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第49話 可憐な陸上姫


 彩三に勉強を教え始めて数日が経過した。

 最初は上手く学力が上がらずに苦戦していたが、最近はちょっとずつだが成績が向上している。

 教えている側から分析した感じだと、彼女は正しい勉強の仕方を分かっていないだけで、物覚え自体は

そう悪くはない。元々要領がいいので、コツさえ掴めば後は知識量を増やしていくだけで問題なかった。


「一夜さんも二葉も教えるの上手くないって言ってたし、ご両親は海外だしなあ」


 つまるところ、そもそも彼女にちゃんとした勉強法を教えられる人がいなかったのだ。

 それじゃあ教師は? と思わないでもないけど、彼らとしても、天才美少女三姉妹の一人として名高い彼女に何かを教えるのはかなりハードルの高い行いだったのだろう。しかも高校のスポンサーの娘でもあるし、機嫌を損ねたら何かあるかもしれない、と警戒してしまうのも無理はない。

 まあ、あくまでも憶測でしかないけど。


「にしても、彩三のやつ遅いなあ」


 時刻は十九時を回ったところ。今日は彩三が一緒に帰りたいですと誘ってきたため、校門前で彼女が来るのを待っているんだけど、中々姿を現さない。


「まだ部活やってんのかな?」


 メッセージを送ってはいるけど、一向に反応がない。スマホすら見ていない可能性もある。


「完全下校時間も近いし、様子見に行ってみるか」


 もしものことがあってもいけないしな。

 一応、彩三のスマホに様子を見に行く旨を伝え、陸上部の活動場所である運動場へと向かう。

 大きい学校だが、校門から運動場までは近道を使えばそう時間はかからない。数分とかからずに運動場へとたどり着いた俺は、彩三の姿を探すために周囲を見渡す――と。


 風を切る音がした。


 運動場の端も端。陸上部用に用意された百メートルのレーン。

 そこを駆け抜ける、一人の少女の姿があった。


「っ……!」


 いつもの可愛らしい笑顔はそこにはなく。ただ真剣に、前だけを見据えて足を動かす褐色肌の少女。

 凄まじい速度で走っているのにフォームは崩れず、美しい姿勢を維持したままただひたすらに風を切っている。

 時間としてはたった数秒。

 しかし、そんな短時間の光景が、俺の目と心を夢中にさせていた。


「っ……はぁーっ! いい感じ……だけど、ちょっと途中で呼吸が乱れちゃったかも。流石にそろそろ休憩した方がいいかなぁ……」


 ゴール後、ゆっくりと速度を落とし、足を止めた彩三はユニフォームの襟もとで顔の汗を拭きながらブツブツと何かを呟いていた。薄暗いながらに彼女の腹部が見えてしまい、俺はまさかの不意打ちに心臓が高鳴ってしまう。

 っと、いかんいかん。これじゃあまるで俺が覗きをしているみたいじゃないか。迎えに来たんだから、声をかけないと。

 赤くなった頬を手で仰いで冷ましながら、俺は彼女に歩み寄る。


「お疲れ様、彩三」

「あれ? センパイ……どうしてここに?」

「時間になっても来ないから迎えに来たんだよ」

「へ? ……あ、もうそんな時間ですか!? ちょっとだけ居残り練習するつもりだったのに……えへへ、すみません」


 照れ臭そうに頬を掻く彩三。


「走ってるとつい時間を忘れちゃうんですよね」

「好きなことやってるとあっという間だよな。分かる分かる」


 昔はゲームや漫画だったけど、今は家事をしている時に同じ感覚になる。特に新しいメニューを試作している時なんか、気づけば三時間ぐらい時間が経過していることもよくあるし。


