第50話 一糸まとわぬ
彩三が起きてこない。
いつも通り早起きして、いつも通り朝食を作り、四人分の弁当に着手を始めた俺だったが、ふとそんないつも通りじゃない事実に気付いた。
本来であれば、俺が朝食を作り始めた頃に彩三が起きてきて、そのまま日課の早朝ランニングに出かけるはずだ。
だけど、今日は朝食が完成する頃になっても姿を見せない。
「何かあったのか……?」
他の人間であれば、たまには日課を休みたくなるものかもしれない。
でも、彩三は走ることが生き甲斐な根っからの陸上大好き人間だ。そんな彼女が理由もなしに日課を休みだなんて考えられない。
「様子でも見に行ってみるか」
皿に盛った朝食に上からラップをかけ、そして彩三の部屋へと移動する。ちなみに、一夜さんと二葉もまだ姿を見せていない。二人はそもそも早起きな方じゃないので当然っちゃあ当然なんだけど。
「彩三、起きてるか?」
扉をノックし、声をかけてみる。――反応はなし。
もう一度ノックをするも、結果は同じ。
寝ているのか、それとも声が出せない状況なのか。
「すまん、入るぞ」
扉越しに謝罪しつつ、ゆっくりと扉を開く。
「……すぅ……すぅ……」
そこには、ベッドの上で寝息を立てる彩三の姿があった。
寝苦しかったのか、掛布団はベッドの下に蹴り飛ばされている。寝息は乱れていないので、体調不良ということではなさそうだ。
……だけど、それ以前の問題がひとつある。
それは、彼女が一糸まとわぬ姿――全裸であること。
「キャーッ!? な、なんて格好で寝てるんだ、彩三!?」
思わず女の子みたいな悲鳴を上げてしまう俺。今の悲鳴で他の二人が起きてしまう可能性もあるが、そんな細かいことを考える余裕なんてどこにもなかった。
「ん、ぅっ……んぇ……? うるさいでしゅ……ぁぇ? しぇんぱい……? あたしのへやで、なにしてるん、ですかぁ……?」
俺の声で目が覚めたのか、瞼を擦りながら身を起こす彩三。見えてはならないところが全部見えてしまう前に、俺は慌てて彼女に背中を向けた。
「い、いつもの時間になっても起きてこないから様子を見に来たんだ!」
「あ……そうだったんですね。んー、ようやく目が覚めてきました……ふわわぁ」
「それはよかった……って、違う! 何で服着てないんだ!?」
「そんなこと言われても……あたしは寝る時は基本的に全裸ですよ?」
「風邪引くぞ!?」
アスリートなんだからもっと体を大事にしてほしい。
「……ふむ」
「オイ何だその意味深な声は」
「いえ、あたしの裸を見て動揺してるセンパイをどうからかってやろうかなって」
「そんなことだろうと思ったよ!」
「後ろから抱き着いてあげましょうか?」
「やめろ! もう、いいから服着てくれよぉ……」
「にしし。センパイってば本当にあたしのことが好きなんですねえ」
「……好きかどうかはさておくとして、君相手にドキドキしちまうのはしょうがないだろ」
「ほう。その心は?」
「君は可愛いし、スタイルもいい。人懐っこいし明るいし……そんな魅力的な君が裸になってるんだ。ドキドキするなって方が無理な話だろ」
「…………」
……ん? なんだ、急に反応がなくなったぞ?
彼女の方を見るわけにもいかないので、背中を向けたまま俺は声をかける。
「彩三? どうした?」
「……はにゃ!? べ、別に何でもないですよ!?」
「そうか? なんか声がやけに上ずってるような……」
「き、気のせいです! センパイに褒められて照れてるとか、そういうんじゃないですからね!?」
「そ、そうか」
だとするとなにか失言しちまったんだろうか。駄目だな、女性経験が少ないせいでこういう時の正解が分からない。
「つーか、何で今日は起きられなかったんだ?」
「えっと、実は深夜まで勉強してまして……」
「なるほど、寝不足で起きられなかったのか」
「まぁ、そんな感じです。あはは……」
寝坊した自分を悔いているのか、どこか申し訳なさそうな様子の彩三。
「勉強は大事だけど、あまり無理しちゃ駄目だぞ」
「そうですよね、すみません……でも、大会には絶対に出たいんで……」
「そうか。気持ちは察するけど、頑張り過ぎないようにな」
「はーい」
凡人の俺が天才の彼女に言うことではないかもしれないけど、放っておくと過労で倒れてしまうんじゃないかと心配になってしまう。彩三が頑張り屋なことは知っているから、余計に不安が掻き立てられてしまうのだ。
俺は彼女に背を向けたまま、
「朝飯はもう作ってあるから、準備が終わったら食べに来てくれ。裸のまま降りてくるんじゃないぞ?」
「分かってますよぅ……って……あ、やば! 今日日直なんでした!」
そんな慌てた声の直後、後ろからドタバタという騒がしい音が聞こえてきた。
「すみません、朝ごはんはパスでお願いします! 急いで学校に行かないと!」
「そ、そうか? 分かった」
「ありがとうございます! あと、これから着替えるので部屋から出て行ってください! ハリーハリー!」
「お、おう」
彼女からの圧に屈するように部屋から出て、慌てて扉を閉める俺。
『にゃーっ! 急げあたしー!』
「……本当に忙しいやつだな」
彼女が食べ損ねた朝食は冷凍でもして後で食べられるようにしておこうか。
そんな事を考えながら、俺はリビングに戻っていくのだった。