第28話 デートの目的
「へぇ。趣味の喫茶店っていうからどんなものかと思っていたけれど、結構メニューは豊富なのね」
楽器屋に併設されている喫茶スペースにて、俺は案内されたテーブルで一夜さんと共にメニューを眺めていた。
(しっかし、遠慮を禁止するって……俺はどうしたらいいんだろうか)
ここに移動する前に一夜さんから命令されたこと。
それは、俺が彼女に遠慮することを禁止するというもの。
確かに、俺は一夜さんに遠慮している。正確には、遠慮というより畏怖とかの類の感情なんだけど……そういう一歩引いた態度が、どうやら彼女のお気に召さなかったらしい。
正直言って、今から急に一夜さんへの態度を変えるというのは難しい。天才三姉妹、しかもその長女である一夜さんは、俺にとってはまさに雲の上のような存在だからだ。
だけど――
(今日は一夜さんの恋人としてここにいるしな)
俺は一夜さんを楽しませるために、今日、デートに来ている。俺の身勝手な気持ちで彼女のテンションを下げてしまっては元も子もない。
できるかどうかは分からないけど、彼女がそれを求めるのならば、俺はやるしかない。
だって、俺はあくまでも彼女たちに居候を許された身なのだから。
「い、一夜さん……は何を頼みますか?」
「そうね……これにしようかしら」
そう言って、一夜さんはメニューの一角を指さした。
『ラブラブカップルジュース』という、どう考えてもやばそうなジュースの写真を。
「じゃあ店員さんを呼ぶわね。すいま――」
「待って待って待って待って待って待って」
流れるようにイベントを進めようとする一夜さんを慌てて制止する。
一夜さんは頬を膨らませ、拗ねたように口をも尖らせる。
「なによ」
「こんなの、人前じゃ飲めませんよ! 恥ずかしいじゃないですか!」
「なにが恥ずかしいの? カップルなんだからこれぐらい余裕じゃない」
「顔真っ赤にしてるくせによくもまあいけしゃしゃあと!」
無理をしているのが一目瞭然だった。なんなら声も震えてるし。
「やめておきましょうよ。別にわざわざそんな露骨なものを飲む必要ないじゃないですか」
「あるわ。今日はカップルらしいことをしないといけないんだから」
「……それが俺をデートに誘った理由ですか?」
デートをしようと言われた時から気になっていたけど、終ぞ聞けていなかったことをぶつけてみる。
一夜さんは困ったような表情を浮かべながら、
「まぁ……そう、ね」
「事情を聞いてもいいですか?」
「それは、もやもやしたままだとデートに差し支えるから?」
「まあそれもありますけど……一夜さんがもし困っているなら、力になってあげたいなって」
「ふふっ。遠慮するなって言った傍からぐいぐいくるのね」
「命令されていなくてもこれぐらいならやると思いますよ、俺は」
「……そうだったわね。うん、あなたは、そういう人だったわ」
さっきも似たようなことを言われたけど、前回と違って、彼女は少し嬉しそうな顔を浮かべていた。
一夜さんは店員さんにアイスティーを二人分頼み、それがテーブルに届いたところで話の続きを口にし始めた。
「実はね、今度コンクールに出ることになっているのだけれど……そこで演奏する予定の課題曲で難航しているの」
「難航って……一夜さんが?」
「私だってスランプになる時ぐらいあるわよ」
当たり前でしょ、と笑う一夜さん。だけど、曲が上手く弾けずに悩む一夜さんの姿なんて、俺にはあまり想像はできなかった。
一夜さんはアイスティーで唇を湿らせる。
「次の課題曲は、フレデリック・ショパン作曲『ピアノ協奏曲第二番第二楽章』。この曲は、ショパンが同じ音楽院に通う歌手の女性への想いを表現したものだとされているわ」
「へぇ……ラブソングみたいなものなんですね」
「ええ。でも……ううん、だからこそ、私はこの曲の魅力を十全に引き出すことができない」
――だって私は、恋なんてしたことがないから。
どこか悲しそうに、同時に寂しそうに、一夜さんは呟いた。
「だから、少しでも恋がどんなものなのか分かりたくて、あなたをデートに誘ったの。先生からも、誰かとデートをして恋愛経験を増やしてこいと言われてしまっていたしね」
「なるほど……」
「私の都合にあなたを付き合わせてしまったことは申し訳なく思っているわ。でも、私はどうしても、次のコンクールで優勝しなくてはいけないの」
一夜さんは覚悟の決まった瞳を俺に真っ直ぐ向けながら、
「それが、天王洲家の長女として生まれた、私の義務だから」
凡人である俺は、天才である彼女の気持ちなんて一ミリも分からない。
だけど、目標のために努力をするその姿がとてもかっこいいということぐらいは、凡人である俺でも理解できる。
彼女は欠けているピースを埋めるために、俺にデートを申し込んだ。
それならば、俺が今やるべきことは……
「店員さーん! すいません、このラブラブカップルジュースをひとつ!」
「ちょっ……な、何を頼んでるのよ!?」
「恋について学ばなければならないんですよね」
一夜さんは、俺に「遠慮するな」と命令してくれた。それは凡人だからという理由で彼女たちから距離を置いている俺に気を遣ってくれた、何よりもの証拠だ。
俺は済むところを与えてくれた彼女たちのサポートをすると決めている。
ならば、今ここで彼女たちの大事な時間を、俺なんかが浪費するわけにはいかない。
本物の家族にはなれないかもしれないけど、同じ家に住む偽りの家族として、俺は彼女たちにできることを精一杯やらなくてはならない。
それが、俺が彼女たちの傍にいるために必要な義務だ。
「なら、やれることは全部やりましょう! どんなことでも協力します! 一夜さんさえ望むなら、キスの覚悟もすぐに決める所存です!」
「キッ……だ、誰もそこまでしろとは言ってないわよ!」
「恋を学ぶためには何が必要ですかね? 一夜さんをドキドキさせるとかどうでしょう? 俺、恋愛経験はほとんどないですけど、お望みであれば心にチャラ男を憑依させてみせますよ!」
「お、落ち着きなさい! もう……相変わらず、話を聞かないんだから……」
困ったように一夜さんは言う。しかし、その顔には笑みが浮かんでいた。
せっかくのデートなのに、一夜さんに余計な気遣いをさせてしまった。
ここから、改めて始めよう。
たった一日だけの、偽りの恋人同士による本気のデートを。
【あとがき】
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