第9話
憂鬱な気分に毒されたファリナはふと窓の外を見る。綺麗な手入れされた芝生の庭園が広がる中、その一角に目が止まる。遠くてよく見えはしないが、庭園の隅に一組の男女が見えた。
こんな往来で、しかも昼間から逢引とはとうとうこの国は終わったか、と絶望を感じたのもつかの間、ファリナの中の感覚が何かを告げた。一気に膨れ上がる怒り。気付けばファリナは一目散に駆け出していた。
一階に降りて庭園に続く扉を全力で通り過ぎ、先ほどの男女がいた場所に到着する。
男女の内、男はファリナに背を向けており、その立ち位置からファリナには女性の顔を見る事ができた。記憶を掘り返し、総務局で今年度採用されたカンナ・フライルという女性であることを思い出す。黒く短い髪に丸く小さな顔をしており、どちらかと言えば可愛い女性だ。年齢は確かファリナの一つか二つ下、役人の試験を受かる年齢にしては十分若い。
ファリナの登場に気が付いたカンナは大きく目を見開き、口を押さえた。こんなところを見られてしまえば下手したらクビもありえるのだから当然の反応だ。
だがファリナが用があるのは彼女ではなく、男の方だった。
堅苦しい軍事局のコートを身に纏ってもひょろっとした印象を与える体格、無頓着にもほどがある中途半端に伸びた銀髪。顔を見なくても胡散臭い雰囲気をファリナは感じていた。
男はカンナが驚いていることに気付き、その目線の先である自分の背後を見た。男のとぼけたような顔がファリナの視界に映る。体格同様飄々とした顔の男は面白そうに、しかし興味なさ気に軽く笑うと、ファリナを無視するように再びカンナに目線を戻した。
「ちょっと待ちなさいよライカッ!」
その態度がファリナの導火線に火をつけた。
「なんだいファリナ。僕は今忙しいんだ。用があるなら僕の自室で待っていてくれないか。もっとも、今日帰るかどうかは分からないけど、ね?」
一度天を仰ぐような素振りを見せてから、ライカ・クラウンはファリナにたしなめる口調で言い、最後にカンナに同意を求めた。同意を求められたカンナは慌てて顔を赤くしてしまう。その姿に不覚にもイラッとしてしまう。
「万年発情期は猫だけにしてもらいたいわね。あなたがどんな女性と交友を持とうが私は一向に構わないけど、出来ればこんな昼間からしてもらいたくは無いわ。それにあなた自分の仕事はどうしたの?」
何とか怒りを抑え込む。だがライカはそんなファリナの心を知らないのか、いや知ってるからこそであるのか人懐こい、嫌に清清しい笑みを浮かべる。
「一体何を言ってるんだい。そんなもの全部すっぽかしたに決まってるじゃないか」
気付けばファリナはその憎たらしい笑みを浮かべるライカの顔面を殴りつけていた。ファリナは特に武術を習っているわけではないが、ライカの体は面白いように簡単に飛んだ。
いや、素人ながらファリナはライカが殴られる寸前に後方に飛んでファリナの弱い拳の威力を、更に軽減したのを知っている。ライカも武術を嗜んでいるわけでは無いので、反射的に避けたわけではなく、殴られると分かっての言動だったのだと悟り、それにまた腹が立った。
「申し訳ないけど今夜の予約はキャンセルしてもらえるかしら、カンナ?」
「ど、どうして私の名前を?」
「王として国民を知っているのは当然でしょ?それに帝国のために働いてくれる人ならなおさらよ。ほら、あなたはもう行きなさい。それとも、今からこいつのあられもない姿でも拝んでいく?」
「い、いえ!し、失礼させていただきます!」
慌てて礼をした後、カンナは小走りにその場を去って行った。そのか弱い女の子のような走り姿を見て、ファリナはため息を漏らす。
「あんたはあんな子が好みだったわけ?」
「好みも何も僕はすべての女性を愛する心の持ち主だと自負しているよ。もう城の女の子は全員僕の恋人だよ」
倒れていたライカは何事もなかったかのように体を起こし、コートに付いた芝を払った。うざったい言葉と共に、本当に無傷であることに腹が立った。
「へぇ……そう言うんなら私も愛してくれるわけ?」
「あぁ……うん、君はダメだ。確かに君を愛してはいるけどその愛は他の女性とは一線を画しているね」
芝を払い終え、すっきりとした顔を見せるライカは悪びれも無い口調で言った。
「ベッドの上で君のその澄ました顔を淫らにさせることには興奮を禁じえないけど、父親が違うとはいえ君が僕の妹である現状、残念だけど流石に僕も手を出すつもりは無いよ」
妹、その言葉がファリナに重くのしかかった。