第56話 三女の苦悩
完膚なきまでにボコボコにされた。
「意外と簡単でしたね、ローラースケート!」
「こ、この超絶運動神経抜群美少女が……」
初めてだと言っていたくせに、彩三は最初の一歩から完璧な滑りを見せやがった。スタッフさんも「え、初めてなんですよね!?」って度肝抜かれてたぞ。俺はバランスを取るのがやっとで、競走をしたはいいものの、全く勝負にならなかった。生まれたての小鹿がチーターに勝負を挑むようなものだったから、負けるのは当然である。
「いやぁ、楽しかったです。楽し過ぎてつい十周もしちゃいました。大会とか出てみようかな?」
「君なら世界記録も狙えると思うよ」
陸上以外にも才能があるとか、天才ってやっぱり凄いな……。
「次は何します? ロデオとかトランポリンなんかもあるみたいですよ?」
「彩三がやりたいものを選んでいいぞ。今日は君が主役なんだから」
「やったっ。じゃあトランポリンやりましょう! ほらほら、センパイ。はやくはやくっ」
そわそわした様子で俺の腕を引っ張る彩三。まるで初めて遊園地に来た子供みたいだ。
彼女の体力についていくのはかなりきついけど――
「今日中に施設内のスポーツを全部制覇しましょうね!」
――楽しそうな彼女の笑顔のためなら、限界を超えて頑張れそうだ。
★★★
結局あの後、トランポリンとロデオをし、そしてバスケとサッカーとテニスとアーチェリーをしたところで俺の体力が限界を迎えた。
「はぁっ……はぁっ……げほっ……つ、つかれた……」
「も~、だらしないですよセンパイ。まだまだ遊び始めたばっかりじゃないですか~?」
「に、二時間もぶっ続けで動き続ければ、息ぐらい、切れるわ……っ! た、頼む、少しだけ休憩させてくれ……!」
「しょうがないですねぇ」
ベンチに座ったまま肩で息をする俺を見てニヤニヤと笑いながら、隣に腰を下ろす彩三。どうしてこの子はあんなに連続して激しい運動をしたにもかかわらず、呼吸の乱れどころか汗ひとつかいていないのだろう。本当に同じ人類か?
「ご、ごめんな? もっと頑張れると思ってたんだけど……」
「いえいえ、むしろ初めてですよ、あたしにこんなについてきてくれた人。部活でもみんな先にダウンしちゃうんで」
「今日身をもって体験したけど、その体力の多さだとついていける人は少なそうだよな……」
「あはは。まあ、あたしにはこれしかありませんから」
瞬間、俺は見逃さなかった。
自嘲気味に呟いた彩三の表情が僅かに曇ったのを。
「……何かあったのか?」
「へ? ど、どうしてですか?」
「いや、君がそんな卑屈なことを言うなんて珍しいからさ」
「あはは。卑屈に聞こえました? やだなぁ、そんなつもりないですよ」
「……本当か?」
「うっ……」
露骨に誤魔化そうとする彩三の顔を覗き込むと、彼女は頬を引きつらせた。忙しなく動き回っていた手も止まり、完全に硬直してしまっている。
俺からは逃れられないと悟ったのか、彩三は諦めたように溜息を吐く。
「はぁ……いつもはあんなに鈍いのに、どうしてこういう時だけ鋭いんですか……」
「失礼な。俺はいつでも鋭いぞ」
「はいダウトです。そんな戯言は二度と口にしないで下さいね」
そこまで言わなくてもよくない???
「まあ、俺のことは置いといてさ。悩みがあるなら話してみろよ。解決できるかどうかは分からないけど」
「そこは嘘でも解決できると言うところじゃないですか?」
「知っての通り、俺は凡人だからな。君たちの悩みを解決できるような力は持ってないのです」
「えー」
「でも、これだけは断言できるよ」
凡人な俺が天才の彼女にしてやれることなんてそう多くない。
でも、だからこそ。
「何があっても、俺は君の味方だし、君のことを信じ続ける。だから、壁打ち気分のつもりでばばーっと悩みを吐露しちゃっていいぞ」
「っ……はぁ。ほんと、センパイはたまーにかっこいいこと言いますよね。たまーにですけど」
「あはは。お世辞だとしてもありがたく受け取っておくよ」
「むぅ……」
この人は冗談が通じない、とでも思われていそうだな。
「……まぁ、いいです。ちょうど誰かに話したかったですし」
「やったー」
「もっと感情を込めて!」
「彩三後輩の悩みを聞きたーい!」
「フッ。仕方ないですね! そこまで言うなら話してあげなくもないですよ!」
悩みを吐露することへの意識の切り替えとして使われた感が半端ないけど、俺が誘導した結果なので無駄なツッコミは飲み込んでおこう。
彩三は深呼吸を三回ほど繰り返した後、意を決したように口を開いた。
「知っての通り、あたしって陸上の天才なんです」
「いきなり凄い角度で入ってきたな」
「あはは。まあ、事実ですから。……でも、それ以上でもそれ以下でもないんですよ」
「? どういうことだ?」
「そのまんまの意味です。あたしは陸上の天才……つまり、陸上しか出来ないんです」
ふざけた様子など一切なく、真剣な声色で、彼女はぴしゃりと言い放った。
「一姉と二姉みたいに、それぞれの得意分野以外でも活躍出来てるわけじゃないんです。二人みたいにお金も稼げていないし、二人みたいに卒業後の進路も約束されてない。あたしは、ただ走ることが得意なだけの人間なんですよ」
きっと、聞く人が聞けば「ふざけるな」と一喝するような言葉なのだろう。
だが、彼女にとっては深刻な問題なのだ。
「天王洲三姉妹、なんてまとめられてますけど、あたしは他の二人よりも劣ってます。出涸らしなんです」
自分を悪く言うことが、彼女にとってどれだけの屈辱なのか。俺には分からない。
「二人に負けたくなくて、ファッションを拘ったり可愛いと思われるように頑張ったりしてますけど、こんなの天才らしくもなんともないです。ただ、天才という看板を失いたくない一心で足掻いているだけなんです」
頑張れることも、頑張った経験もそこまでない俺には、彼女の気持ちが分からない。
「本当は、こんな無駄な劣等感に苦しめられてる場合じゃないんです。でも、どうしても気にしちゃって……そのせいで、最近はタイムも落ちてきてて……あはは、本当にあたしって駄目ですよね」
自分と他人を比べることから逃げてきた、ただの凡人である俺に、彼女の苦しみは分からない。
「……あたし、どうなっちゃうんでしょうか。タイムも落ちて、陸上の才能も枯れて……そうなっちゃったら、あたしは何者でもなくなっちゃいます。陸上の天才、天王洲彩三、それだけがあたしのアイデンティティなのに……」
才能に見放されるという経験をしたことがない俺には、彼女の気持ちが分からない。
何より、俺は天王洲彩三ではないから、彼女の苦悩を分かってあげられない。
――だけど、だからこそ。
俺なりのアプローチで、彼女を苦しみから解き放ってあげなくてはならない。
絶望に堕ちていた俺に、彼女が手を差し伸べてくれた時のように。
「……なぁ、彩三。これからちょっと時間あるか?」
「へ? まぁ、はい。今日はここで遊ぶぐらいしか予定はなかったので……」
「そうか、よかった」
この方法で合っているのかどうかは分からない。
でも、正解かどうかわからないまま走るのは、凡人である俺にしかできない事だから。
だから、俺は彼女に伝えるのだ。
俺が今一番彼女のためになると思っている、自分なりの最善策を。
「なら、これから俺と一緒に走らないか?」