第91話 その熱の理由は
ちょっとしたドタバタの後、俺たちはようやくお祭り会場に足を踏み入れた。
結界が張られているわけじゃなかろうに、簡易的なゲートを潜った瞬間、様々な匂いが俺たちの鼻腔を刺激した。しかしそれは不快な匂いなどではなく、焼きそばやたこ焼き、綿あめにポップコーンなど、空腹感を掻き立てるような料理によるものだった。
溢れてくる唾を飲み込み、一旦吐息を零す。
「お祭りなんて久しぶりだけど、記憶の中のお祭りとあんまり変わらないな」
「形式美というものね。どんな時代でもお祭りと言えばこういうもの、という固定観念が長らく受け継がれているのでしょう……はふっ、はふっ」
「……なんか凄くためになること言ってますけど、いつのまにたこ焼きを買ったんですか?」
歴史の先生のような言葉を発してきた日比野さんの手の中には、プラスチック製の入れ物が。そこにはアツアツのたこ焼きが詰め込まれており、今まさに彼女はその出来立てを口に頬張っているところだった。
上品に口元を隠しながらたこ焼きを咀嚼し飲み込んだ日比野さんは、出店で商品と一緒に渡されたのであろうおしぼりで口元を軽く吹きつつ、
「運転している間に小腹が空いちゃって。すぐそこで買ってきてしまったわ」
「なるほど。確かに運転ってエネルギーをかなり消費しそうですよね」
「あなたも運転するようになったら分かるわよ。特に糖分が欲しくなるから」
いつかは天王洲三姉妹のドライバーをやるかもしれないし、と言って微笑む日比野さん。そこまでの未来設計はしていなかったので、少し虚を突かれてしまった。
俺はいつまで彼女たちと一緒にいられるのだろう。少なくとも高校生の間は一緒にいると思うけど、その後は? 大学に進学しても一緒にいられるのか? 親父と妹がもし日本に帰ってきたら? 俺はどっちを優先するんだ?
今まで考えてこなかった――いや、無意識のうちに目を逸らしていた現実が頭の中を支配する。
凡人だから、目先のことばかり考えるようになっていた。
でも、彼女たちとずっと一緒にいるためには、もっと先のことも考えるようにしないと――
「こーら」
「あたっ」
軽い痛みが思考の靄を消し飛ばした。
そしてすぐに気づく。彼女が俺の額をその美しい指で弾いたのだと。
「せっかくのお祭りに難しいこと考えないの」
「す、すみません」
「何度も言うけれど、あなたもみんなと同じ学生なんだから。お祭りをちゃんと楽しまないと」
「……分かってはいるんですけどね」
「あなたって意外と頭が固いわよねぇ……うーん……あ、それじゃあ言い方を変えましょう」
日比野さんは軽く咳払いし、そして聖母のような笑みをたたえる。
「あなたが楽しんでいないと、三姉妹も楽しめない。だからあなたは三人が心からお祭りを楽しめるように、まずは自分がお祭りを楽しむようにしなさい?」
「っ……」
その発想はなかった。
でも、確かに、彼女の言う通りだ。
同じグループの中に楽しくなさそうなヤツがいる時点で、その場にいる全員が問答無用で全力で楽しめなくなってしまう。それは彼女達のサポーターである俺としては絶対に避けたい事態だ。
……一夜さんが尊敬するのも分かる。この人は誰よりも子供心というものを理解しているんだ。
「ありがとうございます。気が楽になりました」
「うむ。くるしゅうない。もうお祭りを楽しめるわね?」
「はいっ」
「なら、ちょうどあそこに二葉ちゃんがいるし、一緒に出店でも回りなさいな」
「分かりました。ありがとうございます」
日比野さんに送り出されるがまま、二葉の方へと駆け寄る俺。
「青春を楽しめよ、青少年。大人ぶるなんて十年早いんだから」
