27話 「魔王さまがそうなんじゃ」
「メリアさん、それはね。……『LOVE』ですよ」
「ら……らぶ?」
ディグレスさんは、眼鏡のふちをクイ、とあげつつ頷いた。
「……ディグレスさん、その眼鏡は」
「おや、そんな意地悪なことを……。……『ニセモノ』ですよ、これはね」
フフ、とディグレスさんは金色の瞳を細める。ディグレスさんは魔力を失っていたときは目が全然見えなくて、本気の眼鏡をかけていたけれど、力を取り戻した今、視力に問題はない。つまり、これはファッションの眼鏡である。
「ディグレスさん、眼鏡似合いますよね。なんだか……あるべき姿、って感じがします」
「ありがとうございます。私も、これが落ち着きますね」
ディグレスさんはしばらくは裸眼で過ごしていたらしいけど、やっぱり眼鏡があった方が、という結論に至ったらしい。
「メリアさん、話を逸らしましたね? ……『LOVE』ですよ」
「うっ……」
ディグレスさんは力強く、『LOVE』と改めて言い直した。
そう、実はディグレスさんに、少しボロッと言ってしまったのだ。魔王さまがいなくなることがとてもさびしいのだと。魔王さまが、両親が良くなるまでそばにいてくれたことがとても嬉しかったのだということを。
ディグレスさんはややオーバーじみた仕草で胸に手をやり、金色の瞳をキラキラと輝かせた。
「だって、私の魔力もメリアさんの体の中にあったのですよ? ですが、私は特段、それでメリアさんに特別愛しさ、嬉しさ、懐かしさ、寂しさといった感情は湧いてきません。特別な胸のときめきも……」
「う……でも、魔王さまは……」
そう言ってたのに。言葉を濁しているとディグレスさんは苦笑を浮かべた。
「……あのお方も、大概ですからねえ。真面目すぎる、といいますか」
やれやれ、とディグレスさんは肩をすくめる。
現在、ディグレスさんは魔王さまの補佐として動き、魔王さまと一緒に人の世について勉強している。もともと、ディグレスさんは魔王さまがまだ幼かったときに摂政を務められていたらしく「懐かしい」とホクホクした顔をしている。
ディグレスさんは魔王さまが外国を見て回るのにはついていかずに、このままこの国に残って、空位の王の代理で国を治めている大臣の側につくらしい。──補佐兼監視として。
大臣も国王の甘い汁を啜っていた側の人物だけど、かといって王家がいなくなり突如魔族が台頭してきて戸惑う国民を治められる人がいなくては、みんなが困ってしまうのでディグレスさんの監視のもと彼が国王代理として政務を摂ることに落ち着いた。
彼自身はこの国家が騙された魔族を犠牲にして生まれたことは知らなかったし。まあ『聖女』を過酷な労働に積極的に晒していたことはかなり厳しいお灸を据えられたらしいけど……。
「まあ彼も悪いことをするだけの能はあるわけですからね、見習うべきところ、学ぶべきところも多く持っています。この国を一番よく治められるのは今のところ彼しかいないでしょう」
やれやれ、とディグレスさんは浅く笑みを浮かべながら、首を小さく横に振る。
「よくやっていますよ。元々王があまり優秀でなかったのを埋めておられた方ですしね。パワハラ体質とピンハネ癖さえ矯正して差し上げたなら、文句なしです」
「なるほど」
「擦り寄る相手も早々に我々に切り替えたようですから、熱心に国民たちに魔族と魔物のイメージアップキャンペーンしてくれてますしね」
ふふ、とディグレスさんは微笑む。
「魔王様がこの国の王となられるなら、人の世……この国ではどのように人を治めるべきか、肌で学んでおくべきですからね。監視役というよりも、そばにいて勉強させていただいている面は多いですね」
「……魔王さまも、ディグレスさんも、すごいなあ」
食堂を構えてきりもりしているイージスだって、そうだ。
かつて、人間達に騙された彼らだけど、こうして前を向いて、人と一緒に歩む努力をしている。眩しく思えた。
「そうでもありませんよ。しなければいけないことをしているだけです」
「……ディグレスさん」
「メリアさんは、今はしばらくお休みになられていてよいと思いますよ。私は」
優しく微笑まれる。でも、何もしないでのんびり、ってなんだか落ち着かないんだよなあ。
お父さんとお母さんも元気になったし。お金は、もうたくさんあるし。
……何しよう。何もしなくても、いいんだよね、もう。
何したらいいのか分からないから、これから魔王さまがいなくなることが余計に寂しいんだろうか。
……今日は本当は魔王さまに会いに来たのだ。魔王さまとディグレスさんは王都に小さな家を借りてそこを拠点に生活していた。魔王さまは何やら忙しいとかで会えなかったけれど、せっかく来ていただいたからと、ディグレスさんがお茶に誘ってくれて、それで話し込んでいた。
ディグレスさんは、「応援していますからね」と言ってわたしを見送ってくれた。……何の応援?
