第64話 理来の無茶
再受験を含め、期末試験の結果が発表されるまでにそう時間はかからなかった。
「まあ、当然の結果よね」
「予定調和」
自宅のリビングでそれぞれの試験結果を見せ合う一夜さんと二葉。それぞれが全科目満点を取っての各学年一位。やはりというか何というか、こういうところで期待を外さないのが流石だと思う。
ちなみに、俺は全科目九十点以上の好成績だった。満点には程遠いけど、凡人としては十分な結果と言える。
「理来、もう少し頑張った方がいいんじゃない?」
「私が勉強を教えてあげてもいい」
「あれ? 俺、自分の結果に満足してるところだったんですけど……」
「あなたならもっとやれるでしょう?」
「理来の才能はこんなものじゃない」
「期待がデカすぎて辛い!」
俺を何だと思ってるんだろうか、この二人は。ただの平凡な男子高校生ですよ?
「あ、あたしに勉強を教えてなければ、満点取れてたかも……」
「いやマジで関係ないから。これが俺の全力だから! だから彩三は何も申し訳なさそうにしなくていいぞ! 家庭教師してなくてもこの程度だから!」
むしろ、いつもよりも成績いいんだってば。
「って、俺の成績なんてどうでもいいんですよ、いろんな意味で。今は彩三の成績の方が大事です」
「っ。そ、そうですよね……あ、あたしの成績……」
「……え、なにその反応」
めちゃくちゃ居心地悪そうなんだけど。もしかして赤点を回避できなかったのか!?
「わ、笑わないでくださいね?」
「ま、待ってくれ。まだ心の準備が!」
「あなたの成績じゃないんだから準備も何もないでしょうが。ほら彩三、見せてみなさい」
「お母さんみたい」
一夜さんにひと睨みされた二葉は慌ててお口をチャックした。
緊迫した空気の中、彩三は試験結果の書かれた紙をテーブルの上に差し出し――
「天王洲彩三、無事に赤点を回避しましたー☆」
「そんなこったろうと思ったよ!」
なんかやけにわざとらしかったもん! むしろ怪しすぎて信憑性ゼロだったわ!
「全教科七十点越え。彩三にしては点数が高い」
「えへへ。今回は頑張ったからね~」
「これなら陸上を続けられるんじゃない?」
「うん! 顧問の先生からも許可がもらえたよ!」
「おお、よかったよかった」
彼女が陸上を続けられることになったなら、家庭教師を務めた甲斐があったというものだ。
「センパイが勉強を教えてくれたおかげです。本当にありがとうございます」
「や、やめろよ。そんならしくない態度でお礼言ってくるの……」
「お、いい反応ですね。このタイプのからかいも悪くないかも……はぁはぁ」
「変な性癖に目覚めようとするな!」
この子はどうして事ある度に新たな性癖を開花させようとするんだ。成長期か? 成長期だったわ。
呼吸を荒くしながら迫ってくる彩三を手で遠ざけつつ、
「と、とりあえず、みんな試験結果は良かったってことで! せっかくですしお疲れ様会でもやりましょうよ」
「お疲れ様会……つまり、理来の料理が……」
「おう。今日は手によりをかけてご馳走作るぜ」
「嬉しい。理来の美味しいご飯が食べられるなら、毎日期末試験でもいい」
「「それは絶対に嫌」」
「どれだけ勉強嫌いなのよあなた達……」
口をそろえて拒否の主張を見せる俺と彩三に、一夜さんは肩を竦める。俺は別に勉強嫌いという訳じゃないが、流石に毎日試験をやらされるのは嫌です。
俺は全員分の試験結果が書かれた紙を集めつつ、
「それじゃあ早速料理の準備をしますね。食材は買ってあるので、ぱぱっと作っちゃいます」
「何か手伝うことはあるかしら?」
「空でも眺めててください」
「私も手伝う」
「食器でも並べててくれ」
「あたしも――」
「今の内に走ってきたらどうだ?」
「「「何で手伝わせてくれないの!?」」」
「自分の胸に手を当てて考えてみろ!!!」
家事が苦手な彼女達に任せられるはずがないだろうに。
手伝わせろと抗議の声を上げる三姉妹をスルーしつつ、俺はお疲れ様会の準備に取り掛かり始めた。
★★★
センパイ主催のお疲れ様会の後、あたしは自室のベッドの上に転がっていた。
「はぁ……お腹いっぱい……」
無礼講ということもあり、今日のご飯はすごく豪華だった。
あたし達三姉妹が好きな料理が所狭しと並べられてて、まるで誕生日かのような盛り上がりだった。
「明日からまた減量頑張らないとなぁ」
今日はカロリー云々は無視した、と言っていた時のセンパイの顔が忘れられない。
別に、あんなに申し訳なさそうにしなくてもよかったのに。美味しい料理を作ってくれただけで、あたし達は嬉しいんだから。
「……全然眠れない」
お疲れ様会の興奮がまだ冷めていないのかな……ううん、違う。多分、シンプルに喉が渇いてるんだ。こういう時は、水を飲めばあっさり眠れたりするし。
一杯だけでも水を飲もう、と自室からキッチンへと向かうあたし。キッチンに行くためにはリビングを通らなくてはいけないのがちょっと面倒臭い。
「……あれ?」
みんな寝たかと思っていたのに、リビングの明かりがついていた。まだ誰か起きてるのかな、と思って階段の壁からこっそり覗き込んでみると、そこにはテーブルに座って向かい合う一姉とセンパイの姿があった。
(なにしてるんだろう……)
普通に声をかければいいのに、何故かあたしは隠れてしまった。
自分でも無意識のままに盗み聞きする体勢に入ってしまったあたしを他所に、二人は話し始める。
「まったく……とんでもないことをやらかしてくれたわね」
「あはは……いやぁ、ちょっと他に方法が思いつかなくて……むしろ、俺としては一夜さん達を巻き込んじゃったこと自体想定外だったんですけど……」
「当たり前でしょう。あんなの、放っておけるはずないじゃない」
何の話だろう?