だから、彼女がぽつりと零したのであろう呟きが俺の耳に届くことは決してなかった。
日比野さんに励まされ、二葉と一緒にお祭りを楽しむべく移動した俺。
そんな俺を待っていたのは――
「次はどれにしよう……」
「お、お嬢ちゃん。射的上手だね……」
――鉄砲両手に出店を荒らす二葉の姿だった。
あまりにも予想外――いや、ある意味では想定内か――な辞退を発生させている二葉に苦笑しつつ、そっと声をかける。
「何してるんだ?」
「あ、理来。射的を楽しんでた」
「それは見たら分かるけど……何で店員さんが涙目になってるんだ……?」
「分からない。私が十個目の商品を撃ち落とした辺りからずっと泣いてる」
「あー……」
彼女の足元を見ると、大きな紙袋が置かれている。その中には大小さまざまな商品が所狭しと詰め込まれていた。
あのおじさんの反応を見るに、大方、カモかと思っていた女の子に商品を取られまくって嘆いている、といったところか。二葉がこんなに射的が上手だなんてぱっと見じゃ分からないもんな。でもな、店主のおじさん。この子は日本有数のプロゲーマーなんだ。特に射撃とか銃撃戦のFPSゲーは得意中の得意分野なんだよ。
店主のおじさんの心境など察する余地もない二葉は銃口に新しいコルクの弾を詰めながら、
「理来は何か欲しいものある? 今なら私がゲットしてあげる」
「欲しいものか……」
「(オイー! そこの彼氏! もうやめさせてくれー! このままじゃ商売あがったりだ!)」
俺にしか聞こえない小声で店主のおじさんが悲しみをお伝えしてきていた。彼の言いたいことは分かるし俺もそろそろやめさせた方がいいかなと思ってはいるけど……。
(二葉のかっこいいところ、ちょっと見たいよなあ)」
俺は二葉がゲームで活躍する姿を見るのが好きだ。
なのでせめて一目ぐらいは彼女が射的で格好良く商品を撃ち落とす姿を見ておきたい。
「ごめん、おじさん。あと一回だけ我慢してくれ」
「ぎゃああああああああ!」
「? どうしたの?」
「こっちの話だ」
いきなり絶叫したおじさんに困惑する二葉。俺は軽くかぶりを振りつつ、商品棚の方を指で指し示す。
「あの一番上にあるストラップが欲しいな。ちょっと小さいけど、お願いできるか?」
「任せて」
迷うことのない即答。その格好良さに思わず惚れてしまいそうだ。
「…………」
二葉は射的台の上に寄りかかり、銃口をセッティングする。その際、彼女の豊満な胸が身体と台に押し潰されるように形を変えた。そのあまりのいやらしさに俺はつい目を逸らしてしまう。
「…………今」
瞬間。
空気が割れる音と共に、銃口からコルクの弾が発射された。目で追う事すら難しい速度のそれは宙を切り裂きながら真っ直ぐと突き進み――俺の指定したストラップに直撃。そのまま商品棚からゆっくりと落下した。
「し、商品ゲット、おめでとう……」
憔悴しきった声で二葉に勝算を送りつつ、おじさんはストラップをこちらに手渡してくる。俺はそれを受け取り、二葉の足元にある紙袋の中に入れ――
「じゃあ、つぎ」
「もう勘弁してくれえええええええええ!!!!」
――二葉と荷物を抱え、出店からとんずらするのだった。
「まだまだ撃ち落とせたのに」
「あれ以上は他の人が楽しめなくなっちまうから」
「でもまだ私の弾はあった」
「それはまあ……ほら、一人で取れる商品には制限があるものだからさ」
「むぅ……それなら仕方ない」
結構無理のありそうな俺の言い分に、渋々といった様子で納得する二葉。店側が可哀そうなのはそうだけど、もうひとつの理由としては荷物が増えすぎてヤバくなるから程々にしておいてほしいところもある。むしろ俺としてはこっちの方が本命だったりする。
