第8話
「ニコラ・フラベス財務局長!これは一体どういうことかしら!?」
財務局にある事務室の扉を力強く開きながら、ファリナ・ノイシュヴァンシュタインは清清しい声を張り上げる。そのファリナの声と姿に、作業を進めていた殆どの役人が手を止め、ファリナに目を向ける。
そのファリナの視線の先、優雅に椅子に座っていた中年の男はファリナの姿を見てぎょっとした顔をする。その様子にファリナは凛々しくも美しい顔つきを魅惑的な笑みに変える。きりっとした鋭い眼差しの瞳を閉じ、悠然と事務室を闊歩する。そのファリナの後ろに女性が一人、控えるように続く。アップにまとめた髪、ファリナの専属の侍女であるヘラだ。
「い、一体何の御用でしょうかファリナ姫?」
ニコラ財務局長はそのふてぶてしい顔つきに似合わず、自分より半分の年齢であるファリナに怯えるように声を震わせた。
「何の御用か、本当に分かっていないのかしら?」
ファリナは肩をすくめ、ニコラの前に立つ。そしてヘラから書類の束を2つ受け取り、それを執務机に叩き付けた。
「先月の事業報告書、ここに記載されている金額と実際に使用された金額に差異が生じているのだけれど。具体的には前者の方が圧倒的に少ないのだけれど何か知らないかしら?」
「一体何の……ッ!」
書類に手を伸ばしたニコラは途端に目を丸くした。
ファリナが提示した書類は片方が実際に提出された出資報告書であり、もう片方はファリナが独自に調べ上げてまとめた出資報告書である。
「まさか財務局長ともあろうお人が水増しなんてちゃちな行為を働いているなんて事は無いでしょうね?」
「そんな……馬鹿なッ!?」
ファリナの声が届いているか定かでは無いが、ニコラは一心不乱に書類に目を通していた。
「残念だけどいくらここ帝国が昨今の侵略で経済的に潤っていようとも、私の目が黒いうちはこういった事は一切許しはしないから、覚悟しなさい」
ファリナは見下すような目線でニコラを見て、自身の長い銀髪を右手で軽く払った。すると突然バッと背後を振り返る。
「ロニ!私は確かに小娘だけど、意見するのに年齢は重要かしら?カイラス!私は別に王族であることを盾にする気は無いわ。文句があるならそれこそコソコソしないで私に面と向かって言いなさい。自分が正しいと思う意見は大歓迎よ!」
ファリナの張り上げた声に、多くの視線が名指しされた二人の役人に集められる。耳打ちしあっていた二人の男はニコラ同様に体を震わせ、縮こまってしまう。
その様子にファリナはフンッと鼻を鳴らす。どいつもこいつも文句ばかりで明確な意思を持たないものばかりだ。国が大きくなることはいいことだが、国民の量と質は必ずしも比例するものではない。逆に指揮系統が分断され、質が落ちる印象がある。
「さて、財務官。今後の活動にこの書類は役に立ちそうかしら?」
半身の体勢で執務机に手を置き、人差し指で軽く叩く。するとニコラは顔を引きつらせ、恐る恐る書類を机に置く。そして静かに頷いた。
「今後の活躍に期待しているわ。どうか裏切らないで頂戴ね」
そう告げ、ファリナは悠然と事務室を退出した。
事務室を出て廊下をしばらく歩き、ファリナはため息と共に頭を抱えた。
ファリナがいるのは帝都グランブールにある行政局がまとめられている区の建物だった。大陸一の広さを誇る帝国のすべてをまとめる場所であり、帝国の建物の中では各領の領主邸を抑え、帝城に次ぐ大きさを持つ。
その巨大さが帝国の国力の象徴とも言え、学徒の社会見学も広く実施されている。所謂帝国のエリートが働く場所であり、各局に入るための試験の倍率も帝国一となっている。
しかしそんな役人の世界は、汚職まみれでとても綺麗な職種とは言えない。
「まったくこの国は大きいだけで腐り切ってるわ。予算を握ってる財務局が不正だなんて吐き気がする」
ファリナは将来自分が背負う国を思い、嘆いた。
本来各局の不正を摘発する仕事は行政局とは独立した第三者機関の仕事になっている。しかしその第三者機関すら役人であることに違いは無い。取り締まるべき立場が黒ければ、他がどれだけ黒かろうと問題にはならない。今の帝国はそういった現状があった。
侵略により大陸一の国土をさらに広げ各国に恐れられている帝国であるが、国民の質は大陸一低いのでは無いかとファリナは常々思っている。
広すぎる土地に増えすぎた国民。上流階級の人間はその地位に胡坐をかき、連日連夜社交会を開き豪華な暮らしを送っている。被侵略国から搾取した資材はまたその人間たちを潤わせる。それを腐っていると言わなければ、どう表現すればいいか分からない。
そう感じたからこそ、ファリナは自分が動く決意をした。その上流階級の頂点である自分が粛清を行うことで、帝国を少しでも綺麗にしようと思い立った。帝国の不正の山は絶望的であったが、将来の自分の国を少しでも良くしたいと思った。
そんなファリナの行動を他の貴族や役人は表向きには敬いつつも、裏では厄介者扱いしていることをファリナは知っている。彼らから見れば、二十そこそこの王女と言えどファリナは贅沢を阻害しようとする者であり、その反応はある意味で当然である。
ファリナとしてはその当然すら理解しがたいものだったが、彼らにとって自分たちは贅沢をしても許される人間である、というのが常識であり当然なのだ。
「ファリナ様、お体の方は大丈夫でしょうか?」
「えっ、あぁ。大丈夫よ。問題ないわ」
ヘラの声で自分が廊下のど真ん中で立ち往生していたことに気付く。いくつか見てくる視線に気付き、その方を振り向くが直ぐに逸らされてしまう。嫌われたものだな、と自分でも思う。
はたして今の自分の行動が、将来の帝国の為になっているのか、それともただの王女の我儘な行動なのか、そういった疑問すら湧いてしまう。