第65話 家族の絆
「ダメに決まっているが」
デジャビュだな、と思った。
場所は学校の理事長室。
零士さんのおかげで理事長との面通しが叶った俺は、零士さんに伝えたものと全く同じ内容を理事長にお伝えした――のだが、結果は一蹴。
まあ、あくまでも予想の範疇だったんで、そこまで驚きはないのだけど。
「ですよねー」
「いくら我が校を代表する生徒のためとはいえ、彼女だけに特例を認めるわけにはいかんよ」
予想通り過ぎる回答です。
でも、今の言葉の隙を俺は聞き逃さなかった。
「……つまり、他の生徒も巻き込めば大丈夫、と?」
「何が言いたいのかね」
「俺だって、何の準備もしてきてないわけじゃないんですよ」
「ほう……?」
理事長が拒否するのはあくまでも想定内。
だから、ちゃんと対策だってしてきている。
俺は鞄から一枚の紙を取り出し、理事長に差し出す。
「これは?」
「今回の期末試験の未受験者の一覧です」
「なんだと?」
「どうして受験できなかったのか、その理由もすべて記載しています」
彩三だけに特例を認められないのであれば、それ以外の全員を対象にすればいい。
「よくここまで調べ上げたな」
「いやぁ、本当に大変でした。学校中のクラス全部に突撃して取材して……先生にも頭を下げて聴いて回って……」
「ふむ……意外と未受験者は多いのだな」
「季節の変わり目でしたからね」
そう。これは俺も予想してなかったんだけど、今回の期末試験は意外と欠席者が多かった。そのほとんどが体調不良、他にはサボリが少数いたみたいだけど、まあ今は置いておこう。
重要なのは、彩三と同じように試験を受けられなかった生徒の数が、例年よりも多かったということだ。
「学園としても、期末試験が0点の生徒が多いのは良くないと思うんですよね。印象が悪いと言いますか……」
「……言っておくが、私を脅しても無駄だぞ。そもそも、こういう交渉の時に相手を脅すのは悪手なのではないかね?」
「分かってますよ。だから、別にこれが交渉のカードって訳じゃないです」
「他にもある、と?」
「もちろん」
俺はその場で姿勢を正し、理事長に向かって深々と頭を下げる。
「俺の期末試験の点数を0にする代わりに、彩三達に再試験のチャンスを与えてはもらえませんでしょうか」
「……自分が何を言っているのか分かっているのかね?」
「もちろんです」
「赤の他人のために、自分の将来にも関係する成績を差し出すと?」
「そう言っています」
「……君の事情は私も把握している」
先ほどとは声色が変わった。
どんな顔をしているのか気になるけど、俺は頭を下げたまま話の続きを待つことにした。
「天王洲家の人間と君は一緒に暮らしているそうだが……いくら共同生活を送っているとはいえ、彼女達と君は赤の他人でしかない。そんな他人のために、どうしてそこまで自分を犠牲にできるのかね?」
「確かに、俺と彼女達は本当の家族じゃないです。俺には他に、血のつながった家族がいますから」
妹と親父が今海外のどこにいるのかすら知らないけど。
「でも、俺にとって彼女達は……本当の家族と同じぐらい、大切な存在なんです」
「…………」
「過去に囚われ、絶望していた俺を、彼女達は助けてくれました。俺のことを家族として受け入れてもくれました」
血のつながりなんて関係ない。
そこに心のつながりがあれば、きっと家族と呼べるのだから。
「俺は、一生かかっても返しきれないほどの恩を彼女達からもらいました」
彼女達がいてくれたからこそ、こんなにも毎日が楽しいから。
「だから、俺は彼女達のためにできることをしてあげたいんです」
彼女達がいてくれたからこそ、今の自分に自信が持てるから。
「俺の成績ぐらいで彼女達の助けになれるなら――本望です」
俺は頭を上げ、理事長の目を真っ直ぐ見つめる。
「お願いします。天王洲彩三に、再試験を受けるチャンスを与えてあげてください」
目は、決して逸らさない。
俺が本気だと、彼に伝えるためにも。
「……こういうところが、彼の琴線に触れたのかもしれないね」
理事長はひげを触りながら、小さく息を吐いた。
「私はね、加賀谷くん。彼……天王洲零士くんの映画が好きなんだ」
「……?」
「今の君は、彼の映画に出てくる主人公のようだったよ」
「え、っと……つまり……?」
「今回は特例として、期末試験を受験できなかった生徒達に再受験の機会を設ける」
「っ! あ、ありがとうございます!」
「――ただし、条件を一つ追加させてもらうよ」
「何でもやります!」
「君の期末試験の成績は、君が提案した通り0点とする。それに加え、一週間の奉仕活動を命ずる」
「……それだけでいいんですか?」
学校の長にルールを変えろと直談判したんだ。もっと酷い処分も覚悟していたんだけど……。
「お、もしかして処分が足りないのかね?」
「そんなことないです! 理事長の寛大な判断に感銘を受けました!」
「ふふふ。君はやはり面白い子だね。零士くんが気に入るはずだ」
「あ、あはは……」
嬉しいような嬉しくないような。
理事長はニヤリと笑いながら、俺に向かって軽く手を振る。
「話は以上だ。……もっと自分を大切にしたまえよ」
「あはは。それ、よく言われます」
もう一度頭を下げ、理事長室の外へと出る――と。