二葉が手に入れた商品の入った紙袋を代わりに持ちつつ、二人で道を歩いていく。一夜さんたちはいったいどこにいるんだろうと思って辺りを見渡すと――
『ねぇ一夜ちゃん。私と型抜きで勝負しない?』
『勝負って……普通に遊ぶんじゃダメなんですか?』
『面白いからに決まっているじゃない。せっかくだし何か賭けましょうよ』
『ダメな大人の典型例……いいですけど、なにを賭けるんですか?』
『そうねぇ……じゃあ、昨日の夜にこっそり盗撮した加賀谷くんの寝顔写真とかどうかしら?』
『何をしているんですか先生! 早く勝負しますよ! 絶対に負けませんからッッッ!!!』
『わたしが言うのもなんだけれど、あなた最近本当に自分に正直になったわよね』
型抜きの出店で子供みたいなやり取りをしているピアニストコンビの姿があった。お祭りを楽しんでいるようで何よりだけど、俺の寝顔写真が勝手に報酬にされているのだけはいただけない。後でスマホを回収して削除しておかなくては。
仲睦まじい先生と生徒の姿に苦笑しつつ、他の出店に視線を移す。
『アミアミ、焼きそば買いすぎやない?』
『これぐらい全然だよー。まだ3パックは食べられるね……!』
『また後で泣きながら減量する羽目になるっちゃないと?』
『ぐっ……そ、それは……だ、大丈夫! 体重の維持はアスリートの得意分野だから!』
『ふぅん……?』
『わ、分かったよ、もう……残り1パックにしとく……お腹が出てる姿とか、センパイにはあんまり見られたくないし……ごにょごにょ』
『何回も裸ば見られとるんに?』
『そ、それとこれとは話が別だよね!?』
焼きそばの出店の前で後輩コンビが漫才を繰り広げていた。話の内容からして、どうやら明日以降は彩三の食事の量を制限しないといけないみたいだ。今日は無礼講だから大目に見るけどな。
同行者たちの姿を見失わないように気を付けつつ、隣を歩く二葉に声をかける。
「他にやりたいこととかあるか?」
「お腹空いたから、何か食べたい」
「お、いいな。俺もまだ何も食ってないから賛成だ」
ずっと美味しそうな匂いに包まれているし、実は密かに腹の虫も鳴っている。こんなところで食事を我慢する理由なんてないはずだ。
俺は周囲を見渡し、良さそうな出店を探す。
「あれはどうだ? 牛串が売ってるみたいだぞ」
「牛串……美味しそう」
「じゃあ買ってくるよ」
「ううん、一緒に行く」
でも――と言おうとしたところで、迷子になる可能性が頭をよぎった。
「そうか。じゃあ一緒に行こうぜ」
「……うん」
二葉の小さな返事が聞こえてきた、その直後。
紙袋を持っていない、空いている方の手が柔らかな感触に包まれた。
思わずそちらを見ると、二葉の小さな手が俺の手を優しく包み込んでいた。
もっと分かりやすく言うなら、二葉が俺の手を握っていた。
「ふ、二葉?」
「こうすれば、はぐれない」
「そ、それはそうだけど……」
「理来は私と手を繋ぐの、嫌?」
「嫌なはずないです」
動揺のあまり敬語になってしまった。二葉のこのおねだりの仕方にはどうにも慣れない。だって可愛すぎるんだもんよ。
二葉の手の感触に思考が独占されそうになりつつも、最後の理性で意識を維持しつつ、牛串の出店へと向かう。
「牛串を二つください」
「あー、ごめんねえ。ちょうど今売れちまって、残り一本しかないんだよ」
「え、そうなんですか?」
お祭りが終わるにはまだ早いというのに。この後に控えている花火を見ながら牛串を食べたい層もいるはずなんだけど……でもまあ、この人数ならそういうこともありはするか。
俺は二葉の方を横目で見つつ、
