第7話 寝る前の挨拶、生意気な後輩
一夜さんのピアノ演奏を聴いた(完全に事故だったけど)後、俺は彼女を連れて家の中を歩き回っていた。
「ど、どうですか? 言われた通り、ホコリ一つ残しませんでしたよ!」
「……あなた、執事のバイトとかやっていたりする?」
「へ? いや、バイトなんてしたことないですけど」
「そう……」
綺麗好きだから、ネットとか動画サイトで掃除の裏技などを調べて実践しているだけに過ぎない。この広さの家の掃除が三時間で終わったのも、頭に入れていた情報が運よく役に立っただけだしな。
俺の横を歩きながら、階段の手すりを指でツーッとなぞる一夜さん。漫画に出てくる姑みたいな真似をする人、現実に本当にいるんだな……。
「ここまでの仕事をやられてしまったら、認めないわけにはいかないわ」
「と、ということは……?」
「今日の宿泊を認めましょう。ただし、寝る際はリビングのソファを使うこと。部屋は余っているけれど、それはそれ、これはこれだから。いいわね?」
「ありがとうございます、一夜さん!」
「っ。あ、あなた、なに勝手に名前で呼んでるのよ」
見ると、一夜さんの顔は真っ赤に染まっていた。やべ、これは相当怒っている。
「あ、えっと、苗字だと二葉と混ざって分かりにくいかなって……」
事実、二葉が言っていたことだ。だから彼女のことを名前呼びし始めたんだけど、今回もそんな意識で一夜さんのことを呼んでしまった。
くそ、せっかく宿泊の権利を手に入れたのに、こんなことで彼女を怒らせてしまうとは。俺って本当に要領が悪いな……!?
一夜さんは何故か俺から視線を逸らしながら、
「……別に、好きに呼んでいいわよ」
「へ?」
「だから、好きに呼んでいいって言ったの! この家には天王洲が三人いるし、名前で呼ぶのはそうおかしなことじゃないわ」
「よかった……じゃあ、一夜さんって呼ばせてもらうんで、俺のことも理来って呼んでください」
「え!? な、なんで私があなたのことを名前呼びしなくちゃいけないのよ」
「あ、やっぱりダメですかね。あはは」
「……ダメなんて誰も言ってないでしょ」
一夜さんは両手で長い髪をくしゃりと持ち上げながら、どこか気恥ずかしそうな顔で言う。
「……り、理来」
「はい、一夜さん」
「理来」
「一夜さん」
「り……って、なに恥ずかしいことやらせてるのよ!」
「す、すいません。つい」
危ない危ない。一夜さんの反応が面白くて、ついふざけてしまった。
誤魔化すように苦笑を返していると、一夜さんは盛大に溜息を吐いた。
「はぁぁ……なんだか今日は疲れたわ。私はもう寝るから、あなたもさっさと寝なさいね。シャワーも好きに使っていいから」
「ありがとうございます! ……って、そうだ」
「なによ。まだ何か聞きたいことがあるわけ?」
「泊めてもらうので、明日の朝ごはんとか作らせてもらおうかなって思ってるんですけど、何がいいですか?」
「……目玉焼き」
「分かりました! 美味しい目玉焼きを作りますね!」
「はいはい、もう好きにして……」
疲れた足取りで自室へと戻ろうとする一夜さん。だけど、俺はあと一つだけ彼女に対してやるべきことがあるので、慌てて呼び止めることにした。
「あ、一夜さん!」
「なに!? もう寝たいんだけど!?」
「おやすみなさい」
「っ」
これは、親父が定めた加賀谷家のルール。
誰かと一緒にいる時は、必ず挨拶を欠かさないこと。
ここは俺の家じゃないけど、ルールはルール。天才相手でも貫かねばならない。
一夜さんは驚いたように目を見開いた後、小さな溜息と共に俺とは逆向きに振り返ると――
「……おやすみなさい」
ちょっと恥ずかしそうに、言った。
★★★
ひとまずの寝床を与えられた俺だったが、深夜の三時を回っても全く寝付けずにいた。
「寝心地が悪いってわけじゃないんだけどなぁ」
一夜さんが使っていいと言ってくれたソファはとても満足のいくものだった。やや固めではあるが、身体をちょうどよく支えてくれる反発力。素材からしてとてつもなく高いものだと分かる。
シャワーも浴びて、身体はほかほか。どう考えても寝る準備はできている。
つまり、眠れないのは俺に原因があるのだけど……
「そりゃまあ、学校のアイドル的存在と一つ屋根の下にいりゃあな……」
学園で神の如き扱われ方をしている天才たち。
そんな彼女たちの家で、一応は客人として扱われているこの状況。いたって平凡な男子高校生である俺なんかにはあまりにも非日常すぎる。落ち着けるはずがない。
「明日は休みだけど、流石に人ン家で徹夜するわけにもいかないし……寝るぞー、無理してでも寝るぞー」
目を瞑り、夢の世界への扉を必死にノックする。頼む、早く寝てくれ俺の身体。火事に遭ったりネカフェで泊まったり豪邸を掃除したりで疲れているはずだろう……?