◆
(……わたし、本当に働きっぱなしだったもんね)
みんな、わたしのことを王家にこき使われてきてかわいそうと言ってくれるけど、両親の治療費は王家に勤めていたから幼いわたしでも稼げていたこともあって、なんというか、そのあたりは複雑な気持ちはある。こき使われてはいたけど、そのおかげで、と言う側面もあるのだ。
だからといって、王家が長い間魔族と、世界中の国を騙し続けていた罪には変わりないんだけれど……。
小さい時から、ずっと。わたしは王宮で『聖女』として働いて、なかなかいいお給金をもらっていると思っていたけれど、世間的には全然対価に見合っていなかったらしい。未払い分のお金を受け取ったときはひっくり返るかと思った。
あのお金があれば、両親も、わたしも、なんの問題もなくのんびり暮らしていけるだろう。
……でも。このままのんびりだなんて、落ち着かない。
考え事をしていると、普段なら立ち入らないような人通りのない道に入り込んでしまっていたことに、ふと気がつく。ずっと足元だけ見て歩いていたから、気がつかなかった。
いけない、ここはどこだろう。戻らなくちゃ。
「……ハハ! 久しぶりだな、メリア!」
踵を返したその瞬間、耳慣れた高笑いが耳に響く。
「……パンブレッド……?」
「は?」
そこには、元王子のパンブレッドがいた。着ているものはみずぼらしいし、白い頬は痩けていた。
人通りの少ないこの道は、確か、スラム街に近かったはずだ。彼の幼い弟たちは母方の縁者に引き取られたが、成人している彼は一人の力で生きていくことを求められたと聞く。とはいえ、人並みの暮らしができる家といくらかのお金を用意されていたはずなのだが。王子によく似た人物が賭博に耽っているという噂は耳にしていたけれど……。『王子』という身分を剥奪された彼はここまで落ちてしまったのだろうか。
「なんだ、お前、こんなところまで俺に会いにきたのか? 可愛いところもあるじゃないか」
「いえ、わたしは道に迷っただけで……」
「いいじゃないか。ふぅん……こうして見ると、お前、結構かわいいじゃないか」
不躾な目で舐めるように見られる。
わたしは結構、この王子には同情的だった。もっと普通の家庭に生まれて、親の愛情を受けて育っていればもう少しまともだったのでは、と。
でも、そういう目で見られるのは全くもって、不快としか言いようがない。
「……お前、俺が好きなんだろう? また婚約してやってもいいぞ?」
「はあ?」
「だってお前、俺は嫌だって言ってたのに、お父様に頼んで俺と婚約させてもらってたんだろ?」
「違います。わたしは『命令』されていたんです」
王太子パンブレッドと婚約しなければ、王宮勤めを辞めさせると言われて、しょうがなく受け入れた。今になって思うことだけど、きっと、わたしが封じられた魔族の力を持って生まれてきたのだと気がついた国王陛下が、万が一でもわたしが国の外に出たりしないようにするために、そう命じたんだと思う。
「なあ……」
「やめてください、人を呼びますよ」
「こんなところ、まともな奴は来ねえよ。なあほら、こっち来いって……」
近寄るときつい酒の匂いがした。王子の手がわたしに伸びる。そして。
「あびびびびびびっ!?」
王子は感電した。
わたしはそれに懐かしさすら感じていた。そして、驚きもする。
(……わたし、この力まだあったんだ……)
この力は元々、魔王さまの力だったはずだ。全部、返してしまったと思っていたけれど。
つい、呆けて痺れている王子パンブレッドを眺めてしまう。
「……くそっ、お前、相変わらず……ふざけやがって……!」
「きゃっ」
パンブレッドがふらつきながら、足元の石をわたしに投げつける。大した痛さじゃないけど、反射的に身構えてしまう。ボーッとしてないでサッサと逃げて仕舞えばよかった。
と、そこで、わたしの視界が陰った。
「……おい、何をやっている」
「……!? 魔王さま!?」
なんでここに。
