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私立日野出学園  作者: 中嶋條治
4/4

がくえんの、じけん第1話『背中流し』

日野出学園の外伝的作品を投稿しようかと思いました。

ぜひお付き合いくださると幸いです。

第1話『背中流し』

 

 

 これは大杉正義が高等部在学時の話である。

 

 高等部一年の夏、大杉は所属する演劇部の部室引っ越し作業に忙殺されていた。

 演劇部の部室は南校舎だったが、そこが夏休み中に改修工事を行う都合上使えなくなり、隣の校舎へ備品や大道具小道具などの類を運び出さねばならなかったのだ。

 

 夏の日差しは大杉たちの体に容赦なく降り注ぐ。

 しかも、重い荷物を運びながら階段の上り下りもしなければならない。開始1時間もしたら、演劇部員たちはバテ始めてしまった。


「うひゃあ、見てくれ」

 

 昼食時間。大杉は自分の稽古着を脱ぎ、上半身裸の状態で絞ってみた。彼のシャツは汗を多量に吸っていたが、それが地面に多量に滴り落ちる。

 

「馬鹿。汚い事すんな!」

 

 部長の一喝を受けて、大杉は今しがた絞ったTシャツを再び着用して弁当箱の中身を掻き込んだ。いつもより遥かに味が薄い。如何に大杉にとって午前中の作業が激務だったかを味覚が物語ってくるようだった。 


「こっち寄るんじゃねえよ。汗っかき野郎」

 

 大杉に悪態をつくのは同級生の柴田数家だった。彼はこんな事もあろうかと、替えのシャツを鞄に入れてあり、更に汗拭きシート、塩飴などの準備も万端だった。

 

「なあ、そんなこと言わずにさ。柴田様。俺にも塩飴ひとつくれよ。友達だろ?」

「何言ってやがんだよ。都合のいい時だけ友達扱いしやがって」

 

 柴田は弁当箱から魚の形をした醤油ボトルを差し出した。既にオカズにかけており、半分無くなっている。

 

「これでも吸ってろ。どうせ余ってて捨てるんだから」

「おお〜、これで塩分補給……ってふざけんな! 醤油ラッパ飲みしろってのか!」

「塩分足りないんだろ? やってみろよ」

 

 柴田は冗談ではなく、どうやら本気のようであった。

 背に腹はかえられぬ大杉は、仕方なく醤油のボトルをひったくり注ぎ口に口をつける。

 

 ちゅ〜……

 

 認めたくはないが、塩分が不足している体にとって醤油の原液は存外美味だった。代償として喉がすこぶる渇いたが、お茶などの飲料の類はあったのでどうと言うことはなかった。

 

「……ありがと」

「これでひとつ貸しな」

 

 柴田にそう言われ、大杉はまた怒鳴りそうになったが、そこで部長の作業再開の号令を聞いて慌てて残りの弁当を片つける羽目になる。

 

 その後、何とか搬出入の作業を終えて解散になろうかと思った矢先、にわか雨が降ってきた。雲行きからして怪しいとは思っていたが、ほんの数分で周囲が柿曇り、強風が吹き荒んできたと思いきや激しい雷雨に見舞われてしまった。

 大杉含め、複数の部員たちは濡れ鼠になってしまう。幸いだったのは、着ていたのが制服ではなく部活用の稽古着だったことだ。

 

「このままだと風邪ひくな……体育館のシャワー室借りてきてやるから、とりあえず汗流して制服に着替えなさい」

 

 自身も雨に濡れた部長は、職員室に許可申請に向かい、大杉たちはとりあえずタオルで可能な限り体を拭いていた。

 

 その後、シャワーを済ませた部員たちは随時流れ解散となった。置き傘を持っていた生徒はそのまま、無い生徒は学園から傘をレンタルして帰宅する。柴田は寮に住んでいるので、学園内の高等部男子寮に向かう。

 

 なぜか一緒に大杉がついてきていた。

 

「お前実家通いだろうが」

 

 松戸市在住の大杉に対し、柴田は悪態をついた。地元から離れて寮生活を送る柴田からすると、千葉県松戸市からの越境であっても、通学圏内から通っている大杉は鼻につく存在であった。


「せっかくだから、学園の温泉に入ってゆっくりして行きたい」

 