「どうする? とりあえず一本だけ買うか?」
「うん」
「分かった。じゃあ牛串を一本ください」
「はいよ。まいどあり!」
手際よく完成された牛串を受け取り、二葉を連れて道の端の方へと移動する。
「二葉が食べていいぞ。俺は後で違うの買うから」
「一緒に食べよ?」
「でも一本しかないし……」
「半分ずつ食べればいい。それに、少しずつなら、他の料理も楽しめる」
「一理あるな」
それに、一人分の料理をたくさん食べて満腹になる訳にもいかないしな。
「じゃあ先に食べてくれ」
「うん」
髪が牛串につかないように手で避けつつ、牛肉に歯を立てる二葉。
「もぐもぐ……ん、美味しい」
「そりゃよかった」
「次は理来の番。……はい、あーん」
「っ」
俺に牛串を食べさせようとしてくる二葉。彼女は俺に料理を食べさせるのが好きなので、可能性のひとつとして予想はしていたけど……ううむ、どうするべきか。
でも、今の俺は二葉の手と紙袋で両手が塞がっている。この状態では牛串を自らの手で食べることはできない。
仕方がない、か。
「あ、あーん……あむっ」
「どう?」
「……うん、美味しいよ。ちょうどいい味付けだな」
「フフッ。理来、口元にタレがついてる」
「え、マジ?」
「(こくり)。拭いてあげるね」
二葉は巾着の中からハンカチを取り出すと、俺の口元をさっと拭いた。
「これで大丈夫」
「ありがとな。流石に口元が汚れたまま道を歩くのは恥ずかしかったし、助かったぜ」
「子供っぽいって思われるかも」
「この歳になって子ども扱いされるのは避けたいなあ」
冗談交じりに言うと、二葉は小さく噴き出した。
表情の変化に乏しく、周りから鉄面皮だと言われていた二葉が、普通の女の子みたいに笑っている。
自意識過剰かもしれないけど、二葉が自分のこういう油断した姿を他の人に見せるのを俺は目撃したことがない。
俺だけが、この二葉を知っている。
そう思うと、ついつい胸の奥が熱を覚えてしまう。
「理来?」
「ああ、ごめん。笑った顔も可愛いなって」
「っ……恥ずかしい」
口元を隠しながら顔を逸らす二葉。そういうところも可愛いよと言って追撃したら、彼女の顔が耳の先まで真っ赤に染まった。
「理来は、褒め上手……嬉しい……でも、恥ずかしい……」
感情の整理が追いついていないのか、二葉は忙しなく目を泳がせていた。
そんな彼女の顔を頭の中に永久保存しつつ、俺は軽く背伸びする。
「そろそろ行こうか。みんなと合流しないと」
「うん」
食べ終わった牛串のゴミを近くのごみ箱に捨て、道に向かって歩き出そうとした――まさにその瞬間。
「きゃっ」
「二葉!」
急に勢いを増した人混みに二葉が突き飛ばされた。
俺は慌てて彼女を抱きとめ、道の端へとすぐさま戻る。
「大丈夫か?」
「う、うん。理来が支えてくれたから……」
「っ。す、すまん」
慌てて彼女から身体を離す。咄嗟のことだったとはいえ、同級生の女の子を力強く抱きしめてしまった。浴衣越しでも分かる彼女の身体の柔らかさが、未だに感触として残っている。
少々気まずさを覚えつつも、俺は疑問の声を上げる。
「にしても、どうしていきなりみんな急ぎ始めたんだ?」
「多分、花火の見える場所に移動してるんだと思う。そろそろ時間だから」
そう言って、二葉は俺にスマホの画面を見せてくる。確かに花火が上がる時間が近づいてきていた。
「うーん、困ったな。この人混みに飛び込むのは危ないし……道からは外れるけど、ちょっと遠回りするか」
「一姉たちとの集合場所を決めておく?」
「そうだな」
どこがいいかな――そんなことを考え始めたタイミングで二葉のスマホが鳴った。
「一姉から電話」
「タイミングいいな」
