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28話 きっとわたしは

 魔王さまが目をまん丸にする。今まで見てきた魔王さまの表情の中でも一番「ポカン」って感じのお顔だ。


「だって、わたし、魔王さまに触れられたこと何度かありますけど、一度も嫌でビリビリしたことなかったですし……」

「そ、それは、不躾な触り方はしてこなかったから……。…………だろう」


 しどろもどろの魔王さまの沈黙は長かった。


 眉を下げ、切れ長の眼を伏せながら視線を彷徨わせる魔王さまの姿がかわいらしく見えて、なんだか笑ってしまった。

 そして不意に、ああそうかと自分の中で何かが腑に落ちた。




「……わたし、きっと、魔王さまのこと好きなんだと思います」

「……………………」


 あ、さっきのお顔が一番「ポカン」だと思ったけど、記録更新だ。魔王さまは目を大きくしたまま固まってしまった。


「……メリア、その、君は」


 魔王さまは困っていた。ああ、やっぱり、魔王さまはわたしをそういう目では見ていない。ただただ魔王さまは真面目でいい人だから、優しいんだ。そういうところが好きだなあと思ったんだけれど。


「……ごめんなさい、迷惑、ですよね……」

「違う、そうじゃない、君が……そう、感じてくれたことは、嬉しい」


 肩を落とすわたしに、魔王さまは慌てた様子で、早口に言う。


「前に、魔力回路の話をしたろう」

「はい」


 覚えている。まだ体力の回復し切らない両親を看ている時に隣にいて話してくださったことだ。

 わたしの体の中にあった魔力が今は魔王さまのお体に戻っていったから、それで魔王さまに懐かしさなどを感じるのだろう、と。


「君を見ていると、俺はすごいドキドキしてしまうが、これは魔力回路の動きによるものだと思っている」


 わたしは魔王さまの言葉の続きを待つ。魔王さまは、とても言葉を選んで話されているようだった。


「……君は、普通の女の子に戻って、いろんな経験をして、いろんな人に出会って、……いろんな恋をするべきだ」

「……はい」


 魔王さまは優しい。でも、これは、「フラれた」ということだろう。

 どこまでも、優しい言い方をしてくれているけれど。


 魔王さまに「はい」と返事をして、それからわたしは俯いてしまった。魔王さまからも、同じ答えをもらえるとも思っていなかったのに、いざ答えが返ってくると、落ち込むものなのねと初めての遅まきの春を、顔を俯かせたまま浅く笑った。




「──俺も、その、正直、君のことが、とてもかわいいと、思っている。けれど、それを……恋だとしてしまうのは、早計だと考えている」


 ふと、魔王さまの声が降ってきて、驚いて顔をあげる。

 パチパチと瞬きをしながら魔王さまのお顔を見つめれば、魔王さまは気恥ずかしそうに目線を逸らした。


「か、かわいい?」

「……君のことはすごい、かわいく見えている」


 コホン、と誤魔化すように咳払いをしつつ、でも、魔王さまはハッキリとわたしのことを「かわいい」と言った。

 これは、なんだろう。優しい言葉の「ごめんなさい」で終わったと思っていたら、何か続きがあるらしい。


 魔王さまを困らせると分かっていてもわたしは目を煌かせて魔王さまを見つめてしまっていた。


「……初めて会った時からずっとだ。君が俺の魔力を持っていたせいでその時魔力回路が目まぐるしく反応して盛んに動いていた。それを、錯覚したままでいるのかもしれない……と、思っている」

「錯覚……」

「すまない、こんなことを言って。でも、お互いに、大事なことだと思うから……」


 魔王さまのお言葉をなんとか読み取ろうとわたしは必死になる。これは、「お断り」の続きなのか、「もしかして」なのか。魔王さまの頬が、ほのかに赤く染まっている。


「……俺たちはまだ、お互いのことをそんなに知らないだろう? 君が明るくて、優しくて、かわいらしい女の子だってことくらいは知っているが、知らないことの方が多いんだ。君だって俺のことはそう知らないだろう?」


 魔王さまに言われて、わたしは口元に手をやりながら考えた。


「……好きな食べ物、魚より肉派、甘いもの好きだけど辛いのも好き、味が濃い方がお好み」

「メリア?」

「お眠りの時の体位は側臥位で丸くなってお眠りのことが多いけど熟睡している時はうつぶせのことも多い、左利き、基本ポーカーフェイスだけど口元はあまり動かされないけど結構目の動きはあるし驚かれた時はわかりやすい、お飲み物は熱めがお好き、足の指は人差し指より薬指の方が長い……」

