2 マキナ
――おや、どうしたんだ? ■■■■――
何を見ているの?
――これはテレビと言ってね。いろんな情報を教えてくれたり楽しいものを見せてくれるものだよ――
そう、すごいね。
――でも最近はあまり面白い番組が無くてね。■■■■が見て面白いものがあるかどうか……――
私も見ていいの?
――勿論いいさ。一緒に見ようか。■■■■はどんなものが見てみたい?――
……パパが見たいのでいい。
――そうか? じゃあそうだね……。私が好きなのは……――
絶句。その一点に尽きる。
なんだ、何がどうなっている。一体これはどういう状況なんだ。落ち着け俺、こういった状況が理解の範疇を超えた時は一つ一つ起こった出来事を整理するのが先決だ。
まず、俺は怪しい光に誘われ謎の卵を発見した。次にその卵に触れた瞬間強い光を放ち中から一人の少女が出てきた。
しかしその少女は生きておらず、傍らに落ちていたプレートを少女の胸に当てたら再び強い光が放たれ少女が生き返った。
そして起き上がったその少女は俺を指さしパパと呼んだ。
おわり。
すまん、整理はしたが全く持って理解出来ない。というか何の解決にもなっていない。俺が欲しかったのはこの状況をどう打破するかのヒントだったのに。
少女は変わらずこちらを見つめ続けている。こう、何か言ってくれた方が助かるのだが、その願いも虚しくただ俺の返事を待っているだけかのようだった。
とにかく、このままでは埒が明かないので観念して返事をしてみることにする。
「……あのさ、お前は……誰だ?」
日頃の癖の所為か、少し高圧的になってしまった。だが本人はよくわからないといった表情できょとんとしている。
動じない性格なのか? まあ第一声からぶっ飛んでいたからあまりこいつに常識を期待するのも無駄か。とりあえず俺は一つ一つ疑問を解決していくことにした。
「名前は?」
少女はわからないと言いふるふると首を振る。
「なんでこんなところにいる?」
少女はわからないと言いふるふると首を振る。
「どっから来た?」
少女はわからないと言いふるふると首を振る。
「……近くに知り合いはいるのか?」
少女はわからないと言いふるふると首を振る。
……。
それ以降何を質問しても反応は変わらなかった。
「はぁ……」
大げさなほど大きなため息が出た。それもそのはず、いくら質問を繰り返してもこちらの知りたい情報は一切出てこなかったのだから。
嘘を吐いていたり恍けているわけではないとしたら、この少女は自分について何も知らないことになる。果たして本当にそんなことがあるものなのか? 記憶喪失とかそういうのだろうか。急に変な卵から出てきて? その上記憶喪失だと? これがドッキリや悪戯ではないとしたらまるで……。
本当に卵から今生まれたみたいじゃないか。
……。
そんな馬鹿な。妄想も大概にしろ。俺は今でも曲がり角から知らないおっさんが悪趣味な笑顔を浮かべ、奇抜な大成功の文字が書かれたプラカードを持って出てくるのを期待している。というかそれくらいしか納得ができるオチがないじゃないか。そして絶対カメラが回っていないところで跡が残らないようにぶん殴ってやる。
だがそんな気配もなく、この付近には俺とこの少女しか存在しない。
それに俺は見てしまった。少女の胸に当てたプレートがそのまま溶けるように少女に吸収されていったところを。
あれはどう説明する。止まっていた脈が動き出した理由は。そもそもあれだけ強い光や大きな破裂音がしたのに周りの住民はなぜ起きてこない。今の俺にはわからないことだらけで今にもパンクしそうだった。