 この日野出学園は都内の埋立地に建てられているのだが、地下深くから天然温泉を汲み上げている慰労施設があった。

 全学生、職員に向けて解放されている健康ランド的施設の他に、寮生の為の温泉施設も作られていた。


「露天風呂に浸かりてえな。屋根もあるし大丈夫だろ」

「残念だが、無理だ」

「はあ? 何でだよ」

「夜の雨天時は露天風呂の使用が禁止されている」

「空を見ろ。さっきはゲリラ豪雨だったが、今はぱらつく程度だ。全く問題ないぞ」

「んな事言っても、規則は規則なんだよ」


 柴田は大杉の我儘を聞き流しながら寮までの道を歩いていた。

 いつの間にか学生男子寮に到着してしまう。無論、大杉はすぐ後ろについてきていた。

「なあ。頼むよ。天然温泉! 天然温泉!」

「だーっ! わかったよ。ほら、入れ」


 痺れを切らした柴田は学生寮に大杉と共に入る。一旦柴田の部屋で荷物を置きに行って、着替えとタオルを準備した。


「んじゃ、行くか」


 各種アメニティセットにフェイスタオル・バスタオルを準備した柴田の姿に、大杉は

 

「何だよ。お前だって行きたかったんじゃんか」

「当たり前だ。あんな重労働の後だぞ。温泉にでも入らなきゃやってらんねえよ」

 

 何だかんだで、柴田も欲望には忠実なところがある。

 寮母や巡回の警備員に見つからぬよう、慎重に温泉のある一階の施設に向かうと、遂に温泉マークの描かれた暖簾が目に入った。

 

 雨天につき使用禁止、と描かれてある張り紙を破かずに、そっと侵入すると、脱衣場で早速着替えた。


「暗いな。電気つけるか」

「馬鹿。バレたらどう住んだよ。我慢しろ」

 

 柴田の一喝に、それもそうだと納得した大杉は、すぐに学生服を脱ぎ出した。

 早くも全裸になった二人は、フェイスタオルや石鹸類を持って中に入っていく。使用禁止になっているものの、非常灯の灯りがついていて、何とか視界は確保できていた。

 この温泉は露天風呂のみの施設であり、体を洗う場所と浴槽の半分は屋根で覆われているが、浴槽は半分ほど空の真下にあった。三十人はゆうに入れる広さがあり、そこを二人で独占できるのだから、学生にしては絶好の贅沢であると言えた。晴れていれば月を眺められる。

 小雨は続いていたがほんの少量で、そこまで気にはならないと若い学生二人には思えた。湯に手を浸けると十分な温度だったので、屋根の内側にいれば全く問題ない。

 

「とっとと体洗って入るぞ」

「あ、今使用してないことになってるんだろ。シャワーのお湯出るか?」

「なに、いざとなったらこの温泉の湯で洗えばいいだろ。桶はそこにたくさん積んであるんだし」


 柴田の指差した先には、洗い場で使用する桶が均一に積まれてある。大杉は2つ取って、片方に湯を入れ、もう片方の桶で掛け湯をした。

 

「おお〜! あったけえ! やっぱり身体が冷えてたんだなあ」

「俺もやるわ」

 

 柴田も桶で浴槽の中から豪快に湯を救い、頭から被った。

 思わず笑みがこぼれる心地よさである。

 二人はそのまま洗髪を始めて、シャンプーは温泉の湯で洗い流す。

 

 すると、戸の開く音が微かに聞こえてきた。

 

 大杉も柴田も沈黙する。湯を被ったと言うのに、冷や汗が噴き出した。

 見回りだ! 二人は慌ててタオルや洗面具を手にして隠れようとするが、そもそもそんな場所はどこにもない。しかも、服は全て脱衣場の中だ。最悪の状況である。

 しかし聞こえてきたのは注意の声ではなかった。


「学生さん? 雨の中入ってるなんて酔狂ですね」

 

 大杉と柴田はシャンプーまみれの顔を慌てて拭きながら顔を見合わせた。

 女性の声だった。

 規則破りをした二人だが、最低限のマナーとして、入ったのは男湯だったはずである。入室時に二人とも青い暖簾に「男」と書いてあるのを確認している。

 