「め、メリア。なんだ、どうした」

「わたしが魔王さまについて知っていることを挙げていこうと思って……」


 もっともっと知っていることはあるけれど、魔王さまに止められてわたしは指折り数えて挙げるのはストップした。魔王さまは怪訝な顔をしていたけど、フッとお顔を和らげて微笑ましくわたしを見つめた。


「……君は、よく見ているな」

「おそばで働かせていただいていましたからね!」

「……それで、その」

「わたし、結構魔王さまのこと、知っているつもりでしたけど、やっぱりまだまだ……でした?」

「…………。その、そういうことでは、なくてだな。いや、そういうことでもあるんだが、こう、もっと……いろんな側面を知っていくべき、というか……もっと共に過ごす時間を経るべきというか……」


 小首を傾げながら問えば、長めの沈黙ののちに、とりとめのない回答が返ってきた。


 魔王さまもこれ、自分が「お断り」のために話しているのか、「もしかして」の話をしているのか、わかってないんじゃないだろうか。


「……俺は、君を目の前にしていると『かわいい』で頭がいっぱいになってしまって、ダメなんだ」

「……はあ……」

「その、だから……。……君よりも、俺のほうの、問題だな。これは」


 魔王さまは眉を下げて苦笑を浮かべられた。


「君の、気持ちはすごい……嬉しいんだ。本当に、だから、困っている」

「……はい」

「少し、時間を置いて……考えよう。お互い」

「……」

「……だから、その、だ。君にはこれから、自由に……過ごして、自由に誰かを好きになってほしいと思っているんだが、もしも……」


 魔王さまは、一度言葉を切る。一瞬、眼を逸らして、それからまたわたしの顔を真っ直ぐと見下ろし、口を開いた。


「その、俺も……君と一緒にいる時でもドキドキしなくなる……いや、魔力回路が落ち着いたままでいられるようになっても、君に今と変わらない気持ちを抱いていると確信できたら、その時は改めて、俺から君に気持ちを伝えたい」


 わたしは瞬きをせず、魔王さまを見つめていた。魔王さまの艶やかな黒髪が風にあおられ、たなびく。ザアッという風の音がやたらと鮮明に耳に響き、わたしの鼓動を揺らした。


「……歯切れの悪いことを言ってすまない。その、君のどんな恋も誰を好きになっても、それを応援したいという気持ちも本当だから、君を俺に縛っておきたいという意味ではないんだが……」

「いえ、あの、嬉しいです」


 これは、どうも、おそらく。

 「お断り」ではないようだった。ホッとするような、この甘酸っぱい気持ちがまだ続くのかと思うとホッとはできないような。でも、やっぱり、ホッとして、わたしは緊張して引き締めていた口元がふと緩んだ。


「……でも、魔王さまがわたしにドキドキしてくれなくなるのは、ちょっと残念ですね」

「…………あまり、そういうことを言わないでくれ」


 笑いながら言うと、魔王さまははあとため息をつかれた。そして、深い青の瞳を細めて見下ろされて、その眼が少し潤んで見えて、どきりとする。


「……俺が君にドキドキしていたら、君は嬉しいのか?」

「そうなんだ、って思ったら、わたしもちょっとドキドキしちゃいます」


 えへへ、と笑うと魔王さまは眉の間に深い深いしわを刻み込んだ。ともすると、不機嫌そうな怖い顔だけど、なんだか今はとても愛らしく見えてしまった。


「……魔王さま、困ってます?」

「…………そうかわいいことを言われると、抱きしめたくなる」

「いいですよ?」


 ぼそ、と呟かれた言葉に少し驚く。魔王さまがそんなことを言うなんて。そう思いつつもわたしは小首を傾げて魔王さまをじっと見上げた。わたしの返しに、魔王さまは赤い顔のまま目を眇める。


「……そんなことを言って。どうなっても知らないぞ」


 魔王さまの掠れた低い声が、耳をくすぐる。思わずドキ、と心臓を跳ねさせて魔王さまを見上げれば、頬を染めながらも、眉根を寄せていらっしゃった。


「……いや、それで痛い目を見るのは俺だな」

「魔王さまは電撃ビリビリにはなりませんって」


 くすくす笑いながら両手を広げて見せても、魔王さまは難しい顔をして首を横に振っていた。




「……俺はこれから、この国を離れるが……メリア。君の幸せを祈っている」

「魔王さま……。ありがとうございます」


 これにて、わたしの人生初めての告白は幕を閉じた。




 『保留』というのが、この成果には相応しいだろう。

 ただ、「好き」と言葉にしたら、わたしは思いの外スッキリした。

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