「すみません、すぐに着替えてくるんでここで待っててもらえますか」

「おう。そんなに急がなくてもいいからな」

「はーい。じゃあいってきまーす。あ、あたしの着替えを想像して興奮したりしないで下さいよ?」

「いいから早く着替えてこい!」

「きゃー、センパイが怒ったー」


 ケラケラと笑いながら部室の方へと引っ込んでいく彩三。本当、どんな時でも俺をからかってくる困った後輩だ。

 スマホをいじりながら待つこと五分ほど、いつもの制服姿の彩三が戻って来た。


「お待たせしました!」

「……何でそんなに距離を空けてるんだ?」

「え゛。だ、だって、シャワーとか浴びれてないから……」

「……あー」


 今のは確実に俺が墓穴を掘ってしまったパターンだな。たくさん運動した後なんだから、汗の匂いについて女の子が気にするのは当然だ。


「すまん、デリカシーがなかったわ」

「本当ですよ! ……と言いつつ、今回は許してあげます。そもそもあたしが時間を過ぎてまで走っていたのが原因なので」


 じゃ、帰りましょ? と言って正門へと歩き始める彩三を、俺は慌てて追いかける。

 教室の電気はすでに落とされ、学校全体が闇に包まれ始めた時間帯。他の生徒の姿もほとんどなく、俺たちの話し声と足音だけが周囲に響き渡っている。


「ふー……やっぱり汗だけでも流しておけばよかったかなぁ」


 ネクタイを緩め、襟元を着崩し、胸元に手で風を送る彩三。緩んだ襟元からは、健康的な褐色の肌が見えてしまっている。よくよく見てみると、胸のふくらみまでもが見え――


「やーん。さっきからどこ見てるんですか? センパイのえっち」

「っ! ち、ちがっ……別に胸元を覗いたりとかしてないが!?」

「誰もそこまで言ってませんけどぉ? 勝手に自爆するなんてマジウケますね」

「ぐっ……す、すまん。目を逸らすべきだった」

「別にいいですよぉ? ほら、彩三ちゃんの胸元をもっと見て見て♪ ボタン、もっと開けてあげましょうか?」

「やめろやめろ! 俺が悪かったから悪ノリするな!」

「あはは! センパイってばやっぱり反応かわいいですねー♪ からかい甲斐があります」


 今、俺の顔は紅蓮に染まっていることだろう。年下の女の子にこんなにもからかわれるだなんて……これだから童貞は、とか心の中で思われているかもしれない。

 彩三は制服を着崩したまま、満足したように吐息を零す。


「ま、それはそれとして、今日は待ってくれてありがとうございます」

「一緒に帰るって約束してたからな」


 買い出しは昨日の内に終わらせているので、今日は時間に比較的余裕があったしな。


「勉強しないといけないのは当然なんですけど、大会も近いので、時間が許す限り走っていたいんですよね」

「彩三は本当に陸上が好きなんだな」

「はい! 短距離走も長距離走もハードルも全部好きです! あたし、走ってないと死んじゃう生き物なんで。マグロみたいなものですね」


 どうでもいいけど女の子が笑顔で「マグロ」とか言わないで欲しい。え、どんな意味かって? お、俺は健全な男子高校生なのでどんな意味なのかまでは知りませんが……。


「だから、次の期末テストでは何としてでも赤点を回避して、大会に出なくちゃいけないんです!」

「だな。俺も家庭教師として、心を鬼にして全力でサポートするよ」

「あ、彩三ちゃん的にはアメも大事だと思うんですけど……」

「(にっこり)」

「無言で笑顔の圧かけてくるのやめてください! うぅ、センパイの鬼教師ー!」


 涙目で「うわーん」とわざとらしく泣く彩三。

 彼女が大好きな陸上を諦めないで済むように、俺も頑張らないとな。



  ★★★



 センパイと一緒に下校して、家族一緒にご飯を食べて、またセンパイと一緒に勉強して……そんな最近の日課を終えた後、あたしは自室で電話をしていた。


『陸上の方は順調か?』

「うん。最近タイムもいいし、これなら大会でも優勝できると思う」

『そうか。流石は私の娘だな』

「えへへ……」


 電話の相手は、海外にいるお父さん。今日は週に一度の近況報告の日なの。


『だが、陸上以外の方は芳しくないようだな』

「っ……ど、どうして知ってるの?」

『私はスポンサーだぞ? 娘の学校での成績を把握するぐらい大した手間ではない』

「そ、っか……」


 スマホ越しに聞こえる声に、思わず冷や汗が噴き出してしまう。大丈夫、まだ怒ってない。


「で、でも、センパイが家庭教師をしてくれることになったんだ。だから、成績の方は何とかするよ」

『当然だ。天王洲家の人間が勉強如きで躓くなどあり得ないからな』

「う、ん……そうだよね……」

『一夜や二葉のように勉学にも励みなさい。天王洲家の人間として、失敗は許されないぞ』

「……うん、分かってる」

『では、私はこれから会議があるので切るぞ。良い報告を待っているからな』

「はい……」


 ブツリ、という無機質な音と共に通話が切られた。

 あたしはベッドの上にスマホを放り投げると、そのまま自分も仰向けにベッドへ倒れこむ。


「……一姉や二姉みたいに、か」


 この世に生まれてきてから、ずっと言われてきた言葉だ。

 立派な姉たちのように、お前も頑張りなさい――と。


「……あたしは出涸らしなんかじゃない」


 呪いの言葉を消したい一心で、前髪をくしゃりと握り潰す。


「……勉強、しないと」


 ベッドから飛び起き、机へと向かう。

 鞄から教科書を取り出し、机の上に広げる。


「絶対に大会に出るんだ。絶対に……!」


 零れる涙をこらえつつ、深夜の勉強を開始する。

 眠気なんて知った事か。

 天王洲家の人間として、あたしに失敗は許されないんだから――。



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マイクロビキニまで見てるのに、今更胸元なんて… と思いながらも見てしまう悲しい性
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