第59話 期末試験当日
そんなこんなで日々は過ぎ、ついに期末試験当日となった。
「ふぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁ……ふぅぅぅぅ……」
朝の支度を終え、いざ学校へ向かうべく玄関から外に出た直後。
真っ青な顔の彩三が、これでもかという程に、それはもう大きな深呼吸を繰り返していた。
「彩三。溜息を吐くと幸せが逃げる」
「いや、これはため息じゃなくて深呼吸なんだけど……」
心配そうに顔を覗き込む二葉に、顔色の悪いまま冷静なツッコミを入れる彩三。そもそもいつも明朗快活な彼女が深呼吸をするという構図自体が違和感バリバリなんだが、今日ばかりは仕方のないことである。
何故なら、彼女は今日という日のために、約一か月間もの長い期間、勉強を頑張ってきたのだから。
「だ、大丈夫、大丈夫……あたしはできる……」
「初めて陸上の大会に出た時でもあんなに緊張してなかったんじゃない?」
「今後の大会出場がかかってるから、緊張するのも無理はない」
「たくさん勉強したんでしょう? 理来も褒めていたし、大丈夫でしょ」
「そうですね。変な油断とか確認ミスとかをしなければ大丈夫だと思いますよ」
「な、なんでちょっと変なフラグ立てるんですか! あー、不安が大きくなっていくぅー!」
ネガティブな彩三って見慣れないからちょっと面白いな。全体的に元気もないし。
「センパイ! 今すごく失礼なこと考えてませんでしたか!?」
「そんなことないぞ。ただ、ネガティブな彩三って見慣れないからちょっと面白いな、って思ってただけだ」
「失礼なこと考えてるじゃないですか! よくもまあ真顔で全部吐露出来ましたね!?」
「理来は裏表のない素直な人だから」
「二葉。残念ながらそれはフォローになってない」
「え……?」
むしろ二葉の方が裏表のない正直な子だと思います。
一夜さんは呆れた様子で肩を竦めながら、
「まったく……いつまでも不安に駆られていたって仕方がないでしょう? こういうのはやってみてから考えればいいのよ」
「海外にまでコンサートに行く一姉はやっぱり含蓄が違うね……」
「青春真っ盛りの女子高生に含蓄とか言うのやめてくれる? いいから、早く学校に行くわよ。期末試験の日に遅刻なんてしてしまったら目も当てられないわ」
「「はーい」」
一夜さんに促されるがまま、家の門をくぐる二人。何だかんだで一夜さんは長女として慕われているようだ。普通に頼りになるし、可憐なのに格好いいし、それでいてたまに子供っぽいところも可愛いしな。慕われない理由がない。
彼女達に続く形で門をくぐり、しっかりと施錠する。
「さて、行きましょうか」
俺と一夜さんが先頭で、その後ろを二葉と彩三が並んで歩き始める。四人で並んで道を塞ぐような真似はしない。テレビにも取材されたりする彼女たちにとって、些細なマナー違反は命取りになりかねないからだ。
「そういえば、理来は期末試験、大丈夫なの? ずっと彩三にかかりきりだったけれど」
「ちゃんと勉強はしてたので大丈夫ですよ。人に勉強を教えてたくせに自分の勉強を疎かにするなんて愚行は犯しません」
「……また睡眠時間を削ったんじゃないでしょうね」
「あはは」
「なにわざとらしく笑っているの! もう、無理だけはしないでっていつも言ってるのに……」
「これは無理の範疇には入らないので大丈夫です」
「超人の理論やめなさいね」
天才に超人と呼ばれるなんて。お世辞だとしても嬉しいな。
「彩三、今日の調子はどう?」
「今は話しかけないで二姉。覚えた数式が頭から抜けちゃうかもしれないから」
「一夜漬けした訳じゃないんだしそこまで心配する必要ないだろ」
「でも! もしもの時があるかもしれないじゃないですか! ああっ! 今ので公式が一つ空に解き放たれましたよ!?」
「どういうシステムなんだよ」
一つ行動を起こしたら知識が一つ放り出されるの怖すぎだろ。
「やばい、歩きながらでも勉強しないと不安です……単語帳、単語帳……」
「ながら勉強は危ないからやめなさいな」
「まあまあ、俺がちゃんと見ておくんで、今回ばかりは許してあげてください」
「理来はそうやってすぐに彩三を甘やかすんだから……」
「一姉。今の夫婦っぽいやり取り、抜け駆けポイント5」
「あなたの判定は厳し過ぎるのよ!」
よくわからない採点をする二葉に叫ぶ一夜さん。抜け駆けポイントって何なんだろう。三姉妹の中にある謎ルールというやつかな。
と。
「あれ? おかしいな、ここに入れたはずなのに……」
「どうした彩三?」
「鞄に入れたはずの単語帳が見つからなくて……部屋に忘れてきちゃったのかな」
「試験当日に忘れ物するの、意外とあるあるだよな」
「まだ時間はありますし、ちょっと家まで取りに戻りますね」
「待っておこうか?」
「大丈夫です! あたしのスピードならぱぱっと帰ってこられますから」
「そうか。気をつけてな」
「はい!」
元気よく返事した後、彩三は凄まじい速度で家の方へと走っていった。
「彩三を待つ?」
「いや、先に行ってていいって言ってたし、このまま学校に向かおう。試験前に気を遣わせるのも良くないだろうしな」
彩三には試験以外の余計なことを今は考えないようにしてやりたいし。
「彩三もだけど、私達も失敗しないように気をつけましょうね。心配しなくても大丈夫とは思うのだけれど」
「私はどうせ満点」
「始まる前から満点宣言できるのえぐいって」
「今度は私が理来に勉強を教える?」
「俺がピンチになった時はぜひ頼むよ」
赤点まみれになって補修の危機にさらされた時とか。まあ、俺に限ってそんなことが起きるとは到底思えないけども。これでも優等生で通っているしな。
(何故か腕に抱き着いている)二葉と、(何故か何度も俺の手に触れてくる)一夜さんと並んで歩きながら、ついに学校の門をくぐる俺。
「さて、それじゃあ期末試験をぱぱっと終わらせますか」
期末試験が終わったら、みんなでお疲れ様会でもやろう。頑張った彩三のために彼女の好きなものをたくさん用意してあげるのもいいかもしれない。
「頑張れよ、彩三」
家まで忘れ物を取りに行っているであろう後輩に、聞こえるはずのない激励を送る。
――だが、俺はこの時、完全に失念していたのだ。
現実というのは、時に残酷だということを。




