第58話 ターン制なでなで
彩三と一緒に走ったり彼女の悩みを聞いたりしてから数日が経過した。
問題の期末考査はもう目の前まで近づいてきており、時間的猶予はあまりない。
しかし、そんな状況の中、彩三は俺の予想を遥かに超える速度で学力を向上させていた。
「おお、凄いな。九割正解してるぞ」
「えっへん! まあ、あたしって天才ですから? やればできるんですよね、やれば!」
「いや本当に凄いぞ。同じ試験範囲でも、数日前は三割ぐらいしか正解できてなかったからな」
「あたしは常に前進するんですよ。何と言ったって、センパイが憧れる天王洲彩三ですからね!」
得意げに胸を張りながら、高らかに鼻を伸ばす彩三。めちゃくちゃ調子に乗っているけど、まあ今ぐらいは許してあげてもいいだろう。
実際、ここ最近の彼女は急激に成績を伸ばしてきている。彼女のクラスメイトであるふくちゃんに話を聞いたところ、居眠りせずにしっかりと授業を聞いているらしい。
勉強を始めた頃からでは考えられないほどの著しい成長だ。やはり天才というだけあり、要領は普通にいいんだよな、この子。ただ正しい勉強法を知らなかっただけで。
「これなら期末試験も大丈夫ですね! もう敵じゃないですよ!」
「あんまり油断すると足元すくわれるぞ」
「うっ……だ、大丈夫ですもん!」
思い当たる節でもあったのか、若干言い淀む彩三。今回の試験はラストチャンスでもあるので、油断だけはしないで欲しいものである。
そういえば、成長とは少し違うけど、以前の彩三と最近の彩三とで少しだけ変わった事がある。
それは――
「センパイセンパイ。あたし、今回の小テスト、すごーく頑張りましたよね!」
「ああ、そうだな」
「それなら、すごーく頑張った彩三ちゃんに、やるべきことがあるのでは?」
「やるべきこと?」
「分かりませんか? 相変わらず鈍いですねぇ……ほら、これですよ、これ!」
そう言って、俺に頭を差し出してくる彩三。ここまでされて分からないほど俺は鈍くはない。
期待を込めて差し出される頭に手を置き、そのまま優しく撫でてみる。
「よく頑張ったな」
「えへへぇ……これこれ、これですよぉ……」
俺に頭を撫でられながら、うっとりとした表情を浮かべる彩三。この間の一件以来、彼女は俺に頻繁に頭なでなでを要求するようになった。俺の意思はともかくとして、年頃の女の子として彼女は何も気にしていないのだろうか。年上の異性から頭を撫でられるって、TPOを間違えればセクハラになると思うんだけど。
「えへ、えへへ……へへっ……はふぅ……や、病みつきになりそうですぅ……」
「オイ、俺から撫でられてる時にそんなヤバい顔するのやめろ」
俺の手が何かヤバいブツみたいに思われるだろ。
「だって、センパイに頭を撫でられてると、頭がふわーっとして気持ち良くなるんですもん……」
「俺の手にそんな効能はねえよ!」
「へぇ、それは気になるわね」
「私も興味がある」
「いつの間に沸いたんですか二人とも」
まったく気配を感じさせず、気づいた時には俺の背後に立っていた一夜さんと二葉。ピアニストとゲーマーにはいつから気配殺しのスキルが必須になったんだろうか。
「理来に撫でられると気持ちよくなっちゃうなんて、決して見逃せない事案だわ」
「もっと言い方考えてもらっていいですか?」
「私も理来に触られて気持ちよくなりたい」
「悪化させないでもらってもいいか?」
ここが家の中だからいいものの、もし公衆の面前での発言だったら俺の社会的死は免れなかったところだ。
彩三の頭の上に置かれている俺の手に、一夜さんはそっと手を伸ばす。
「理来の手に本当にそんな効果があるのか、実験が必要……そう思わない?」
「俺は全く思いませんが……」
「そうよね。未知の力を放っておくわけにはいかないもの。調べておくに越したことはないわ」
「あれ? もしかして俺の声聞こえてませんか?」
俺の言葉を無視して、一夜さんは続ける。
「そのためにはまず、理来が私の頭を撫でる必要があるわ。それもとびきりの褒め言葉と一緒にね」
「なんかどさくさに紛れて我欲を満たそうとしてませんか?」
「そんなことないわ。ただ、長女である私もたまには誰かから褒められたいと思っているだけよ」
「それを我欲というのでは?」
あと、俺はいつもそれなりに一夜さんのことを褒めている気がするんですが。
俺のツッコミなど気にした様子のない一夜さん。そんな彼女と同じように、すぐ近くにいた二葉も俺の腕をそっと掴むと、
「一姉の言い分は正しい。だから、一姉の次は私の頭を撫でるべき」
「なんか順番待ちされてる!」
「私は実験のためなんかじゃない。ただ、理来に頭を撫でてほしいだけ」
「こっちに関しては隠すことなく我欲じゃねえか!」
一夜さんの方も我欲だったけど、二葉はもう正々堂々の我欲だ。なんなら隠す気が一ミリもない。あと俺の手はアトラクションではない。
「ちょっと待ってよ二人とも! 今はあたしがなでなでしてもらうターンだよ? せめて明日とかに出直してきてくれないかな?」
「あなたのターンはもう終わったでしょう? ここからは私のターンだから」
