こういう顔だ」
「だっはっは! ちげぇねぇ!」
テーブルに料理を置きながら豪快に笑うおっさん。頼むから唾を飛ばさないでくれ衛生局に訴えるぞ。
大学での調べ物を終えた俺は馴染みの定食屋で食事を取ろうとしていた。もちろんそれだけのために来たわけではないが。
「なぁおっさん、昨日の夜中変な光見なかったか? でかい音とかも」
この定食屋は昨日俺がマキナを見つけた場所の近くにある。定食屋の二階が住居になっているようなのでもし起きていたなら光に気付いているはずだが……。
「夜中ぁ? 何時くらいだ?」
「確か11時くらいだな」
「いんやぁ? そん時はテレビ見て起きてたはずだけど何も見てねぇなぁ。普通に静かな夜だったし」
半ば予想通りの答えだった。もし見ていたのならあの場で出てきていたに違いないからな。おっさんは大げさに首をかしげていた。
「そうか、見てないならないいんだけどさ」
それ以上追及するのは止めた。おっさんが嘘を吐いているようには見えないしこれ以上聞いて不審がられても面倒だ。
俺はおっさんが持ってきた定食に箸をつける。"安い""早い"は揃ってるが、"うまい"がいまいち足りないいつも通りの味だった。
「なんでぇなんでぇ。音とか光とかまたどっかの族がやんちゃしてたのか? 見つけたら俺がしめてやるのによぉ」
「ちげぇよ。ていうか今は定食屋のおっさんだろ。また警察の世話になるぞ」
「昔取った杵柄ってやつだな! はっはっは!」
意味が違う気がするがスルーする。あまり関わっていいこともないだろう。
おっさんも過去にいろいろあったらしいが深くは聞くまい。というか勝手に話してくるし。
俺を不良かなにかと勘違いしているのか妙に話しかけてくる。その分おまけしてくれたりするから貧乏学生の身には有り難いのだが。
「それでぇ? その光がどうかしたんか? 辛気臭い面してたのもそれかぁ?」
おっさんが興味有り気に聞く。藪蛇だったか、面倒な。
俺は適当なことを言って誤魔化すことにした。
「別に、昨日この近く通りかかったら変な光が見えた気がしたから聞いただけだ」
それを聞いたおっさんが妙に嬉しそうに声を上げる。
「あー、わかったぞ! おめぇ幽霊でも見たと思ってブルってんだろ! だっはっはっは! なんでぇおめぇも可愛いとこあんじゃねぇかはっはっは!」
うぜぇ。
周りの客のことを気にせず大笑いするおっさん。まぁ、変な詮索されるよりは勝手に盛り上がって騒がれてる方がましか。客は少ないが俺だけではないし、どうせすぐに飽きて別のものに興味がいくだろう。
「ほら、仕事中だろ。くっちゃべってねぇで仕事しろよ」
「まだ昼前で客なんて馴染みの奴しかいねぇよ。これから忙しくなるんだから少しぐれぇ付き合えって」
その馴染みの客を大切にしろよ、と言いたかったがおっさんがこんなんだから来る客もいるのか。俺が生まれる前からこの店をやってるみたいだし俺が口出すことじゃないか。
少し話をしておっさんは他の客に呼ばれ席を離れる。
やっと解放されたか。昼になるといっちょ前に混みだすからって昼前に来たのが失敗だったな。暇なおっさんに絡まれて全然ゆっくり出来やしねぇ。
食事を終え、休憩がてらに大学で調べた内容を整理する。とは言っても得られた情報は限りなく少ない。
アンドロイドについて。まずは知っているはずの知識をより盤石なものにすることを選んだ。
アンドロイドとは平たく言えば人型のロボットである。元は小説の中の存在らしいがそれが広まって一般的な名称となった。
アンドロイドの意味は"人状の物"。つまり、あくまで人間ではない。マキナはそれを理解しているようだったが、俺にはいまいちピンとこない。人でないなら人として扱うのは間違いなのか? マキナを物として扱えってか? それは無理だな。少なくとも見た目には人間にしか見えない。だったらアンドロイドとして扱うよりも迷子の少女として扱ったほうが幾許か楽だ。周りにバレたらまずいけど。