二葉は通話ボタンを押し、スピーカー状態で通話をつなげた。
『二葉! あなた今、理来と一緒にいる?』
「うん」
「一緒にいますよ」
『よかった。こっちは先生と彩三、福澤さんと一緒にいるわ』
「あ、みんなそっちにいるんですね」
よかった。全員がはぐれていたら合流に手間取るところだった。
「どこかに集合したいんですけど、いいところとか知りませんか?」
『そうね……出店が並んでいる道を奥まで進んだところに小さな神社があるから、そこで集合にしましょうか』
「神社ですね……分かりました。すぐに行きます」
『あまり急ぎ過ぎなくていいわよ。この人混みだもの、転んだりしたら危ないわ』
「分かりました」
「気を付ける」
集合場所が決まったところで、二葉は通話を切った。
「さて、それじゃあ向かうとするか」
「うん。……あっ」
「どうした?」
「えっと……紐、切れちゃった」
二葉の視線を追うことで、俺は彼女の言葉の意味を理解した。
彼女が穿いている下駄、その鼻緒が根元からぶっつりと切れてしまっていた。おそらく、さっき突き飛ばされた際に千切れてしまったんだろう。
「あー……これじゃあ応急処置も難しそうだな」
「……実は、足もちょっと捻ってる」
「っ、大丈夫か!?」
「うん。ちょっと痛いだけ。軽傷」
足首が腫れている様子はないし、彼女の言う通り、本当に軽傷なのだろう。
でも、下駄は壊れて足も捻っているのなら、彼女だけの力で歩くのはかなり難しいはずだ。
となると、俺がやるべきなのは……
「俺が君を背負うから、一緒に神社を目指そう」
「え? で、でも、それじゃ理来に迷惑が……」
「迷惑なんかじゃないさ。むしろ、サポーターとしては当たり前の仕事だよ」
天王洲三姉妹に快適な生活を送ってもらう。それが俺の仕事なのだから。
「だから俺を頼ってくれ。な?」
「……分かった。じゃあ、お願いします」
「おう。任された」
脱げてしまうおそれがあるので、一旦二葉には下駄を脱いでもらう。脱いだ下駄は汚れを軽く落とした後、先ほど射的の出店で貰った紙袋の中に入れた。汚れが気になるけど、今は気にしても仕方がない。
紙袋を落とさないように気を付けつつ、俺は二葉に背を向けながら腰を落とす。
「ほら、乗っていいぞ」
「お、お邪魔します……」
「あはは。誰かの家に上がるんじゃないんだから」
「そ、それは分かってる。でも、初めてだから、勝手がわからない」
「何も言わずに乗ればいいんだよ」
変なところで礼儀正しい二葉に思わず苦笑してしまう。
「じゃ、じゃあ……よいしょ」
俺の首元に腕を回し、そのまま背中に乗っかる二葉。重さを感じたところで俺は立ち上がり、彼女をおんぶする形で姿勢を維持する。
「大丈夫? 重くない?」
「全く。むしろ紙袋の方が重いくらいだよ」
もちろん紙袋の方が軽いのだけど、これはあくまでも彼女を心配させないための冗談である。でもまあ、そもそも二葉はそんなに重くないから、ちっとも辛くないのは事実なのだけど。
むしろ、俺が気になるのは重さなんかじゃなくて――
(背中に胸が押し付けられてて落ち着かねえ……)
三姉妹の中でも最大級、巨乳と言うか爆乳に片足を突っ込んでいる彼女の胸部が、俺の背中に押し付けられている。非常事態に何を考えているんだと怒られてしまうかもしれないけど、俺だって年頃の男だ。意識するなという方が無理な話である。
でも、そんな態度を表に出す訳にはいかないので、俺は平静を装いつつ、出店の裏――道から少し外れた茂みの中を歩き始めた。
「落ちないようにしっかり捕まっててくれよ」
「うん、頑張る」
「っ……(ぼ、煩悩退散ーッ!)」