「うーん……うーん……羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……」
「寝る時に羊を数える人って本当にいるんだー」
「うわあっ!?」
暗闇をかき消す突然の声に、俺は慌てて起き上がる。
声のした方を見ると、そこにはジャージ姿の三女、彩三さんの姿があった。
「あはは。凄い起き方」
「ど、どうしてここに……?」
「どうしてって、あたしの家だからですけど」
「あーいや、そうじゃなくて……こんな夜遅くにどうしたんだろうって」
「あ、そゆこと」
彩三さんは相槌を打ちながら、俺の隣に腰を下ろす。
「筋トレしてシャワー浴びて、そのまま寝ようと思ってたんですけど、お腹空いちゃって。だからなにかつまめるものないかなーって見に来たんですよ」
「こんな時間に間食したら太るんじゃないか?」
「センパイ最悪ー。女の子に太るとか言っちゃダメなんですよー?」
「あ、ごめん」
「ま、別に気にしてないんで大丈夫です。あたしが太るとか、一番あり得ないし」
「そうやって油断してる人ほど太るんだよなあ……」
「む、信じてないですね? じゃあ見せてあげますよ。ほら、あたしのお腹。引き締まってるでしょ?」
「わあっ!?」
目の前でいきなり服をたくし上げる彩三さん。鍛え上げられた腹筋が露わとなるが、そんなことよりも、同年代の女の子のお腹を目の前で見せられたショックの方がデカくて全然嬉しくない。
「い、いきなり何してんの!? しまいなさい、もう! はしたないでしょ!?」
「お母さんかな?」
「と、年頃の男の子は、いきなりお腹とか見せられるとドキドキするもんなんです!」
「え、つまりセンパイはあたしに欲情してるってコト? あははー。センパイのエッチー」
きゃはは、と面白そうに笑う彩三さん。こ、この女……俺が童貞でそれっぽくあしらえないからって調子に乗りやがって……。
彩三さんは目尻に浮かんだ涙を指ですくいながら、
「はー、おもしろ。センパイっていじり甲斐ありますね」
「不本意な評価すぎる……」
ある意味、他の姉妹よりも天才っぽい性格してるなコイツ。あといい加減にお腹をしまってほしい。
恨みを込めて彼女のお腹を睨みつける――と、数秒後。
彼女のお腹から切なそうな音が鳴った。
「っ。あ、あはは、はずかしー。お腹鳴っちゃった」
「そういえば腹減ってるとか言ってたな。しょうがない。何か作ってあげるよ」
「え? ほんとですか? でもなー、栄養バランスとかいつも考えてるからなー」
「なーにが栄養バランスだ。食材冒涜スムージーばっかり食ってるやつが」
「スムージーは偉大なんですよ?」
「はいはい。いいからそこで座ってろ。俺が理想の夜食ってやつを作ってきてやるから」
「ふぅん……? じゃ、センパイのお手並み拝見ですね!」
ふふっ。いつまでも舐められてばかりの俺じゃない。
その調子に乗ったニヤケ顔を、驚きの色一色に染めてやるぜ!
【あとがき】
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まだまだ続きますので、引き続き本作をどうぞよろしくお願いします!