「あ、掃除の人じゃないか?」

 大杉の言葉に、柴田は即座に反応した。

「きっとそうだ。学生の入れない今のうちに掃除を済ませちゃおうって事なんだよ」

 大杉は前を隠しながら声のした方を見る。流れ落ちるシャンプーから目を守るため、声の主を直視できないでいた。

「もし先生じゃなかったら、見逃してもらえるかも」

「内申点のためなら、土下座でも何でもするさ」

 柴田は付属大学の教育学部に進学することを希望していた。うまく推薦を勝ち取れば、熾烈な受験戦争を経験せずに済む。そのためには学業成績は勿論の事、普段の内申点も重要なのである。

「土下座なんて良いですよ。私、ここの先生じゃないんですから」

 

 再び聴こえる女性の声。大杉は桶に溜まっていた湯でシャンプーを洗い流し、声の主に目をやった。

 

 少年は息を呑んだ。

 

 声の主の女性は手拭いを持って着衣のまま入ってきていた。白い着物に身を包み、雪のような白い肌と同化しているようにすら見えてしまうほどだった。鼻は高すぎず低すぎない絶妙なバランスを保っており、切長の目が日本刀の様に美しさと鋭さを両立させている。雪女の役をすると似合いそうだ、と、演劇部員の大杉はふと思う。女性の年のころは二〇代後半から三十代前半で、湯気のように色気が匂い立つ。髪は後ろに結っていた。

 

 見とれていたのは柴田も同様だった。お互い呆けたような間の抜けた表情で、顔を赤らめながら目の前の正体不明の女から目が離せなかった。

 着物を着た女は桶を取ろうとしゃがみ込んだ。胸が圧迫され、着物の合わせ目から見えている谷間がより強調される。純白の脚もかなり奥まで着物の間から出ており、その姿にウブな少年2名は息を呑んだ。

 その時、女はチラリと二人を見遣り、妖艶な笑みを浮かべた。

 逆に大杉はその笑みでハッと正気に戻り、まだ色香に酔っている柴田の太腿をつねり上げた。


「ぎゃっ」

 

 柴田の悲鳴に、女は一瞬何だろうかと訝しげな表情を見せたが、すぐに微笑みを取り戻した。

 

「大杉、てめえ」

 

 赤くなった患部をさすりながら恨み節を吐く柴田を放っておいて、大杉は女に訊ねた。

 

「スタッフさんですか」


 女はキョトンとした顔をして、すぐにプッと吹き出した。

 

「ええ、ええ、そうですよ。掃除をしに参りましたの。まさかこんなイケメンさん達が入っているなんて思いませんでしたわ」

「えっ。イケメンですか。いやあ照れるなぁ」

 途端に低く渋めの声色で返答する大杉は明らかな下心を抱いている。何というチョロさであろうか。

 柴田は大杉の頬をつねり上げて正気に戻す。

 

「アババババ。てめえこの野郎。顔はよせ顔は!」

「顔の腫れを気にするようなツラかてめえ」

 

 二人のやり取りに、女はクスクスと静かに笑うだけで、入浴禁止時間に入浴している不良二名を咎めもしない。

 

「そうだ。お兄さん達、お背中流してあげましょう」

 

 いきなりの言葉に、二人は言葉が出なかった。背中流し? この女が?

 

「いや、そんな悪いですよ」

 と、言いながらも大杉は浴場内の椅子を寄せて座ろうとする。

「おめえはよ。言動不一致が過ぎるんだよ」

 柴田は大杉の肩を掴み、もう片方の拳を突き出した。

 ジャンケンで順番を決めようというのである。欲望には勝てないのだ。

 

 大杉が負けた。

 不本意さを隠しもせず、大杉は温泉の浴槽に顎まで浸かる。

 真夏であるが、雨に濡れて冷えていた身体が芯から暖まっていくのを感じる。

 

 いいよな柴田達は。こんな良い湯に毎日入れるんだから。

 

 無い物ねだりだ。柴田からすれば、おそらくは実家から通える大杉を羨ましく感じることもあるだろう。そう言う事も理解はしている。

 

 風呂に入ると何故かこのような事ばかり考える。とあるアニメで、風呂は嫌な事を思い出すと主人公が言っていたが、その気持ちが少しわかったかもしれない。

 

 大杉が黄昏ている中で、柴田は女の背中流しを享受していた。

 自分で洗うのと違い、優しく撫でるように背中を石鹸で泡立てた手拭いで拭かれる感触は今まで未経験の快感で、背中を上下に拭く際にもれる吐息が艶かしかった。

 最初の内こそ理性を総動員していた柴田だったが、いつの間にかあまりの気持ち良さにウトウトとして来てしまっていた。疲れも出ているのだろうか、と、モヤのかかった頭で柴田が思っていると、遠くの方で自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「おい柴田、聞こえねえのか! 早く逃げろ!」