落下の可能性を意識したせいか、二葉の腕に力が入るのが分かった。……そのせいで胸がさらに強く押し付けられたのだけど、あえて考えないようにした。
★★★
「乗り心地、悪くないか? もっと揺れを抑えてほしいとかあったら言ってくれ」
「ううん。大丈夫」
「ならよかった」
自分を背負って草むらの中を進む理来。二葉を安心させるためか、時折会話を織り交ぜつつ、彼は目的地を目指していく。
そんな彼の横顔を背中越しに見つめながら、二葉は一人考える。
(……また、理来に助けられちゃった)
加賀谷理来。大事な大事な同級生。
天王洲二葉という少女に、学校に行く理由を与えてくれたクラスメイト。
そんな彼のことを、二葉は好ましく想っている。
(理来のことは好き、だけど……それは、どういう『好き』なんだろう)
この旅行中、ずっと考えていた。
自分はこの理来という少年を、どういう風に好いているのだろう――と。
(私は、理来が好き)
学校で唯一、対等な距離感で話しかけてくれる存在だから。
困っている時にいつも助けてくれるから。
どんな時でも二葉を楽しませようとしてくれるから。
一緒にいると楽しすぎて時間忘れてしまうから。
『好き』の理由を挙げていけばキリがない。それほどまでに、加賀谷理来という存在は二葉にとって大きく大切なものになっている。
(……でも、私は家族のことも好き)
一姉のことが好きだ。大切な姉だから。
彩三のことが好きだ。大切な妹だから。
お父さんのことはもちろん好きだし、お母さんのことだって大好きだ。
理来のことも当然好き――だけど、他の人に向ける『好き』とは、少し違う気がする。
(理来のことを考えると、胸がぽかぽかする)
退屈なだけだった学校に行く理由をくれた。
ゲームを誰かと一緒にプレイすることの楽しさを教えてくれた。
ご飯を食べることの大切さを教えてくれた。
食卓を誰かと囲うことの温かさを教えてくれた。
(理来がいなかったら、私の高校生活は灰色なままだった)
理来がいてくれたからこそ、二葉は今、こんなにも楽しい生活を送れている。
天王洲二葉は、加賀谷理来のことを大切な家族だと思っている。
……否、そう思っていたかった。
二葉が理来に向けている『好き』は、家族に向けるものとは少し違っている。
――理来が私以外の女の子と話していると、胸の奥がズキズキ痛む。
――理来が私以外の女の子を見ていると、頭の中がもやもや曇る。
――理来に助けてもらった時、どうしようもなく嬉しくなる。
――理来とくっついている時、心臓が爆発しそうなほどに高鳴ってしまう。
(理来のこと、独り占めしたいって思っちゃう)
誰にも渡したくない、大切な存在。
理来には、自分だけを見ていて欲しい。
理来とずっとずっと一緒にいたい。
理来と一緒に――幸せな人生を歩んでいきたい。
(――――、あ)
二葉の頭の中で、とある言葉が想起された。
それは、今まさに彼女の目の前にいる少年が、照れくさそうに口にした言葉だった。
『「この人と一緒に幸せな人生を作っていきたい」って思えること。それが、誰かを好きになることなんじゃないかな』
胸の奥にぽっかりと空いていた、小さな穴。
そこにストンと、何かがハマる音がした。
(ああ、そっか……)
ずっと不思議に思っていた。
どうしてなんだろうって考えていた。
分からないことばっかりで、ずっともやもやしていて……だけど、それがようやく形になった気がした。
(私……理来に、恋してるんだ)
誰よりも優しくて、誰よりも親切な同級生。
誰よりも近くて、誰にも渡したくない男の子。
そんな彼への恋心を――天王洲二葉は誰よりも遅く自覚したのだった。