「彩三も一姉も理来のことをよく独り占めしてるから、今回こそ私にターンを譲ってもらう」
「遊○王かなんかの話してる?」
普通の日常会話で「ターン」なんて言葉が飛び交うことがあり得ていいのか。
「……ここで私達が争ったって無意味だわ。ここは一旦、順番だけ決めて全員平等に理来に頭を撫でてもらう事にしましょう」
「「いい考えだね」」
「そこに俺の意思はちゃんと勘定されてますか?」
「「「今そんな話してないから」」」
「アッハイ」
目がガチだった。これ以上余計な事を言ったら命はないぞ、と彼女たちの目が雄弁に語っていた。
「早速順番を決めましょうか。じゃんけんでいいわよね?」
「異論なし」
「絶対に負けないよー!」
「それじゃあいくわよ。じゃーんけーん――」
「えへへぇ、センパイのなでなではやっぱり最高だよぉ……」
「ふふ……ふふふ……理来の手は至高。世界遺産に登録するべき……」
右手で二葉の頭を、左手で彩三の頭を撫でる俺。
さっきまで順番がどうとか言っていた気がするんだけど、何故か二人の頭を同時に撫でる羽目になっていた。
どうしてこんなことになったのかというと。
じゃんけんが開始されると、まず最初に一夜さんが敗北。崩れ落ちながら慟哭する一夜さんを他所に二葉と彩三が決勝戦を開始したのだが……まったく決着がつかなかったのだ。
示し合わせたとしか思えないほどのあいこの連続に俺が痺れを切らし、二人一緒に頭なでなでをプレゼントすることになった。どうでもいいけど、頭なでなでをプレゼントってなんだ。
「うにゃぁ……きもちいぃぃ……」
「んっ……はぁっ、ふぅ……」
「あの、変な声出さんといてくれます? 俺がいかがわしいことしてるみたいじゃん」
「だってぇ、気持ちいいんですもん……」
「理来はテクニシャン。店を開けるレベル」
「喜んでいいのか分かんねえんだよな」
女の子の頭を撫でるのが得意です、は果たして売りになるのかどうか。少なくとも履歴書には書けないと思う。
「ね、ねぇ、そろそろ私のターンじゃない? お姉ちゃん、我慢するの、頑張ったんじゃない……?」
「もうちょっとだけぇ……はへぇ……」
「あと五時間」
「それは俺の手が壊れるから勘弁してください」
「ぐ、ゥッ……な、なでなでが足りなくて……あ、頭が……割れるように、痛い……ッ!」
なんか偉大なる天才ピアニストが床の上でのたうち回っていた。それ、もしかして禁断症状でしょうか。俺の手には実は麻薬か何か塗られているんですかね?
このままだと収拾がつかないので、彩三と二葉から手を離し、そのまま静かに一夜さんの頭に手を置いた。
「っ!」
「よ、よしよーし」
「……ま、まぁ、悪くないわね」
「この期に及んで長女としてのプライドを保とうとするのは凄いと思いますよ俺は」
「な、何の話かしら?」
「いや無理ですって。今もめちゃくちゃ表情緩んでるじゃないですか」
「こ、これは、ちょっとなでなでが気持ち良すぎるだけよ!」
「言い訳にもなってないですやん」
何故か虚勢を張る一夜さん。本当にこの人は素直じゃない。そういうところが可愛いけど。
そんな感じでツンデレな一夜さんを微笑ましく思っていると、いつの間にか復活していた彩三が、一夜さんに向かってスマホを向け、一本の動画を再生し始めた。
『ぐ、ゥッ……な、なでなでが足りなくて……あ、頭が、割れるように、痛い……ッ!』
「無駄だよ一姉。さっきの醜態はあたしがしっかりと録画してるからね!」
「な、なんてことをしてくれているのかしら!?」
「えへへ。面白かったからつい……てへぺろ♡」
「彩三、それ後で俺にもデータ送っといてくれ」
「了解でっす」
「勝手に了解するんじゃないわはへぇ」
怒っている途中にも関わらず、俺のなでなでにより脱力してしまう一夜さん。この人、実は三姉妹の中で一番ギャップが激しいよね。そういうギャップが一夜さんの可愛いところなんですけど。
とりあえず一夜さんの腰が抜けるまで頭を撫でたところで、俺はついに手を離した。
「さ、最っっ高ぉ……」
「やめてくださいねそのいかがわしい反応」
「理来は天王洲三姉妹の腰を抜かせたテクニシャン」
「みんなで語り継いでいこうね」
「俺を社会的に殺したいのか!?」
ただでさえ天王洲三姉妹と仲のいい男としていろんな人間から目を付けられているというのに。
俺は疲れた手首をもみほぐしつつ、家事をするべく立ち上がろうとする――が。
それを遮るように、三姉妹が俺の頭に手を置いてきた。
「……何してるんだ?」
「なでなでしてもらったから、お返し」
「センパイも頑張ってますからねー。なでなでしてあげますよ」
「年上として、たまにはあなたを甘やかしてあげようと思ってね」
「いや、いいですよそんなことしなくて。だいたい、俺は別に頑張っては――」
「いいから黙ってなでなでされておきなさい」
「そうですよ。無理矢理しないとセンパイは撫でさせてくれないんですから」
「感謝の気持ち。受け取って」
「……そこまで言うなら、まあ」
床に座り直し、三姉妹から大人しく撫でられる俺。
慣れない感触はくすぐったいし、年頃の男子高校生としてはちょっと恥ずかしい状況だけど――
――家族から褒められるのは意外と悪くないな、と思った。