第70話 海を前にしたら誰でも
「ふぅ、やっと着いたわね」
自宅から車で約一時間程。
俺達はようやく天王洲家所有のプライベートビーチに到着していた。
大きく背伸びをする日比谷さんに、俺は車から荷物を降ろしながら声をかける。
「運転ありがとうございます」
「いやぁ、これぐらいどうってことないわ。でも、そこでちゃんとお礼が言えるあたり、君は本当にイイ子なのね!」
「お礼ぐらい当然ですよ。でも、やっぱり運転ができると便利ですよね……俺も高校卒業したら免許取ろうかなぁ」
「いいんじゃない? 免許はあるに越したことはないもの」
「もし免許を取れたら日比谷さんも乗せてあげますね」
「あら、素敵な提案ね。んー……わたし、君のこと結構気に入っちゃった。キスしてもいい?」
「もしもし警察ですか? 未成年への不同意わいせつ罪の現行犯逮捕を――」
「じ、冗談よ冗談! ちょっとからかっただけだから、だから先生の将来を蹴り飛ばそうとするのは止めてくれないかしら一夜ちゃん!?」
「次はありませんからね」
「今のはわたしが悪かったけど、流石に目がマジすぎない……?」
人って怒りが頂点に達すると恩師が相手でもあんなに冷たい目を向けられるもんなんだな。
日比谷さんが一夜さんに平謝りする傍ら、おろした荷物をロッジの中へと運んでいく。今回の旅行はとにかく遊ぶ――というわけではなく、三姉妹の日課である練習の時間もちゃんと設けられている。天才たるもの、いつだって鍛錬を怠ってはいけないかららしい。凡人としてはこういう時ぐらい羽を伸ばせばいいと思うんだけど、そうもいかないのが天才と呼ばれる人たちなのだろう。
二葉のゲーム機や彩三の健康器具、そして一夜さんの楽譜などが入った段ボールを粗方運び終えたところで、俺はロッジのリビングにあるソファの上に座り込んだ。
「ふぅ……流石に疲れたな……」
「お疲れ様。荷物運んでくれてありがとう」
「おう、二葉。これぐらいお安い御用だよ」
「本当は私達が運ぶべきだけど……思っていたよりも荷物が重くて」
「いいよいいよ。こういうのは適材適所だから」
そう強がってはみたけど、荷物をたくさん運んだので流石に少し筋肉が悲鳴を上げている。風呂の時間にはまだ早いし、自分でマッサージでもするか――と。
「??? 二葉さん? どうして俺の肩に手を当ててるんでございますか?」
「マッサージしてあげようかと思って」
「これからゲームの練習するんだろ? その前に手を疲れさせるのは良くないんじゃないか?」
「指の準備運動にもなるから。それとも、理来は私にマッサージされるの……イヤ?」
「イヤなはずないですよろしくお願いします」
こくん、と可愛らしく首を傾げる二葉特有のポーズ。俺はこの仕草に逆らえた試しがない。だって可愛すぎるんだもん。仕方ないよね。
ソファの背もたれに体重をかけ、肩回りを二葉に差し出す。
二葉は俺の肩を軽く数回叩いた後、ゆっくりと揉み解し始めた。
「んっ……結構、凝ってる……」
「家事で酷使してるからなぁ」
「理来は頑張り屋さん。いつも助かってる」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
流石は指使いの上手なプロゲーマーといったところか、二葉のマッサージははっきり言ってかなり気持ちが良かった。解してほしいところを絶妙な力加減で解してくれるし、細かいツボを的確に押してくれる。
「この前マッサージのフリーゲームでツボを勉強した。どう? 気持ちいい?」
「気持ちいい……二葉にはマッサージ師の才能もあるのかもなー……」
「ふふっ。そうかも。もっと、気持ちよくしてあげるね?」
今のちょっといやらしかったな、なんて思っていません。断じて。
二葉の細い指が凝っている箇所を手際よく解していく。あの天才美少女三姉妹の一人にマッサージをしてもらっているだなんてことを他の連中に知られでもしたら、俺は県庁の下で磔にされてしまうかもしれないが……今はこの特等席を堪能させてもらおうと思う。