一姉がセンパイをお説教するレベルのやらかしって――
「まさか、自分の期末試験を捨てる代わりに、彩三に再受験の権利を与えるように理事長に頼み込むだなんてね……」
…………………………………………は?
★★★
『ダメに決まっているだろう』
俺が彩三たちの父親、天王洲零士さんに電話を掛けた時の事。
彩三になんとかして期末試験をもう一度受けさせられないか、というお願いをしてみたんだけど、あっさり却下されてしまった。
「あはは……まぁ、ですよねー……」
『私は彩三たちの学校のスポンサーではあるが、だからといってその権利を好き勝手に振るわないようにしているんだ。何故だか分かるかね?』
「娘を特別扱いしないように、ですよね?」
『彼女達には自分の実力だけで成長してもらわないと困る。親の七光りに頼るような人間では、世界で活躍する人材には成り得ないからだ』
あまりの正論にぐうの音も出なかった。
そりゃそうだ。困ったからと言っていちいちパパに頼るような人間が成長できるとは思えない。
『彩三は失敗した。ならば、別の道を探してもらう外はない。部活を続けられないのであれば、他の道でアスリートを続けてもらえばいいだけだ』
「それは……そうなんですけどね……」
今回の提案については、圧倒的にこちらの分が悪い。正論に次ぐ正論に、つい号泣してしまいそうだ。
「無理を承知で、何とかならないかなーって」
『……私の娘のためにどうしてそこまでするんだ?』
「へ? どうしてって……」
『まさか、私の娘と恋仲に……っ!?』
「な、なってませんなってません! 極めて健全な距離感で生活させていただいております!」
あぶねえ。いきなり娘を想う親ばかモードになるのやめてくれよ。びっくりしすぎて心臓が口から飛び出るかと思ったわ。
『そうか……君が美少女三姉妹とのドキドキハーレム生活に溺れているのではないか、と心配していたんだ』
「ラノベの読み過ぎじゃないですか?」
『私は映画監督なのでね。流行りの創作には必ず手を出すようにしているんだ』
「会話成立してませんよ」
天才と呼ばれる人たちって割とみんなマイペースだよな。
『話が逸れてしまったな。それで、先ほどの質問の答えだが』
「別に、大した理由はないですよ。……ただ、俺は彼女達をサポートするって決めているので」
そう、別に理由なんてない。
ただ、俺は俺のやるべき事をしているだけ。
まあ、あえて理由らしい理由を挙げるのであれば――
「あと、かわいそうじゃないですか」
『かわいそう、だと?』
「はい。だって、あんなに頑張ってたのに報われないだなんて……かわいそうですよ」
『……勝負事の世界において、努力が報われないのは当然ではないかね?』
「あはは。まあ、そうだと思います。俺の言ってることは甘ったれてるし、自分勝手だなってことも理解してますから」
『では何故……』
「でも、そんな小難しい事情なんてどうでもいいんですよ」
『…………』
「俺は、彩三には陸上部を続けてほしい。だから、そのチャンスをもう一度与えてあげたい。――ただそれだけなんです」
そもそも、こんな状況になるまで追い詰められていたのは彩三自身の責任だ。学校に入学して二、三ヶ月ほどしか経っていないけど、それまでに「陸上以外も頑張らないとだめだよ」と注意される機会はあったはずだし。
でも、彩三はそんな自分を恥じて、勉強を頑張った。
自分を変えるために、努力したんだ。
その努力が、望みもしない体調不良のせいでなかったことにされるなんて――俺には認められない。
「俺は自分勝手な人間なので、自分のやりたい事のためなら無理も通そうとしますよ」
『……そんな考えのままで社会に出たら苦労するぞ?』
「これから治していきます。でも、仰る通り、今の俺は未熟なので……未熟な自分に甘えて、甘ったれた要求を提示していくしかないんです」
『……やはり、君は面白い人間だね。一夜から聞いていた通りだ』
あの人、俺のどんな情報を伝えてるんだ。
『……まぁ、君の言いたいことは分かった』
「それじゃあ……」
『だが、私の一存で特例を認めるわけにはいかない。スポンサーである私には学校の運営に口を出す権利があるが、そもそもそれを使うつもりはないのでね』
「っ。そう、ですか……すいません。家に住まわせてもらっている身分で、無理なお願いをしてしまって」
『――だが、まあ』
「?」
『自分勝手と自覚していながら、無理筋を通そうとする君の姿は……映画監督としては興味深いものだった』
「は、はぁ」
『私からは何もしてやれないが、君が理事長に直談判できる機会は設けてやろう』
「え……あ、ありがとうございます。で、でも……いいんですか?」
『ああ。実のところ、私は好きなんだよ』
先ほどまでの重苦しい声とは一変し。
『不可能を可能にする、熱血系の主人公というものがね』
漫画を楽しむ子供のような明るい声で、零士さんはそう言った。