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第一夜 ベッドの下男 5

 一か月に一度、女はそそくさと外出する。最初はなんの用だろうかといぶかしんでいたが、今思えば精神の病院に通っていたのだろう。


 そして今日も疲れ切った顔をして、大量の薬の入ったビニール袋を提げて女が帰ってきた。


「ただいまー」


 ごつごつ、とベッドの天井を叩いて返事をする。こういうコミュニケーションにももう慣れた。


 女は薬袋といっしょにベッドにダイブすると、しばらく無言で動かなくなった。外出でよほどのエネルギーを使ったらしい。もちろん『ベッドの下男』は外出などしたことがなかったが、それほどまでに過酷な旅路だったのか。


 ネジを巻いたオルゴールのように急に動き出した女は、がさがさと薬袋を漁っていくつもの薬を手のひらに乗せた。そして、ベッドサイドに置いてあったペットボトルの水で一気に流し込む。


 はぁ、と水中からやっと顔を出したときのごとくため息をつくと、女は着替えもせずベッドの上ですやすやと眠り始めた。


 珍しい。いつもなら明け方まで起きていて、少しだけうつらうつらとするくらいの不眠症なのに。薬とはそんなに効くものなのだろうか。


 結局、女は夜更けになるまで眠っていた。


 むにゃむにゃと目を覚まし、時計を確認すると、


「……あー……私、こんなに眠れたんだ……」


 と、感慨深そうにつぶやいた。


 『怪異』とは違い、人間には睡眠が必要だ。それを欠いているから精神を病んでいるのか、精神を病んでいるからそれを欠いているのかはわからない。が、眠れたことは女のこころにとってとてもいいことのように感じられた。


「なんかさ、下に君がいると思うと、安心しちゃってさ」


 よく眠れたのはそれが理由かもね、と女が笑う。


 普通は逆だ。こんな不気味な『怪異』とマットレス一枚隔てただけの状態だと知れば、マトモな人間は眠れるはずがない。


 それを、『安心してよく眠れた』だと?


 女がマトモではないことはよくわかった。


 そして、それを快く思う自分がいることにも気づいた。


 こんなことでは『怪異』失格だ。


 『ベッドの下男』はしゅんとうなだれる。


 この女に見つかって以来ずっとこうだ。『怪異』にはあってはならないはずの感情が次々とわいてくる。もはや『ベッドの下男』は、『怪異』ではなく人間に近い感情を持っていた。


 それもこれも、全部この女のせいだ。ひと……いや、『怪異』のことを散々振り回して、こころを乱して。こうなったからには見届けさせてもらおうではないか。この女の行く末を。


 それまでは、この生活に付き合ってやろう。


 この女はもう自分がいなければ生きていけないようになってしまったらしいのだから。


 女が自分を罰するというのなら、自分が許して、いっしょにいなければならないのだ。


 これは完全なる共依存関係だったが、本人はまったく気づいていない。


「えへへ、よく眠るって気持ちいいね。こんな時間だけどお腹空いちゃった。ちょっとコンビニ行ってくるね」


 女はうれしそうに言うと、いつものスウェットに着替えて一旦外出してしまった。夕食と大量のじゃがりこチーズ味を買ってすぐ戻ってくる。


 滅多に食事らしい食事をしない女は、半人前程度の夕食を食べ終わると、お腹をさすってベッドにもたれかかった。


「あー、まんぷく。余は満足じゃ」


 おどけて言っては食後の薬を大量に飲む。今は調子がいいかもしれないが、女は精神を病んでいるのだ、薬の助けが必要だ。


 薬を飲むと、女の目つきがとろんとする。こころの安定が保たれているのか、それとも平板になっているのか、両方か。凪のような状態で女はぽつぽつとつぶやき始めた。


「君といっしょにゲームしたり、じゃがりこ食べたり、お話……は一方的だけどできたり、ただいまって言えたり、マットレス越しだけどいっしょに眠れたり……最初は、神様が私っていう不良品を始末するために送り込んだんだと思った。けど、違うみたい」


 女はテレビをつけてぼんやりと眺めながら続けた。


「もしかしたら、神様は私にチャンスをくれたのかもしれない。こんなサイテーな私が変われるチャンスを、さ。それを活かせるのかどうかは私次第だけど、少なくとも今は、ちょっと楽しいって気分になれるんだ。前までは毎日泣いて暮らしてたのに」


 たやすく想像がついた。毎日毎日ベッドの上で見もしないテレビをつけっぱなしにしながらすすり泣き、限界が来たらバスルームで手首を切る。そんな灰色の生活だ。たしかに、『殺していいよ』と言ってもおかしくない。


 しかし、『ベッドの下男』という同居人ができて、女は笑うようになった。他人とのつながりによって自分という存在の輪郭を確認した。観測者が自分だけでは自分という存在は観測できない。他者が観測することによって、はじめて自己というものが浮き上がるのだ。


 もしかしたら、自分は生きていてもいい存在なのかもしれない。


 少しでもそう思ってくれるだけで、『ベッドの下男』は満足だった。


 もう当初の目的である『この女を惨殺したい』という思いは微塵も残っていない。


 それどころか、女を生かそうとしている。


 どれだけ滑稽だとしても、それが自分の生まれた意味のように感じられた。


 ぼやけたまなざしをテレビに向ける女の左手首をそっと握ってみた。もうこの前の傷はかさぶたになっていて、赤黒い痕跡が白い肌を痛々しく彩っている。


「なぁに?」


 女は傷に触れられても嫌がるそぶりを見せなかった。それが自分が受け入れられている証のような気がして、『ベッドの下男』はなんとなくうれしくなってしまった。


 もう自分は『怪異』でも人間でもなんでもない存在だ。


 自分は一体なにになってしまったのか?


 そう考えると断崖絶壁の上に立っているように背筋が冷えた。


「ね、ゲームしよ、朝まで。そしたらまた寝るからさ」 


 いつものようにじゃがりこをカーペットの上に置き、ゲーム機のコントローラーを渡してくる女。


 そんな女には、この気持ちはわからなくていい。


 もやもやを抱えたまま、『ベッドの下男』はコントローラーを受け取る。


 今夜もまた、長い夜が始まった。


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