そういえば、とふと思い出す。こいつ俺をパパと呼んだな。それは何故だ? 俺は質問の趣向を変えることにした。
「なぁ、パパってなんだ?」
別に俺がパパという単語の意味を知らない訳ではない。だがわざとそう質問した。
こいつとの会話で唯一こちらに通じたのがその単語だったのだ。だったらその意味を問えば何かしらの情報が得られるかもしれない。
「パパは……パパ。貴方のこと」
駄目だ、やっぱり通じてない。
もしかしてパパという単語に特別な意味があるのではないかと期待したが結局のところ意味を問われればそう答えるか。もっと直接質問しなくては駄目らしい。
「なんで俺がパパなんだ?」
「貴方がパパだから?」
埒が明かないとはこのことである。あまりの会話の通じなさに焦燥と苛立ちが限界を超えようとしたとき、さっき思ったことをふと思い出す。
本当に卵から今生まれたみたいじゃないか。先程俺はそう感じた。もしそれが正しいのだとしたら……。
「……お前は人間か?」
今までしなかった質問だった。当たり前すぎて省いていたものだ。だがここまで来たらどこまでもあり得ない選択肢も考えていかなければならない。
少女は俺の質問に初めてまともに返答した。
「ううん、違う。人間じゃない、らしい」
半ば予想通りというか出来れば返ってきてほしくはなかった答えだった。
人間じゃない。そう答えた少女は一切表情を変えないまま今まで通りこちらをじっと見つめている。最後にもう一歩、踏み込んだ質問をする。
「じゃあ、お前は何だ?」
自らを人間じゃないと言ったそれは今までと変わらない口調で言う。
「私はアンドロイド。パパのアンドロイドだよ」
アンドロイド。それはそう答えた。何も恥じることがないかのような澄んだ瞳をこちらへ向け、そして俺の上着の袖をそっと掴む。
アンドロイドだと? それはあれか。よく映画とかに出てくる人型のロボットのことか。
現実でもある程度の再現度のロボットは存在するがここまで精巧なアンドロイドなんて聞いたことが無い。というかこんなどっからどう見ても人間にしか見えないロボットがあってたまるか。
それに俺のってなんだ。当然だが俺はこんな奇怪なものを作った覚えも貰った覚えもないぞ。
「どうしたの? パパ。具合悪い?」
俺の苦悶の表情を感じ取ったのか、表情は変わらないが心配した様子を見せる自称アンドロイド。あまりに馬鹿げた話だが一概に否定することは出来なかった。
さっき見た光景が頭から離れない。壁やガラスに反射しない光。鋼のようなプレートがドロドロに溶けていった光景。夜中とはいえこの騒ぎに誰も駆けつけないこと。どれをとっても俺の常識では処理しきれない。
だったらSF映画のように未知の技術で作られたアンドロイドが目の前にいると言われた方がまだ納得出来る。いや出来ないけども。
兎にも角にもここはなんとか話を合わせるしかないか。俺は半ば自棄気味にとりあえず行き着くところまで行ってみることにした。
「お前がアンドロイドなのはわかった。けどなんで俺がパパと呼ばれなきゃならないのかがわからねぇな」
俺の言葉に反応するようにアンドロイドは口を開く。
「目が覚めたら貴方が居た。だからパパ」
そんな馬鹿な話があるかと言いかけ、ふと思い出す。
そういえば鳥類には生まれて初めて見るものを親だと認識する種類がいるんだったか。所謂刷り込みというやつだ。まさかそれなのか?