 

 逃げろだと? 柴田は何処の馬鹿がそんな事を言ってくるのかと思ったが、その声の主は大杉なのだろうと察した。大方、あまりにも長く背中流しをしてもらっているのを羨んで出任せを言っているに相違ない。 

 

 しかし、それにしては声が随分遠い。校舎の最上階から校庭の端までの距離感よりもありそうだった。浴槽からここまで数メートルなのに変な話だが、おそらく寝落ちしかかっているのだろうと思われた。

 それはまずい。立ち入り禁止の時間帯に、風呂場を使用したまま寝落ちしたところを見つかったら停学である。大杉のような輩が停学になるのはまだしも、柴田は優等生で通っている。信用に傷が付くのは御免だ。

 

 起きなければ……

 

 そう思っても、瞼が開かない。それどころか、体が岩のように硬くなり、指の一つも動かせなくなっていた。声も全く出ない。

ーーおかしいぞ。

 ただでさえ思考が鈍っているのだが、自分の意思が身体に伝わっていないのは察することができた。

 もしかして、大杉の言った「逃げろ」と言うのは……

 

「いただきます」

 

 遥か遠くで微かに聞こえた大杉の声とは違い、今の声は耳元で、くっきりと鼓膜を震わせた。

 

 次の瞬間、柴田の身体はドサッと床に倒れ込んだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 

 大杉は柴田の異変に気がつく迄数分の時を要していた。

 最初のうち、柴田は照れもあったのか、ほぼ無言で背中流しを受けていた。しかしそれでも、女の世間話に相槌を打つくらいはしていたのである。だが相槌がほぼ聞こえなくなったので、おかしいと思い大杉は柴田を見遣った。

 

 その瞬間、温泉の湯で赤くなっていたはずの大杉の顔から血の気が引いた。

 背中を流す女の体が微かに青白く発光していた。それどころか腕が何本も伸びて空中の何かを掴むような仕草をしている。

 背中から芋でも掘り起こすかのように、グイと引き、グルグルとたぐっている。その度に柴田の背はどんどん猫背になり、幾つもある手の中から二本が柴田の体を両脇に手を置いて支えていた。

 

 大杉は、夢を見ているに違いないと思ったが、怪異を目の当たりにしているせいで激しく動く心臓の鼓動がしっかりと感じ取れていた。

 これは現実だ。そう思うと大杉は演劇の本番中でも出さないような大声を張り上げた。


「おい柴田! 逃げろ!」

 

 柴田の頭が、一瞬ピクリと動いたが、それきりだった。それどころか益々猫背が増して、手繰る腕の動きも活発になる。

 

 湯気に混じって、その手繰るものが何なのか観てとれた。半透明のスライム状の物体とも期待とも取れる「モノ」が、柴田の背中から伸びて女の腕に絡みついている。

 

 あれは魂か、それとも生気か。

 

 とにかく目の前で行われているのは、背中流しなどではなく「捕食」であると言うのは、若輩の大杉すらすぐに察した。

 

「柴田! 聞こえねーのか!」

 

 おそらく聞こえてはいない。大杉は浴槽から飛び出して柴田の身体を掴もうとした。

 

 その瞬間、ガシッ。と、大杉の腕が逆に女の幾つもある腕の一つに掴まれた。「女の細腕」とよく言うが、その細腕からは想像もできないような怪力が大杉の腕に襲い掛かる。

 

「悪い坊やね。お夕飯の邪魔しちゃって」

 

 女は大杉の妨害をほぼ気にしていなかった。幼児に大人が本気など出さないような、そんな受け答えである。

 湯船から出たばかりの筈である大杉は、氷水を浴びせられたように背筋を震わせた。とてもかなわない。

 

 柴田が食われて、次は俺か。

 

 やりたい事などごまんと有った。この学園に入れてくれた親への恩返しすら済ませられず死んでいくのか。そう思うと、悔しさや恐怖心で涙が止まらなくなる。温泉に入ろうとしただけなのに。

 

「そこまでだ!」

 

 扉が開く音がしたと思うと、二人分の足音が近づいてきて扉が開かれた。

 

「貴様、我が校の生徒から離れろ!」

 

 大杉はこの声の主に聞き覚えがあった。確か全校集会で聞いたような気がするのだが、おぼつかない。

 