魔王さまがわたしを庇うようにしながら、パンブレッドを睨みつける。
「……呆れた。お前が王になっていれば、素晴らしい国の王になっていたことだろうな」
「お、お前はっ!」
「どうしてそう、触れもしない女を自分のものと思えるのだろうな?」
皮肉たっぷりに魔王さまがため息をつけば、王子は地団駄を踏み、魔王さまを睨みつける。
魔王さまは何も言わず、ただ手をかざした。わたしにはその魔力の流れが見えた。
「ぐっ、ぐううう!」
「おとなしく過ごしていればよいものを、バカな奴だ」
王子は魔王さまの魔力によって縛り上げられ、そしてそのまま憲兵隊に引き渡されていった。
未遂とはいえ、婦女暴行の罪は重く懲役刑は免れないらしい。
「……大丈夫だったか?」
「は、はい。わたしは、なんとも。どうして魔王さまはあそこに……?」
こんな人通りのない道。お店も何もない。わたしはぼんやり歩いててたどり着いてしまったけど、たまたま運良く知り合いに出会えるような場所じゃない。
「……お前の中に、まだ俺の魔力が残っているから、もしお前が力を使ったのならば、今どこにいるのかがわかるんだ」
「ええっ!?」
なんだか言いづらそうにしながらも、魔王さまは教えてくださった。
「……その力は、自分が拒絶したいと感じた相手をはじくことができる。この力が使われたのなら、あまり良い場面ではないだろうと」
「それで、きてくださったんですね」
魔王さまが来てくれなくても、多分──わたしは大丈夫だったと思う。
けど、魔王さまが心配して駆けつけてくれたことが、嬉しかった。
「ありがとうございます……」
「……すまん、その、言っていなくて」
「コレ、魔王さまのお力だったんですね。電撃ビリビリ」
力を使うと、わたしの居場所がわかるということについてだろう。魔王さまはバツが悪そうに、整った眉尻を下げていた。
「魔王さまがきてくださって、私、ホッとしました。でも、私、そこらの男の人に襲われたって平気ですよ。ホラ、それにまだ使える別の魔力もありますし……」
「……メリア。お前は……いや、君はもう、普通の女の子だろう」
真剣な眼差しで投げかけられた言葉にきょとん、と目を丸くしてしまう。
「ちょっと強い力を持っていても、君は……普通の女の子だ」
「え、えっと……」
魔王さまが何を言いたいのかわからなくて、口ごもってしまう。おずおずと背の高い魔王さまの顔を見上げると、なぜか魔王さまの頬が少し赤く染まった。
「……抵抗できる力を、たとえ持っていたとしても、嫌な気持ちにはなるだろう? 気をつけていてほしい。大丈夫だ、なんて言ってしまわないでくれ」
「……ええと」
「君は、その、かわいいから……」
「……」
返すべき言葉がすぐに出てこなかった。魔王さまが頬を赤らめて、照れ臭そうに言うものだから、わたしもつられて顔が火照ってしまった。
「……すまん、その、そういうことを言おうとしたわけじゃないんだが、なんだ。……あまり、無理をしないように」
「は、はい。ありがとうございます」
なんで二人して照れ合っているんだろう。
魔王さまに、年頃の女の子扱いをしていただくのはこれで二度目だなあとなんだか懐かしくなる。前はわたしが魔王さまの下着を洗おうとして遠慮された時に言われた。
「あの、わたしの……この力……魔王さまにお返ししないで、いいんですか?」
触れられた時に嫌だと思ったら電撃ビリビリする力。便利な力、だと思う。これから王になろうとしている魔王さまには、こういう自衛の力は役に立つんじゃないだろうか。
でも、魔王さまは首を横に振る。
「俺の力がお前を守ってやれるなら、それ以上のことはない。……いつか、君が……この人ならばと思える、そういう人物に会えるまで、きっと君を守るだろう」
そう言って、魔王さまは微笑んだ。あまりにも優しい眼差しを受け、胸がふわりとしたものに包まれた気持ちになったわたしは目を瞬く。
「……でも、それなら、魔王さまがそうなんじゃ……?」
「……………………え」