「理来の身体、やっぱり大きい。頼りになる大きさ」
「抽象的すぎないか?」
「ふふっ、そうかも」
ああ、なんて癒される空間だろうか。
こんな時間がずっと続けばいいのに――
「海水浴の時間だーっ!!!!」
――と思っていた瞬間が俺にもありました。
ロッジの中に響き渡った突然の大声。
声のした方を見てみると、そこには私服姿のまま浮き輪とビーチボールを手にした彩三の姿があった。
「死ぬほどはしゃいだ格好で何してるんだ彩三。練習はどうした?」
「海を目の前にして練習なんてしてる場合じゃないですよセンパイ! 大海原があたし達を待っている!」
「全員の練習が終わってから海で遊ぶって話だったろ。せめて一夜さんと二葉が終わるのを待ってやれよ」
まだロッジの中に引きこもってから十五分と経ってないんだから。
「私は大丈夫。ゲームは海の上でもできるから」
「いやダメだよ? ゲーム機壊れちまうだろ」
「ふふっ、冗談。でも、私も海水浴が楽しみだから、練習はその後でいい」
「ほら! 二姉もこう言ってますよ!」
「じゃあ後は一夜さんだけか……」
三姉妹の中で最も厳格な彼女が練習をほっぽり出して海水浴を選ぶとはとても思えないけど……。
そんな事を考えていたら、彩三が俺の肩に優しく手を置いてきた。
「なんだよ」
「一姉なら問題ありません」
「ほう、その心は?」
「さっきからそこの物陰であたし達の会話を盗み聞きしているからです!」
「っ!? ど、どうしてバレて……!?」
彩三が指差した方を見ると、彼女の言葉通り、柱の陰からこちらを覗き見ている一夜さんの姿があった。というかほとんど身体はみ出てるけど、本当に隠れる気あったのか?
一夜さんは髪を指でいじりながら、軽い口笛と共に姿を現す。
「ひゅ、ひゅ~……レッスンがキリの良いところまで終わったから、海で遊んでもいいかなって思って……」
「海が気になりすぎて練習に身が入ってなかっただけじゃなかった?」
「先生は黙っててください!」
凄いな一夜さん。今回は日比谷さんという本心代弁マシーンがいるせいでいつものツンデレ言動が無に帰してる。
「相変わらず素直じゃないなあ。一姉もセンパイと一緒に海で遊びたかったんでしょ?」
「フッ……何を言っているのかしら? 私は次期当主として、妹たちが安全に遊べるように見守っておかないといけないなと思っただけよ」
「へぇ。それで本音は?」
「私だけのけものなんてずるい! 私も海で遊びたい!」
「一姉って最近あんまり本音を隠さなくなってきたよね」
それがいい成長なのか悪い成長なのかは甚だ疑問だけれど。
「い、いいじゃないいいじゃない! せっかくの旅行なんだから! 練習は遊んだ後にちゃんとやるから! いいですよね、先生!?」
「そんなに迫力のある顔で詰められて首を横に触れるほどわたしは豪胆じゃないわよ」
「ほら! 先生もいいって言ってる!」
「いいとは言ってないよね」
まあ、流れはちょっと不自然だったけど、これで全員が海に行きたいと主張したことになるよな。
俺はリビングの隅に寄せていた荷物に近づき、浮き輪やビーチパラソルなどを取り出し始める。
「それじゃあ、早速準備しましょうか。俺は先にぱぱっと着替えてパラソルとか設置しときますから」
「さっすが加賀谷くん。じゃ、わたし達も水着に着替えちゃいましょ?」
「ふっふーん。あたしのスーパーハイパーセクシー水着でセンパイを悩殺しちゃいますからね!」
「そ、それなら私だって、この日のために用意した最強最高の水着で理来の心を独り占めしちゃうんだから!」
「理来は巨乳好きだから、私の水着しか見えなくなると思う」
「「胸の大きさで戦いの結果は決まらないって教えてやるわよ!!!」」
「本当に仲良しね、三人とも」
「仲良しなのはいいですけど、流れるように俺の風評が汚染されてませんかね……?」
言い争いしながら自室へと戻っていく三姉妹を眺めながら、俺はどうやって自分の評判を取り戻そうか考え始めるのだった。