別にこいつが鳥だとかいうつもりはないが、あの場面、奇しくも卵から生まれたようにも見えた。
だんだんと嫌な方向で辻褄があってくる。俺がこいつを起動したから俺が親だと設定された。そう考えるのが自然なのだろうか。
納得はしたくない。だがそう捉えた方がストンと胸に落ちるのだ。
だが、まだだ。まだ俺はこの自体を素直に受け止める気はない。あと一歩、俺を納得させる事象が存在しないと。そして俺はそれが無い方に賭ける。
「なぁ、お前がアンドロイドであるっていう証拠はあるのか?」
自身の証明をできるのか、俺はそう聞いた。何かあるだろう、自分が人間ではない証拠が。
少女は徐に首をかしげる。俺の言葉を理解出来ていないのか。その様子を見て俺はこう付け加えた。
「少し手を出してくれ」
俺の言うとおりに少女は何の疑念も抱かずにすっと腕をこちらに差し出してきた。
あまりにも普通の人間のような見た目をしていたため勝手にそうだと思い込んでしまっていたが、さっき確認した時と同じように脈が今も動いていないのならばまた一つ証拠が揃うことになる。
まどろっこしいが一つ一つ証拠を増やしていかなければならない。しかしまさか俺がこの少女の体をいじくりまわし人間ではないことを確認するわけにもいくまい。
そんなことして誰かに見られたら人間であるがどうかにかかわらずムショおくりだぞ。
俺は少女の手首をそっと掴み脈を確認する。しかし案の定少女の脈は鼓動を打っていなかった。また一つ、信じられない事実が判明してしまった。
俺は頭を軽く抱える。関われば関わるほどにどこまでも、どこまでも泥沼にはまっていくようで、正直頭が痛い。
もう認めるしかないのか。こいつが人間でないことを。
「……それで、お前はどうするんだ」
一刻も早くこの状況を終わらせたい俺は半ば投げやり気味に聞いてしまう。
「パパについていく……?」
さも当然のように答える少女。ついてくるだって? 冗談じゃないぞ、こんなの連れて歩けるわけないだろ。俺は少女にその旨を説明する。これで納得してくれればいいのだが。
「あのな、見ず知らずのアンドロイドを連れていけるわけないだろ。アンドロイドならお前を作ったやつがいるだろ? そいつを探してみろよ」
あくまでこの少女がアンドロイドである前提で話を進めるのはそうしないとこいつが納得しなさそうだったからだ。
ここまでの会話で気付いたがこいつは俺の発言の意図をくみ取ることをせずそのまま受け取る趣向がある様で、回りくどい言い方は止めにしたほうが良い。
我ながら薄情だがこれ以上こいつの面倒を見る義理もないのでこれ以上面倒事に巻き込まれる前にさっさと警察にでも引き渡したほうが良いか。
人間じゃないという以上こいつを作ったやつがいるわけで、警察が関われば容易に探し出せるだろう。
もしかしたらこのやり取りを陰ながら見ている製作者が出てきてネタ晴らしをするかもしれないし。そしたらグーで一発入れてやろう。
とにかくいつまでもここにいても仕方ないだろう。面倒事は他人に任せて俺は早く帰って寝て今日のことを忘れてしまいたい。こいつを連れて適当に迷子だとか言って交番にでも置いてくか。
ふと考え事から戻り少女の方を見ると、少女はさっきと変わらぬ表情のままずっとこちらを忠犬のように見つめ続けていた。
ずっとそうしていたのか? 何を考えているのか全くわからない。もし本当にアンドロイドなのだとしたら何も考えていない静止状態とでもいうのだろうか。俺はそういう方面に明るくないためよくわからないが。
「とりあえず交番に行くぞ。お前を作ったやつを探してもらう」
「……? 私のパパはパパだよ?」
半ばスルー気味に聞き流す。どうしてこんなことになったんだか。最初に妙な卵を見つけたときに引き返せばよかったのに、どうして触れてしまったのだろうか。十数分前の出来事なのに自分が信じられない。
卵……といえば、俺たちの周りにはさっきの卵の殻が今も散在している。もうすっかり光が失われているがやたら大きいためこのままにしておくわけにもいかないか。だが一人で運べるような大きさではないぞ。こいつに運ばせるのも気が引けるし……。
「なぁ、これどうにか出来ないか?」
