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第三夜 口裂け女 8

『今度僕の家に来てください』


 通話での会話中、マスク男はそんなことを口にした。


「……家に、ですか?」


『はい』


 なにかしらの決意を秘めた声音で答えるマスク男。


 一般的に、男のひとの家に呼ばれるということは、その男のひとと相当親密な関係が出来上がっていると言える。なんならもっと親密になりたくて家に呼ぶのだ。


 『口裂け女』は迷った。もっと親密になれば、それだけ終わりが早くなる。毎晩マスク男のことを思って胸を締め付ける甘い苦しみともサヨナラだ。


 それはイヤだった。


 しかし、いつまでも逃げ回っているわけにはいかない。


 決着をつけなければならないのだ。


 『口裂け女』はこころに決めて、


「……わかりました、お邪魔します」


「やった!」


 快哉を叫ぶ男。対して、『口裂け女』は早くも気が滅入ってしまった。近づくほどにタイムリミットが短くなっていく。なんとも残酷なシステムだった。


 その日は通話を切り上げて、予定のすり合わせをして、マスク男の自宅へ招かれる日がやって来た。


 マスク男に選んでもらった服を着て、駅まで迎えに来てもらう。


 道中、珍しくマスク男は言葉少なだった。『口裂け女』もあまりしゃべらず、沈黙がところどころに生じる。


 やがて小洒落たマンションへとやってくると、マスク男は自分の部屋へと『口裂け女』を導いた。


 ドアを開くと、いかにもマスク男が好みそうな部屋が広がっていた。広々としたワンルームには観葉植物がたくさん置いてあり、置いてあるソファも質の良さそうなファブリックを使っている。


「どうぞ、上がってください」


「お邪魔します……」


 靴を脱いで部屋に上がると、窓からは川の流れる街並みが一望できた。


「素敵なお部屋です、ね……」


 『口裂け女』の言葉が尻すぼみに小さくなっていく。振り返った瞬間、マスク男に抱きしめられたからである。ぎゅう、と抱きすくめるように腕を回し、少し荒くなった息が耳元にかかった。


 一気に体温が上がった『口裂け女』は、顔を真っ赤にして狼狽した。


「あっ、あの!」


「……すいません……けどもう、我慢できません」


 切羽詰まった切なげな声音に、背中をぞくりと電流が走り抜ける。


 あの紳士的でスマートなマスク男が、いきなり抱き着くという行為に走っている。そうさせたのは他ならぬ『口裂け女』だ。


 その事実にうっとりして、そして『口裂け女』はトドメの一言を待った。


「……僕、あなたのことが大好きです……大切にしたいんです……付き合ってください……!」


 ああ、とうとうこの日がやって来てしまった。落胆と安堵のはざまで、『口裂け女』はそっとマスク男からからだを離した。


 そして、マスクを外してお定まりの言葉を告げる。


「……これでも……?」


 マスクの下に隠してあったみにくい素顔が、間接照明に照らされて浮かび上がった。誰もが逃げ出すバケモノの顔だ。実に醜悪で、いびつに歪んでいる。


 最後の日が来てしまった。


 もう逃げられない。


 泣きそうになりながらも、『口裂け女』は引き攣れた笑みを作った。


「……私たち、出会わなければよかったですね……」


 マスク男はバケモノと罵るだろう。出て行けと、二度と来るなと追い出すだろう。


 そして、『口裂け女』はきらきらした思い出だけを胸に、以前と同じような生活に戻っていくのだ。


 すべて元に戻るだけだ、心配ない。


 ……なのに、今にも泣き出しそうなのはどうしてだろう?


 素顔をさらけ出してマスク男の反応をうかがう。最初は目を丸めて驚いていた様子だったが、しばらくして真顔に戻ると、


「はい、それでも」


「…………は?」


 一瞬、なにを言われたのかわからなかった。あまりに平然と言われたので、理解できない方がおかしいと思ってしまう。が、今のところおかしいのはマスク男の方だ。


 『口裂け女』が間の抜けた顔で固まっていると、マスク男は再びやんわりと『口裂け女』を抱きしめた。


「そんなのは、太っているとか容姿が劣っているとか、そういうのといっしょです。マスクさえ似合っていれば、僕にとっては美人なんです」


「……えっ……でも、私『怪異』で……」


「恋をする相手が人間じゃなくちゃいけないなんて、誰が決めたんですか?」


 逆に問い返されて、言葉に詰まる『口裂け女』。沈黙しているうちに、マスク男はさらに言葉を連ねる。


「こころも美人だ。僕は人間としてあなたを尊敬するし、あなたが何者であっても受け入れます。だから、出会わなければよかった、だなんてかなしいこと言わないでください」


 『口裂け女』を繋ぎ止めるように、抱きしめる腕にちからがこもった。


 九回裏ツーアウト満塁、そんな状況からのサヨナラホームランだった。


 まさか、この恋が実るなんて。


 絶対に両思いにたどり着いてはいけないと思っていた。それは別れのときだと。


 しかしマスク男はその選択肢を選ばなかった。


 どうやら、自分は恋をしてもいいらしい。


 これからの未来もこのマスク男といっしょに歩んでいけるらしい。


 それがたまらなくうれしくて、とうとう『口裂け女』の涙腺が崩壊してしまった。


 マスク男の胸の中でわんわん泣き、涙はマスク男のシャツに吸い込まれていく。それをいといもせず、マスク男はなだめるように『口裂け女』の背中をあやした。


「そんなことで悩んでたんですね……バカだなぁ、僕がそんなことで動じるような人間じゃないことくらい、わかってたでしょう」


「……でもっ……!……わだじ、ごんながおだじ、『がいい』だじ、ごみゅじょうだじ、めんへらちゃんだじ……!」


「そういうところ、まとめて全部好きなんですよ。僕の覚悟を舐めないでください……つらかったですね。気づけなくてごめんなさい」


「……う、ううっ……!」


 次から次へとあふれ出す涙に溺れ、『口裂け女』はしばらくの間号泣していた。その間、ずっとマスク男が背中をさすってくれていた。


 泣き声が鼻をすする音に変わるころ、マスク男は居住まいを正して『口裂け女』と対峙して告げた。


「改めて、僕と付き合ってください。絶対しあわせにしますんで」


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