第60話 三女の行方
「はぁぁ。まさか期末試験当日に忘れ物しちゃうだなんて~」
センパイに褒めてもらえたことで、油断してしまっていたのかもしれない。家を出る前にちゃんと鞄を確認しておけと、いつも一姉から言われてたのに。
朝日に照らされる歩道を走り、家へと爆速で向かう。とはいえ、全力疾走はしない。こんなところで転んで怪我でもしたら本末転倒だし……何より、今日はあんまり万全のコンディションとは言えないから。
「ちゃんと寝たんだけどなぁ」
別にすっごく体調が悪い訳じゃない。ちょっと気だるいとか、それぐらいの悪さ。試験を受けるには特に問題はないから、センパイ達にはあえて伝えなかった。
「ふぅ、やっととうちゃーく」
門をくぐり、玄関の鍵を開け、自分の部屋へと駆け足で移動。目的の単語帳はあたしの机の上にぽつんと置かれていた。
「こんなに目立つ置き方しといてどうして忘れていくかなぁ」
万全の状態だったら見逃さなかったのかな。うーん、もしそうだったとしても普通に置き忘れていそうだなぁ。
って、そんなことを考えてる場合じゃない。早く学校に戻らないと。
「遅刻して試験が受けられませんでしたー、なんて笑えないもんね」
足を滑らせないように慎重に階段を下りて、小走りで玄関へゴー。あたしの脚の速さなら試験開始十分前までには学校に辿り着けるはz――
「……あ、あれ?」
ぐわん、と世界が回った。
気づいた時には、あたしの身体は廊下に転がっていた。
「な、に……?」
考えがまとまらない。
目がぐるぐる回って、きもちわるい。
はやく、がっこうにいかないといけないのに。
たって、はしって、しけんをうけに……。
「どうして……せん、ぱい……」
あたしのしかいがみだれていく。
ああ、もう……なんであたしは、いつもこうなんだ――
★★★
俺達の学校では珍しく、期末試験を一日で終わらせる事になっている。
普通だったら複数日かけて行うはずなんだけど。どういうシステムなんだろうか。そのせいで期末試験が終わった後はいつも頭が疲労困憊する羽目になっている。
「せめて二日は欲しいよなぁ」
「私はぱぱっと終わらせられるから今のままがいい」
「私も、試験は早めに終わらせてピアノの練習をしたいもの」
「あ、ソウデスネ」
こういうところで割り切れないから、俺は凡人なのかもしれない。
それはともかく、試験を終えた俺はクラスメイトの二葉と一緒に下校しようとしたところで、ちょうど一夜さんと偶然合流。そのまま学校の門へと移動し、三人で仲良くしゃべりながら彩三が来るのを待っていた。
「……にしても、彩三のやつ、遅いっすね」
「今日は部活がないのに」
「電話しても連絡がつかないのよね……」
教室で友達と駄弁っているのだろうか。楽しい放課後を邪魔するのもなんだし、早めに帰ってもいいかもしれないけど……と。
「あ、いたいた! 天王洲さん!」
昇降口の方から聞こえてきた女性の声。そちらを見ると、二十代中盤ほどの女性がこちらに向かって駆け寄ってきていた。確か彼女は……。
「彩三のクラスの担任の先生、でしたよね?」
「覚えててくれたんだ! 嬉しいなぁ――って、そんなことはどうでもいいの」
緩んでいた頬を両手で持ち上げ、女性教諭は続ける。
「今日、彩三さん、学校に来なかったの。お家に連絡しても誰も出なくて……あなた達、何か知らない?」
「「「は?」」」
彩三が学校に来ていない? なんだそれ、どういうことだ?
「彩三は、登校中に家に忘れ物を取りに帰ったはずですが……」
「そうなの? でも、電話には出なかったのよね……個人で連絡を取ったりした人はいる?」
「こっちもこっちで繋がらない」
「心配ね……彩三さん、どこに行ってしまったのかしら……」
嫌な予感がした。
凄まじい胸騒ぎのせいで吐き気まで覚えていた。
「っ!」
「り、理来!?」
気づけば、走り出していた。
人通りの多い歩道を駆け抜ける。酸素が足りなくて頭はズキズキと痛み、空気が吸えなくて肺が悲鳴を上げている。急な全力疾走で筋肉が軋むし、通行人に何度もぶつかりそうになっていた。
だけど、俺は走った。
無理をおして、限界を無視して、走って走って走って……息切れしたまま家に帰ってきた俺が見たのは、
「彩三!」
荒い呼吸を繰り返しながら玄関に横たわる、大切な家族の姿だった。
「彩三、大丈夫か!?」
急いで駆け寄り、彼女の身体を抱き上げる。衣服越しでも分かるほどに、凄まじい高熱を発していた。
「まさか、家に帰ってから倒れたのか……っ!?」
だとすると、いったい何時間この床の上で転がっていたというのか。体調が悪い中、ベッドに行く事も出来ず、固い床の上でずっと苦しんでいたというのか。
「くそっ……何で俺は……!」
彩三がこんな状態だったことにも気づかず、のうのうと試験を受けていた自分が許せなかった。なにが彩三を気遣って先に学校へ行こうだ。一緒に忘れ物を取りに戻っていれば、こんな事にはならずに済んでいたかもしれないのに。
「……せん、ぱい……?」
「彩三!」
「わぁ……せんぱいだぁ……おかえり、なさい……」
「ごめん、彩三……こんなことになってるだなんて、思ってなくて……」
「えへへ……どうして、せんぱいが……あやまるんです、かぁ…………」
意識を取り戻したと思ったが、まだかなり朦朧としている様子の彩三。彼女にこれ以上無理をさせるわけにはいかない。
「くそっ……」
自分への怒りを噛み殺しながら、俺は急いで救急車を呼ぶのだった。