「理来ぅうううううううううう!」
「ひっ……」
凄まじい形相の一夜さんが扉の前で俺を待っていた。その横では、一夜さんほどではないにしろ、どこか不機嫌そうな様子の二葉の姿もあった。
「こ、こんなところで何してるんですか?」
「あなたの様子がおかしいから後をつけてきたのよ!」
「理事長さんの秘書さんから、理来が何しているのかは聞いた」
「秘書さんって……」
ちら、と横を見ると、眼鏡をかけたスーツ姿のスレンダー美人がすぐ傍で微笑んでいた。ああ、確か理事長室に入る時に案内してくれた人だったっけ。
一夜さんは俺の方をむんずと掴んだまま、青筋の浮かんだ顔を近づけてくる。
「あなた、私達に黙って何を勝手なことをしているの!?」
「止めようとしたのに、秘書さんに止められたから無理だった」
「い、いやぁ……あはは……」
「へらへらしない! 私は本気で怒っているのよ!?」
「ご、ごめんなさい」
あまりの剣幕に反射的に謝ってしまった。
一夜さんと二葉は怒った様子のまま、続ける。
「話の内容は扉越しにも聞こえてきたわ。あなた、彩三のために自分の成績を捨てるだなんて、正気じゃないわよ!?」
「でもほら、そのおかげで彩三の再受験は認められたわけですし……」
「その代わり、理来の成績が悪くなった」
「俺の成績は別に低くても問題ないしさ」
「問題ないわけないでしょう!?」
「彩三の未来に比べたら安いもんですって」
「あなた……何で、あなたは、いつもそうやって……自分を後回しにして……っ!」
一夜さんの腕から力が抜けたのが分かった。
彼女は俺の肩に手を置いたまま、悲しそうな顔で俺を見る。
「私達は家族なんだから、もっと頼りなさいよ……」
大切な彼女にこんな顔をさせてしまった自分に、嫌気がした。
彩三のため、としか考えてなかった。
これの独断専行で悲しむ人がいるなんて、思わなかったんだ。
つい最近、一夜さんから「あなたが無理をすると私が悲しい」と忠告されたばっかりだったのに。
「……すいません。軽率な行動でした」
「私も怒ってる。理来はもっと自分を大切にするべき」
「ごめん。今後は気を付けるよ」
「……二言はないわね」
「はい。もう自分を犠牲にしたりしません」
天才たちのためなら凡人の俺をどれだけ犠牲にしてもいいと考えていた。
でも、俺のそんな行動が彼女達をここまで悲しませるなら……俺は自分の考えを改めないといけない。
「分かったなら、いいわ」
「すいません……」
「話は終わり。それじゃあ、次は私達の番」
「へ?」
困惑する俺を横にどかし、理事長室の扉を開ける一夜さんと二葉。
「な、なにしてるんですか?」
「あなたと同じことをするのよ」
「同じことって……一夜さんたちの成績がゼロになっちゃったら意味ないじゃないですか!」
「大丈夫、そんなことにはならない」
「……?」
訳が分からない。彼女達はいったい何をしようとしているんだ。
「おじさん。私達から話がある」
「学校では理事長と呼びなさいといつも言っているだろうに……それで、何の用かね?」
「単刀直入に言うわ」
頭が真っ白になったまま事の成り行き見守るしかない俺を他所に、一夜さんは理事長に向かって高らかに宣言した。
「私と二葉も理来の奉仕活動に参加するわ。その代わり、理来の成績を0じゃなくて半分にしてください!」
「い、一夜ちゃん? なにを言っているのかね? 流石にそれは無理が……」
「それが無理なら、私と二葉は――転校するわ!」
「き、脅迫……ッ!」
分かっちゃいたけど、、交渉において大事なのは相手に恐怖を与えることなのだ。
結局、俺の処分は以下の通りになった。
・期末試験の成績は、獲得した点数の半分に。
・夏休みを迎えるまで、天王洲一夜と天王洲二葉と共に奉仕活動を行うこと。
とりあえず、一夜さん達には今度美味しいご飯を作ってあげようと思いました。
★★★
リビングで一姉とセンパイの話を盗み聞きした後、あたしはそのまま自室に戻った。
もちろん、水なんて飲みに行けていない。あんな話を聞かされて、すぐに姿を現せるほど、あたしの神経は図太くないから。
……というか、本当の理由は別にある。
「……センパイ、あんなことしたんだ……」
ベッドに戻り、布団を頭まで被るあたし。
もう体調不良は治ったはずなのに、顔がめちゃくちゃに熱い。なんなら、風邪を引いていた時よりも温度が高いかもしれない。
おまけに心臓も様子がおかしい。ドン引きするレベルで高鳴っている。なんだこれ、あたしの身体、どうなっちゃったの?
……ううん、本当は分かってる。
何でこんなことになっているのか、あたしはどうなっちゃったのか……全部、ちゃんと分かってる。
「どうしよう……あたし、センパイのこと――本気で好きになっちゃった」
曖昧だった恋心が、確かな形となっていく。
頭の中が、センパイのことでいっぱいになっていく。
あたしは、センパイのことを好きになってしまった。
優しくて、からかい甲斐のあって――そしてどこまで格好いい、加賀谷理来のことを。
「うぅ……センパイ……好き、好き好き好き好き……大好き……っ!」
もう、この気持ちは誤魔化せない。
あたしは、天王洲彩三は――加賀谷理来に恋してしまったのだ。