第32話 家族なんかじゃない
帰り道に通りがかった公園で、母さんと再会した。
「…………」
「…………」
夕暮れ時の公園のベンチで、俺は母さんと並んで座っている。二葉は少し離れたところで、おそらく母さんの子供と思われる少年の相手をしてくれている。二葉には先に帰ってくれと伝えたのだけど、「今、理来を一人にしたくない」と頑なに断られてしまった。家庭の話なのであまり関わってほしくない気持ちはあるけど……正直、彼女の気遣いはとても助かる。
賑やかな子供の声に反し、俺たちは重苦しい静寂に包まれていた。お互いにどう話を切り出せばいいのか分からないのだ。特に、俺からしてみれば彼女は急に家を出ていって、そこから音信不通になった過去の人。血は繋がっているけれど、関係性で言えばもはや他人に近しい。
だけど、このままずっと黙っているわけにはいかない。俺は深呼吸をして、自分の心を落ち着かせる。
「……久しぶり」
「…………ええ」
「いつぶりだっけ? 俺が中学に入る前ぐらい?」
「そうね……」
返答に覇気は感じられない。
まあ、無理もないだろう。
だってこの人は、俺の親であることを自ら放棄したんだから。
日本において、子供の親権が父親にわたる事はほぼあり得ない。だけど、今の俺は親父と同じ姓を名乗って生きている。
これが何を示しているのか。
この人は、親権を自らの意思で放棄したのだ。
「なぁ、あの子は……」
「……私の子供よ。今年で六歳になるわ」
私の子供。
その言葉は胸の奥まで深く突き刺さった。
「……昔と違って、今は幸せそうだな」
「…………」
駄目だと分かっていた。
そんなことを言ったところで仕方がないって分かっていたけど。
「俺の母親であることはすぐにやめたくせに。家庭を捨てて他の男の相手ばっかりしてたくせにな」
「それは……」
「妹の世話だってまともにしてなかったのに、新しい子供は育てられるのか。随分と切り替えが早いんだな」
俺の前ではほとんど笑わなかったこの人が、新しい子供の前では笑っていたこの現実がどうしても受け入れられなくて――思いつく限りの嫌味を口にしてしまった。
「…………」
俺の前にいる女は、何も口にしなかった。
ただ、気まずそうに俺から目を逸らすだけ。
「……話す事もないし、俺は行くよ」
これ以上、この場にいたくなかった。
一秒でも早くここから離れたかった。
「り、理来……」
「大丈夫。ごめんな、変なところ見せちまって」
心配そうな顔で顔を覗き込んでくる二葉に、精一杯の笑顔を見せる。……いいや、きっと笑顔なんて浮かべられていない。こんな顔を二葉には、絶対に見せたくなかったんだけどな。
ベンチから立ち上がり、その場から去ろうと鞄を持ち上げる。些細な動作のはずなのに、重石が乗ったかのように体が重い。
「……ごめんなさい、理来」
母親だった人が、目も合わせずにそんなことを言ってきた。
何か返事をするべきだろうか。でも、今ここで口を開いたら、また口汚く罵ってしまいそうだ。
だから、俺は無言を貫くことにした。
母親だった人を無視し、二葉をつれて公園の外へと歩き出す。
――と。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ばいばーい! またねー!」
そんな子供の声が背中越しに浴びせられる。
でも、俺は振り返ることも手を振ることもしなかった。
俺が選ばれなかった彼女の子供という役に収まったヤツのことなんて、視界にも入れたくないと思ってしまったから――。
★★★
俺は、買い物もせずに帰宅した。
家にはまだ誰もおらず、電気一つついていない。
真っ暗な廊下を進み、リビングへとたどり着く。
「…………」
重苦しい沈黙の中で、俺はいろんなことを考える。
夕飯を作らなきゃ。買い物もしてないのに? みんなに美味しいものを食べてもらわなきゃ。他人の料理なんて誰が喜ぶんだ。迷惑はかけられない。居候だから当たり前だろ。一歩も動きたくない。怠け者を養ってくれる人なんていないぞ。もう何も考えたくない――
「…………」
――そんなんだから母親に捨てられたんだろ。
「…………っ」
自分の声が頭の中で俺のことを責め立てる。俺は何も悪くないと分かっている。あれは親父と母さんがちゃんと話し合った上で、とっくの昔にケリがついている話だ。養育費だって振り込まれている。だから、今さら考えたって仕方のない話だ――そんなことは分かっているのに。
あの人は俺のことを家族として認めてくれなかった。
そして、新しい家族と幸せそうに暮らしていた。
俺のことは見捨てたのに。
「……二葉」
「な、なに?」
びくっ、と二葉が動揺する気配がした。驚かせてごめんと謝りたかったけど、そんな気力はなかった。
「今日は、みんなで外食でもしてくれ」
「わ、分かった。でも、理来は……?」
俺? そうだ、俺はどうすればいい?
みんなで外食に行くんだから、俺も行くべきだ。だって、俺たちは家族なんだから――
「……ちょっと疲れたから、俺は先に寝るよ。三人で行ってきてくれ」
――戯言を言うな。
何が家族だ。俺は三人と血なんて繋がっていない。
俺はあくまでも居候。家事代行として家に置いてもらっているだけの他人なんだ。
実の母親から捨てられたくせに、その代わりを三人に求めるのはやめろ。
だって、そもそもおかしな話じゃないか。
「……自惚れんな、馬鹿」
凡人である俺が、天才たちの家族になろうとするだなんて。
勘違いも、甚だしい。
【あとがき】
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