散らばった欠片を指さしながらダメ元で聞いてみる。すると少女はこくりと頷きながらゆらゆらと大きな殻に近付き、ゆっくりとしゃがんでそれに触れ目を瞑る。
まさか本当に手で運ぶつもりなのかと様子を見ていると、突如少女が触れている部分から殻が強く光り出した。
「……!」
だが何度か同じような光景を目にしているため流石にもう驚かない。そう決めていたのだが……。
「光が……」
光が他の殻にも移っていく。瞬く間に全ての殻が強い光を放ち、そして液体になったかのように少女の周りを取り囲む。
その光景はあまりにも現実離れし過ぎて、俺はその間息をするのも忘れたかのように硬直していた。
もはや殻の原型はなく、少女の周りを旋回する光はやがて少女の背中に集中し翼のような形を作る。その姿はまるで物語に出てくる天使のようだった。
……綺麗だ……。
そんな子供のような感想しか出てこない。それだけその光景に圧倒されていたということか。
純粋無垢な天使のようにその少女は光の翼に包まれ、そしてその翼はさっきのプレートのように少女の中へと吸収されていった。
少女は目を閉じたままこちらを向き、目を覚ますかのように目を開ける。その瞳はさっきまでの黒い瞳ではなく、海のように澄んだ蒼色をしていた。
「片付け、終わったよ」
彼女はそう告げる。今の光景は彼女にとってはただ殻を片付けただけだったのか。あまりに非現実的な光景にまるで映画館でSFものの映画を見ているようだった。
しかしこれは映画でも夢でもなく現実だ。それは俺がさっきから抓っている腕の痛みから証明されている。つまり今起きたことはすべて現実だということだ。
少女はさっきと変わらず指示を待つようにこちらをじっと見つめている。俺は混乱しきって疲弊した頭を掻きむしり自らの最後の牙城を崩す。
「あーもう、わかったわかった。俺の負けだ。お前は人間じゃなくてアンドロイド。そして俺がお前の主人として登録された。それでいいんだろ?」
こくりと頷く少女。あんなのを見せられたらもう警察なんか行く気になれない。警察よりももっと適任がいる。
あいつに協力を仰ぐのは極力避けたかったがこうなってしまっては四の五の言ってられない。下手に警察に行ってテレビのニュースなんかに取り上げられた日には目も当てられん。
とにかく今日のところはこいつを連れて帰って明日冷静になった頭で考えるとしよう。少なくとも今の頭で行動起こすよりはましだろう。
「仕方ねぇ一旦帰るか……。おいお前……ってそうか、名前がわからねぇんだったか」
家に帰ると告げようとすると少女の名前がわからないことを思い出す。少女もこくりと頷いて俺の反応を待っているようだった。こういうのはあまり得意じゃないんだけどな……。
「あー……じゃあ、お前の名前を決めるか。そうだな……」
彼女は自分をアンドロイドだといった。だとしたら安直だが一番最初に思い付いた名前にするとしよう。
「お前の名前は……"マキナ"。マキナでいいか?」
"machina"。ラテン語で機械という意味がある。少女の見た目をしているのに機械と名付けるのは悪趣味かもしれないが、俺の最後の抵抗だ。
あまりにも人間にそっくりすぎると人間ではないことを忘れてしまいかねない。だからこそマキナ。幸い日本人の名前としても違和感がない。
少女はマキナという名前を告げると変わらずこくりと頷く。気に入ったのか気に入らないのかわからねぇな。その判断すらこいつには無いのだろうか。嬉しいとか悲しいとか、そういった感情はあるのだろうか。未だにわからないことだらけだ。
「じゃあマキナ。とりあえず帰るぞ」
「わかった、パパ」
忘れていた。マキナは俺のことをパパと呼ぶ。だがそれは問題がある。
俺とマキナの見た目年齢の差は当然親子ほどあるわけじゃない。
俺と二人の時はまだいいが、周りに誰か他人がいるときにパパなんて呼ばれて見ろ。あらぬ噂が瞬く間に立ち始めるぞ。これは訂正せねばなるまい。
「俺の名前は新。白羽新だ。これからは白羽か新のどっちかで呼んでくれ」
「アラタ……。わかった」
マキナは素直に答える。最初からちゃんと名前を言えばよかった。少なくとも俺はまだパパなんて呼ばれる年齢じゃない。
俺が歩き出すとマキナも同じように歩みを進め始める。互いの歩幅も合わない不器用な歩き方だった。