「君、耐えろ! すぐ助かるぞ!」

 

 声の主は大杉の肩を掴み、グイと引いてきた。

 その時に相手の顔を見ることに成功する。

「あ、理事長補佐!」

 目の前にいるのは、日野出学園の理事長の実子であり、現在は補佐役に就いている男だった。

 高等部はもちろん、幼等部から中等部までの行事にも可能な限り出席しているので、高等部から入った大杉も何度かその姿や声を耳にしていた。

 その背後にいるのは、浅葱色の和装に身を包み、榊を手にしている短髪の二十代くらいの青年だった。

 

「退散!」

 

 和装の男が榊を投げつけると、女は即座に柴田を盾にして榊を防ぎ、湯と石鹸によって榊が張り付いた柴田の体を地面に捨て、そのまま後ろへ後ずさった。

 

 睨み合いがほんの数秒続いたと思われる。

 次の瞬間、女はニヤリと笑みを浮かべつつ、

 

「せっかくのご馳走だったのに、残念」

 

 と呟くと、次の瞬間には姿が消えていた。

 

 大杉は呆然としていたが、力が抜けてその場にへたり込んだ。

 

「んん……」

 

 柴田が目を覚ましたようで、大杉は我に帰った。和装の青年も駆け寄る。


「おい、大丈夫か! 柴田!」

「君、心配ないよ。幾分生気は吸われたが、すぐ回復する。若いからな。君は吸われてないだろう?」

 

 生気。おそらく背中から出ていたあの物体であろう。吸い尽くされていたら死んでいたのか。大杉は再び背筋を震わせた。

 

「二人とも」

 

 大杉の背後から聞こえた声は、理事長補佐の声に相違ない。

 しかし、その声には先ほどとは異なった凄みが隠れる気もなく滲み出ている。

 

「ええい、立たんかこの馬鹿ガキどもが!」

 

 理事長補佐は二十代後半のはずだが、言葉遣いはいささかオヤジくさい。

 だが今の大杉達に、そんな軽口はとても叩けそうになかった。


「雨天時の夜間入浴は禁止されているはずだ」

 

 大杉はコクコクと頷く。柴田も朦朧とした頭ではあるが返事をする。

 

「理由は経験した通りだ。もし明るみに出たら大騒ぎになるから、単純に安全上の理由と清掃のためという名目で禁止しているのだ。貴様らミイラにならずに済んだだけでもありがたいと思え!」

 

 理事長補佐はそれだけ言うと、大きく息を吸い込んで、吐き出した。それを終えた補佐の表情は、打って変わって穏やかだった。

 

「まあ、よく生きていた。君がこの子を助けようとして時間を稼いでいなかったら、どうなっていたかわからん。自業自得ではあるが、本当によかった」

 

 そう言うと、補佐は二人を抱きしめた。ワイシャツにスラックス姿だったので、補佐の服はすぐに濡れてしまうが気にしていない様子だった。

 柴田はイマイチ何が起きたのかわかっておらず、何故理事長補佐がハグをしてきているのかと戸惑っていた。

 大杉は、緊張の糸がほぐれたのか、わんわんと号泣し出した。

 

 

 

 翌日。大杉と柴田は学園内の神社でお祓いを受けていた。

 例の女は、学園に棲みつく怪異の一つらしい。それ以上は聞き出せず、神主も理事長補佐も正確な正体はわかっていないようだった。

 以前にもこのような事件があり、露天風呂には雨の日にのみ対人センサーを取り付けているらしかった。あの日はたまたま理事長補佐が神主と一緒にいたため、二人で出動したのだという。

 

 この学園には、こうした怪異がまだあるのだと、帰り際に理事長補佐が話してくれた。

「だから、という訳ではないが、施設関連の校則は守ってくれ。頭髪やピアス、服装の自由を許容しているのも、本当に命に関わる校則を守ってもらうためのガス抜きという側面もあるんだよ」

 理事長補佐はそういうと、執務に戻っていった。

 

 あの日以来、大杉はしばらく自宅の風呂であっても雨天の夜は入れなかった。



《終わり》

本作は、夢野久作先生の『いなか、の、じけん』を読んだ筆者が、学園内で起きた小さな事件の連作集も書いてみたいなと思って始めたものになります。

本当は映画のタイトルをつけたかったのですが、上手く合うものがなく、仕方なくこの題名にしました。

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