他にも現代のアンドロイド技術について調べたがどれもマキナに該当するものはなかった。まぁそんなものがあるのなら大々的に発表されているだろうし当然と言えば当然だが。
あれだけ精巧なアンドロイドが現代の技術で作れるはずはない。最新のアンドロイドでも少しリアルなだけであんな自然に受け答えが出来るようなものではない。出来ていくつかの単語に反応して登録された答えを音声で発するだけだ。
となるとやはり矛盾が生じる。マキナは誰が造った? こんなオーバーテクノロジーが何故あんなところに転がっていた? やはり俺は何者かに担がれているのか? 考えれば考えるほど泥沼にはまっていくようだった。
「おっさん、勘定置いていくぞ」
ここで考えていても埒が明かないか。休憩のために来たはずだったのに結局息が詰まってしまう。ここは大学でもう一頑張りするか。
他の客と駄弁っていたおっさんがあいよーと気が抜ける返事を返しよたよたと歩いてくる。
気楽そうでいいなと思ってしまうのは少し子供っぽいか。俺の数少ない普段話す人間。
そういえばもう一人、おっさんと同じくらい気楽そうな奴がいたな。俺はそんなことを考えながら大学へと戻っていった。
「あっ、白羽先輩!」
「げっ」
素で"げっ"という言葉が出てきてしまった。
大学へ戻ってきた瞬間にもう一人の気楽そうな奴と鉢合わせてしまった。正直すっごく面倒くさい。
「あー、今"げっ"って言いましたね先輩。可愛い後輩が話しかけてきたリアクションがそれですか。酷い、酷いです先輩。万死に値します」
「日頃の行いの所為だ五十実」
うざいおっさんの相手の次はうざい後輩の相手かよ勘弁してくれ。
俺に話しかけてきたセミロングの髪の女性は腕を組み仁王立ちのような姿勢で俺の眼の前に立ちふさがった。しかし背があまり高くないため全く威圧感が無い。そして何故かしたり顔だった。
彼女の名は五十実舞衣。俺が通う大学にこいつが入学してすぐくらいに知り合ったのだが、ひょんなことから事あるごとに俺に絡んでくるようになった。
鬱陶しいことこの上ないが、あまり無下にするとすぐへそを曲げるから余計質が悪い。
俺もあの時こいつなんか無視してさっさと帰ればよかったのに……。
「先輩今失礼なこと考えてません? 目が語ってますよ」
「考えてねーよ自意識過剰野郎」
「先輩……、女性に向かって野郎とは何ですか。どーしてそんなに私に冷たいんですか? 悩みがあるなら聞きますよ?」
なんでそこで悩みの話になるんだよ。普通"私に悪いところがあるなら直しますよ"くらい言うだろ。冷たくされている理由が自分に無いと思ってやがる。
「ほらほら、頭脳明晰な後輩に頼るチャンスですよ? ずばっと悩みを打ち明けちゃってください」
「今の悩みはお前のうざさだよ」
五十実はわざとらしい笑顔を作り俺の顔を覗こうとする。俺は別に俯いていたわけではないがいちいち行動が大げさな奴だ。
少し傾けた首からはらりと髪が流れ、それをかき分ける仕草が妙に様になっている。黙ってれば見た目は悪くないんだがな。
「さぁさぁお昼行きましょうよ先輩。ご飯食べたら悩みなんて吹き飛んじゃいますよ。それに今なら可愛い後輩にご飯をおごる権利付きですよ?」
「さっき食ってきたばっかだしそうじゃなくても行かねぇ」
こいつに飯なんか死んでもおごらねぇ。とは言っても本当におごらせるつもりなんてないのはわかっている。こいつはそういう奴だ。
冗談で馬鹿なことは言うけれど、本当にそうしようとは思っていない。だから真面目に相手しても疲れるだけだ。この数年でそれが痛い程身に染みたよ。
「えっ、もう食べちゃったんですか? 先輩ってそんなに食欲旺盛系ボーイでしたっけ。もしかして先輩の新たな一面ですか? 遅れてきた育ち盛り的な」
「うるせぇな。混みだすとダルイから早めに食っただけだよ」
変に誤魔化すと余計に食いつかれそうだったから適当に流す。その成果はあったようで五十実は納得したような仕草をして自分の手を軽く叩いた。
「ほうほう、確かにそうですね。私はさっきまで講義があったのでその手段はとれませんでしたが、成績優秀で四年生のこの時期になっても余裕な先輩にはとても効率的だと思います」
含みある言い方だな。卒業に必要な単位なんて三年生の内にほとんど取ってしまったため四年生の間はほぼ研究室にしか用がなくなる。五十実はしばしばそのことを羨ましいとか言っていたな。
「私は講義があったのに! 単位も危ないのに!」
「それは自分の所為だろ」
単位云々の憂さを付け加えた五十実は、いーっと子供のように指で自分の口を引っ張っていた。自分で言って自分で盛り上がってたら世話無いな。早くどっか行ってくれ頼むから。
「……ったく、早く飯食わねぇと昼休み終わるだろ。俺はもう行くからさっさと食堂でも行ってこい」
「えー、そんなこと言わずに一緒に食べましょうよー。先輩思いの後輩との会話に花を咲かせるのも青春ですよ?」
「いらねぇよそんなもん」
先輩思いとは恐れ入った。皮肉なことにその思われた先輩は絶賛後輩に辟易中だぞ。
こいつと話をしていたらさっきまでの鬱々とした気持ちがどこか別の方向へと流れていってしまった。気分転換にはなったが別の意味で疲れるぞこれ。
「あれ、そういえば先輩今日はいつにも増してテンション低いですね。お疲れですか?」
「別に。お前の相手は疲れるけどな」
「そうですか、ならいいんですけどね」
良くねぇよ。
しかし確かにこいつ以外の原因で疲れが出ている可能性は否定できない。早朝から起きてずっと考え通しだったからな。少し寝不足だ。
「先輩一人暮らしなのをいいことに女の子連れ込んで毎晩イイコトしてるんじゃないでしょうね。私そういうの許しませんからね?」
「……イイコトってなんだよ」
「や、やだ……、女の子の口からそういうこと言わせるんですか?先輩……。流石の私でも恥ずかしいですよぉ……」
どっから突っ込めばいいんだよ。もちろん変な意味じゃなくて。
出来るだけ平静を装いいつも通りに返したつもりだったが、内心は不意打ち気味に核心を突かれ咄嗟に声が出ないほどに驚いていた。
幸い五十実は気付いていないようで両頬に手を当てながら恥ずかしそうにやんやんと頭を振っている。
まさかとは思うがこいつマキナのことを知っている……? いや、偶然か。こんな冗談普段からよく聞いている。ただ偶然ネタが被ってしまっただけだろう。全く油断ならないな。
これ以上こいつと一緒に居ると碌なことにならなさそうだ。そもそも俺は調べ物をするために大学に来たんだからこんな奴と無駄に時間を潰している暇なんてない。
「馬鹿な話してると本当に時間無くなるぞ? まぁお前が昼飯抜きになっても俺は知らねぇけど」
「本当につれないですね先輩。何事にもユーモアは必要ですよ? 同じ人生なら笑顔は多い方が良いに決まってます。笑って笑って。にーって、ほらにーって」
「じゃあな」
「あっ、せんぱーいっ」
最後は完全に無視した形で俺はその場を離れる。後ろで五十実がなんか騒いでるけど無視だ無視。
五十実と話しているといつまで経っても会話が終わらないからな。暇なときはまだいいが忙しい時に出くわすと本当に厄介な相手だ。
さて、奴を撒いたはいいがこれからどうするか。一度マキナの様子を見に帰るか? だがもう少し大学残って調べ物をしたい気もある。それに……。
マキナについて一度あいつと話しておく必要がある。五十実なんかよりも遥かに会いたくない相手だが今はそれが一番手っ取り早いからな。
もしあいつが仕組んだことだったら俺は絶対にあいつを許さない。だがそうでないとしたら俺はマキナをどうすればいいんだ……。
しかし何かしない訳にもいかない。気は乗らないが致し方なし。俺は喝を入れるように進めていた歩みをさらに早めた。